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日向坂46ドキュメンタリー「3年目のデビュー」感想&考察 ~The easy way has no meaning~

こんにちは。こんばんは。
おはようございます。

先日、8/7に公開された日向坂46のドキュメンタリー映画を見に行ってきた。
普段映画を見ることがないので映画館に入ったのが実に数年ぶりで社会人になってからは初めてである。
次の日は早朝から2泊3日の合宿で映画が19時からという強引なスケジュールだったが一刻も早く見たかったので多少無理をした。

今回はその感想と考察になる。

チームという生き物が大きくなるにはどういった過程を歩んできたのか。
フットボールにも通ずる部分があったのでそういったところも紹介できればと思う。

◆ねるのためのチーム

フットボールの世界に関わらず、組織には必ず"中心人物"というものが存在する。
ファンの方や映画をみた方ならお分かりだと思うがそうでない方のために簡単な説明をしておくと、現在の日向坂46というグループは元々欅坂46のアンダーグループの"けやき坂46"通称"ひらがなけやき"というグループであり、そのひらがなけやきは当時、欅坂46の1期生オーディションを直前で辞退したものの、紆余曲折を経て特例で加入した長濱ねるのために造られたチームである。

なぜ長濱ねるが特例で加入したかの経緯は話すと長くなるので、「日向坂46ストーリー」という本を読むかインターネットで簡単に説明が載っているはずなので目を通してもらえればと思う。

そんな彼女のために造られたある意味"急造チーム"だったのでグループとしての行き先が定まらない見切り発車だったのは当時を振り返っても感じる。
僕的には残留争いしてるチームが監督替えすぎてどうしたらいいか分からないまま降格していくのと近い感覚だった。

欅坂46のメンバーとして決して認められていたわけでもない。でも自分のために造られたチームがある。
当時のねるの気持ちを考えると、プレッシャーなんてものよりも遥かに重い重圧があったはずだし、そんな急造チームに宙ぶらりんの状態で加入した1期メンバーの気持ちは、どうしたらいいか分からないという言葉以外出てこなかったのが事実だろう。
それは映画内でも複数のメンバーが口にしていた。

◆グループを動かした"先導者"の存在

僕はこの映画を見て、ひとつ感じたことがある。
それは、「"先導者"と書いて"キャプテン"と読む」ということである。
佐々木久美という存在はまさに先導者であると感じた。

ひらがなけやきとして活動する中で、自分たちが思っていたアイドルの形とは程遠いものであったのは間違いないだろう。
映画内でもそういったシーンが多く出てきた。

グループとして何か活動があるわけではない。グループの先頭にいるべきねるがいない。このときすでにねるは漢字欅との兼任をしており、当然のごとくそちらの仕事で多忙を極めていた。
地方予選は代表活動に行ってていないけど、全国大会には出場するアンダー世代の代表選手みたいな感じになっていた。

そんなときにグループを先導したのが佐々木久美だった。
彼女はグループの現状、ねるの現状、自分たちの立場など全ての事情を飲み込んで腹を括った。
そんな彼女はひらがなけやきを"アンダー"という言葉から解放されることを目指した。
そうしてグループでの目標を彼女を中心に自主的に作ったことで一体感が生まれた。

ここに至るまでのプロセスをかなり割愛して申し訳ないのだが、映画をみる楽しみのひとつにしてもらえたらと思う。

僕は彼女が先導者としての役割を担ったのがこのグループ最大の成功だと思う。
他の人じゃできないとか、あの子はそういうタイプじゃないとかそういう消去法のような話ではなく、彼女が天性の先導者だったのが最大の理由だ。

別のインタビューで彼女自身が「誰からも教わってない」って言っていたように天性のものはその人が過ごしてきた環境がものを言う。
キャプテンという立場であるのを自覚してそういった振る舞いをしているとも言っていた。

我らがFマリノスの喜田キャプテンと共通する部分が多くあるように感じた。
締めるとこと寄り添うところの使い分けが素晴らしい。

成り上がる組織には必ずチームを締めれる頼れる先導者がいることを忘れてはいけない。

◆本当の"一体感"

この映画に関わらず、グループを常に応援してきてよく見ている僕の目にはこのグループの一体感は他のグループにはない「強い一体感」があるように思う。

具体的にどういうことか。
日向坂の強い一体感というのは、グループ全体に妥協がないことで生まれているように感じた。
全員がグループに対してアンテナを張れる。
全員がグループでの活動を行うにあたって、細かいことまで徹底できる。

本当に小さなことの積み重ねによるものだと思う。

挨拶を揃える。大きい声でする。
感謝をする。
これを誰か1人でも怠ったときにすかさず注意できる。

そういったことを先輩後輩関係なくできるのが日向坂の強味であると僕は考えている。
これをできる集団は必然と「慢心」というものが消える。

日向坂自体がここまで来るのにアンダーとして下の立場から這い上がってきたグループであり、様々な回り道を経ているので今こうやってグループとして日の目を浴びていることに常に感謝をしているが、そういったことだけでは謙虚さは薄れてしまう。

僕はこの映画で謙虚になろうとしているようではまだまだであることを実感した。
謙虚な人は謙虚になろうと思って行動はしない。
日頃の行いこそがその人の謙虚さを表すのだと。

どれだけ小さなことを妥協せずにやって、積み重ねられるか。
そして満足せずに貪欲にやり続けられるか。

フットボールという組織が大事なスポーツに関わっている以上、強いチームを作りたいと思うし、そのための強い一体感を生む行動として小さなことを徹底することの大切さを改めて感じることができた。

そういったものは簡単な道のりの中では拾えないものである。

◆アザトカワイくていいじゃん

ここまで僕の感想と考察をまとめてきた。
やはり、苦労しているグループなだけあって今グループとして注目してもらえているチャンスを全員で掴みにいこうとしている姿は本当に心の底から応援したくなる。

僕にできることは限られているが少しでもそれが力になってくれたらと思う。

ここまで来るのにたくさんグループとして努力をし、個人としても努力をしてきたと思う。
それは僕らが見れるものではないので、あくまで推測でしかないが1曲覚えることも、舞台やドラマをやることも、努力なしでできるはずがない。

だからこそ、

表に出るときぐらい、アザトカワイくてもいいじゃないか。
彼女たちが努力してきたことを全力で楽しんでもらえれば僕は十分だ。
それでこそハッピーオーラなのだから。

これからも乃木坂のように歴史を刻んでいくであろう日向坂。
そして今後益々ハッピーオーラが大きなものになることを願って今回の結びとさせていただきます。

ありがとうございました。


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