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僕は 「サッカー観戦楽しいよ!」 って本気で言えるのか


最近ふと思ったことがある。

サッカーを観たことがない人に「サッカー観戦は楽しいよ!」と、僕はなんの迷いもなく言えるだろうか。

なんとなく言える気もするし、どうかなーって思う自分も正直皆無ではないように思う。

もちろん、サッカーはやるのも見るのも楽しい。僕にとっては間違いなく。

でも、今考えてようとしているのは「サッカーを見たことがない人」に対して、である。そうなると俄然話が難しくなってくる。

「Jクラブのライバルは、他クラブではなく他のエンターテイメントだ」なんていう話も結構聞くようになった。いわゆる「パイの奪い合い」なのだろう。

そういう小難しい話は僕にはよくわからないのだけど、僕自身が実生活を過ごす中での肌感としてもなんとなく感じているような気がする。

1番身近なもので言うと、YouTubeや配信系のサブスクリプション。

今更感はあるけど、何か気になるトピックや流行など、自分の知らない領域の調べ物をしたいときには、最近ではもっぱらYouTubeを見るようになってきた。

映像と言語の二刀流での説明はとても分かりやすいし、記憶にも残りやすいような気がしている。

自分が今まで触れてこなかった分野に少しだけ興味を持ったり、人から「面白いよ」と勧められたりして動画を見にいって「俺が思ってたのと違う」と感じてホーム画面に戻ろうとしたとき、ふと思った。

「これ、試合終了を迎えぬままスタジアムを後にしてしまうファンやサポーターもこんな気持ちなのかな...」と。

厳密に言うと違う部分もあるのだろうけど、原因はどうであれ「思い描いたものと違う」「面白みに欠ける」と感じる部分では共通する部分もあるような気がしている。

サッカーの場合だと得点差が開きすぎて結果が見えてしまった場合に多い気もするけれど、要は「これ以上見ても仕方ないし、時間の無駄」という感覚には変わりないのかもしれない。

スタジアムでのその様子を見ると、とても悔しくて寂しい気持ちになっていたのだが、よくよく考えれば当たり前の話のようにも感じる。

リアルでの話か、ネット上の話かが違うだけで、同じような感覚を自分も抱いていたのだ。

サッカーや映画のように、その一回にお金を払ってリアルに足を運ぶタイプのものは「んー、ちょっと微妙だけど、せっかく来たし最後まで見ていくか」と割となりやすいような気もするが、それが配信サービスとなり他の試合や作品など、選択肢が無数に広がった途端話は変わってくる。

別のものに切り替えてもお金がかかるわけではないし、同じ時間を割くならば「より面白いものに」となるのは至極真っ当である。

逆に言えば、後者の感覚に慣れた人にとってはリアルでの観戦や鑑賞は相当なリスクを背負っている感覚になるのかもしれない。

「ハズレたら変更しづらいし、ホントに面白いの?」という感覚が当たり前になった人たちに、迷いなくオススメすることのハードルがかなり高まっているような気がする。

別の見方をすれば、先程はサッカーと同じ位置で考えていた映画も「自分より先に見た人にオススメされる」ことがある点では、サッカーの試合とは大きく異なる。

映画であれば内容と結果を見た上で人に勧められる。でもサッカーにおいては毎試合違った内容で違った結果が生まれる。もっというと、勝敗がある以上スタジアムにいる全ての人が笑顔で帰ることはほぼあり得ない。

こういった「勝つか負けるかわからない」、「面白いかどうかわからない」というような不確定要素の多さでいうと、人に勧めづらい側面があると思う。

でも。

「あらすじがない」ことは大きな魅力にもなり得る。

今まで誰も見たことがない展開や結果。
今まで誰も見たことがないゴール。

これらを「生で見た最初で最後の人」になる可能性も秘めているのだ。

もしかしたら、初めて見たその試合が、誰もが現地で見たかったあの試合になるかもしれないのだ。

これこそが、スポーツの魅力だと思う。

サッカーに限った話ではないが、不確定要素は時として興奮材料となり、魅力に変わると思っている。

だからこそ、これだけ多種多様なエンターテイメントが存在する世の中で、「サッカーは面白いよ!」と胸を張って言いたい。

そう言えるように頑張りたい。

観に来た人を落胆させかねない不確実性を、魅力に変えたい。

だからサッカーは面白い、と。

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