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Documentary of KEYAKIZAKA 46「僕たちの嘘と真実」感想&考察 ~Discord discord~

こんにちは。こんばんは。
おはようございます。

先日の日向坂ストーリーに続いて今回は欅坂46のドキュメンタリー映画を見てきた。

見終わっての率直な感想を先に述べると、かなりカロリーを消費する映画だったという印象。
映画を座って見ているだけだったはずなのに…
それだけ2時間近くの映画で欅のここまでの激動が描かれていたと思う。

そんな映画の感想、そして考察を僕なりの言葉で記していければと思う。

あと、この映画は絶対映画館で見たほうが良い。

多少被る部分もあるが、過去にも欅のことについては僕のnoteでも考察をしているのでぜひそちらも読んでいただきたいと思う。

※敬称は略させていただいております。

◆寄り添い力

映画のタイトルが「僕たちの嘘と真実」。
実にパンチの効いたタイトルだ。

タイトルもさることながら、僕は石森虹花が冒頭で話していた言葉がとても印象に残っている。
「いつも円陣で手を繋いでるとき、みんなで崖の上に立ってるみたい」。
この発言は欅が常にギリギリの状態だったことを表しているのではないだろうか。
映画を通して虹花が常に平手に寄り添っている映像が多くあった。平手やその周りに関しては次で詳しく触れるが、こういった寄り添いは1人が手を離して落ちてしまったら皆が一緒に落ちてしまうことを誰よりも察していたのだろう。

この他にも9thシングルの選抜発表後の映像やインタビューを聞いても虹花の寄り添い力は目を見張るものがあった。
「自分が入れなくても、あれだけ頑張ってる子が選ばれないのが納得行かない。」
この発言から分かるとおり、ホスピタリティーの塊である。

彼女の寄り添い力がなければ…
と、考えれば考えるほど石森虹花という人間を応援したくなる。

◆嘘と真実、そして"0番"

世間では欅のメンバー同士が不仲である。という言葉だけが先走ってしまったが実際はそうではないというのはここで言っておきたい。
ただ、1人ひとりに余裕がなかったという言い方はできるかと思う。

0番の存在があまりに大きかった欅にとって0番が不在になってしまうことは全員が崖から落ちることを意味していた。
そういった予測できない緊急事態に常に落ち着いて対応するのは難しい話だ。
言葉のニュアンスは違えど、似たようなことを他のメンバーも言っていた。

欅坂46は平手ありきだった。
この話は以前、平手が脱退を発表したときにnoteにまとめているのでぜひ読んでいただきたい。


叩かれるの覚悟でいえば、この映画は「Documentary of 平手友梨奈」とも言えると思う。
中心人物だったのは間違いない。
けど、ここまで平手がベースにグループが動いていたことには少し驚いた。

スバ抜けた表現力。アーティスト性。ルックス。存在感。
欅だけじゃなくその他乱立する色んなアイドルを見ても天才的でスペシャルなものを持つ平手にメンバーたちも少し頼りすぎていた部分があったのではないだろうか。
映画内で守屋が「平手のバックダンサーみたいなところがあった」と話していた。普通であれば反対する人間が出てくるはずだし、実際表には出てないがそれを良く思わない人間もいただろう。
しかしこれは平手がスペシャルが故に半分開き直ってるように感じられた。

平手が直前で出演を見送ったライブの裏側のシーンが平手の存在が大きいことを表しているように見えた。
メンバーの動揺。センター歯抜けでパフォーマンスする不安。プレッシャー。
当日に出演しないことが決まったので演出上、歯抜けでやるしかないとこもあったが二人セゾンで小池がソロダンスを踊ったところはとても胸を打つものがあった。
彼女の覚悟と割り切り、そして何より僕は小池自身のために踊ったと思っている。
成長のため、もうひと殻破るために彼女が踏み出した一歩は感動したし、自分も頑張ろうと思った。

そんな彼女が9thシングルで選抜から外れてしまった。
その選抜発表の映像も少々残酷だった。
実に難しい世界であると感じた。

こういった難しさも含めて、胸が苦しくなるシーンが多く、そういったことでかなり消耗した気がする。

◆不協和音が起こした不協和音

タイトルに「嘘と真実」とあるとおり、実際に何が嘘だったのか。

先にも述べた通り、メンバーが不仲というのは真実ではないと言える。
平手がライブなどを休演してた理由は体調不良ではなかったのがこの映画を見て分かった。つまり体調不良は嘘である。
ではなぜ彼女は出なかったのか。
そこはぜひ映画を見て確認していただきたい。
ただ、平手友梨奈が欅坂46としてのパフォーマンスをするために磨り減らしたものは僕らが想像して言葉にできるものではないということはひしひしと伝わった。

不協和音のPVのため、ひとつの作品のために自ら孤独になる道を選び、不協和音になることを選べる人間がこの世に何人いるだろうか。

そういったところで平手は一切嘘をつかなかった。
グループのメンバーも嘘はついていない。
ただ、お互い気持ちの表現は上手ではなかった。

それがいつしか分からないへと繋がった。
メンバーも異変には気づいていた。でもどうしていいか分からなかった。
とはいえ、不協和音で平手がここまで命を削ってパフォーマンスしようとしていたとは誰も考えていなかっただろう。
まさに不協和音が起こした不協和音のように見えた。

実際映画でも不協和音の話題のときのメンバーの表情が心なしか少し険しいように感じた。

僕にはそう映った。
真意は分からない。
何ならもう一度見ようと思ってる。

何度見ても答えは出ないと思う。
言葉では表せない難しいことだろう。

◆伝説から伝説へ

去年の紅白後、平手は全員に声をかけ、自身の欅坂として最後のパフォーマンスになるということを伝えたという。
1期、2期に関わらず全員に声をかけたあのシーンにこれまで寄り添ってもらったメンバーに対しての平手なりの感謝のように見えた。
平手は平手なりにメンバーに寄り添ったのだ。
天才のあのようなシーンは平常心では見れない。

欅坂46は名前を変えて再スタートする。
僕はこの欅坂46は伝説になると思っている。
これだけ孤高のアイドルグループになれたのだから。
伝説のアイドルグループの伝説のセンターはいつまでも語り継がれるだろう。

だが、グループが選んだのは新たに伝説を造ることだった。
また別の困難が訪れるだろう。
だが、不協和音を恐れず頑張ってほしい。

そして僕も不協和音を恐れたりしない。


※インタビューはさすがに一語一句間違わずは覚えれてないのでニュアンスで書いております。
間違っていたらごめんなさい。

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