ルーツミュージックから考える特異なプレイリズム~日本人の場合~
■要約すると
・ラテン音楽と欧州的音楽から考えると日本のルーツミュージックにも特異性が見られる。
・日本のルーツは、通説となっている通り「間」を尊重する文化とも結びついているが・・・
・それは劣性的な特徴ではなく、武器になる局面は間違いなくある。
【文:黒田 泰孝(twitter→@an_tropical)】
‘93年Jリーグ開幕戦の抽選に当たるなどサッカーに縁浅くない割に、中学・高校はバスケ、大学ではジャズの道を進むなど方向性のない、興味がある事にはまず触れてみるスタイル。浦和レッズを気にかけて追いかけるものの、欧州サッカーも見たいという欲張り振りで寝不足ぎみ。好きなものは美味しいお酒と美味しい食べ物、そしてほんのちょっとの面白い話。All or nothingを完走した今、何を見ようか悩み中。オススメ募集中。
イントロ
前回記事ではブラジルのルーツミュージックからポリリズムと言う特異性が見られるという内容で書かせていただきました。その中で「実は、日本の音楽的下地も(現代においてそれが本当に我々に残っているかどうかはさておき)欧米と比較して特殊ではある」とも書かせて頂いた部分があったのですが、今回はそこら辺にフォーカスして一つの仮説をご紹介したいと思います。
1.日本のルーツミュージック
さて、前回記事イントロでも触れましたが「急ぎ過ぎる」または「遅すぎる」と表現され、海外のスピード感に慣れなければ世界で活躍する事は難しいと言われる事もある日本人のプレイリズムですが、本記事を書くに当たって考察を進めるうちに、その理由の一端が見えてきたように思います。
本稿の中で日本人のルーツミュージックから考える特異性を感じて頂くために、まずはこの動画をご覧頂きたいと思います。
これらは日本の伝統芸能として今も生き残っている雅楽、そしてその中で神事などにおいて奉納される事もある納曾利舞、そして狂言です。
前回ご紹介したアフリカン、そしてラテンミュージックと比較しても、またよく聞かれるロックであったりポップスであったりのメジャー音楽と比較しても、「拍」という概念が薄く、かといって前記事で触れたラテン音楽にあるような大きなリズムのかたまりもない事が聞いて取れると思います。
しかし、ぼんやりとではありますが、それぞれの楽器の発音、そして動きであったりがなんとなく合っている様な、そんな感じはしませんでしょうか?
これは通説として皆さんの耳に入ったこともあるであろう【日本人が「間」や「空気」を重視する文化を持つ】と言われる事ともつながります。
2.ルーツミュージックから考える日本の特異性
実際には、雅楽においても拍子という言葉で伝わる西欧音楽におけるリズムに相当するものはあるようですが、「~小節たびに太鼓が鳴らされる」というもので「拍」という概念からは遠く、かといってラテン音楽の様に大きなリズムパターンのかたまりの上に成立するものではない様です。(※1)
そのため、リズムを大きく捉える流れの中において遠い距離を持った拍節を合わせるためには「間」や「空気」を読む必要があったのではと推察しています。
この「間」や「空気」を重視する文化が拍の概念を基礎に持つ欧米の音楽とリズムのかたまりを基礎に持つラテン音楽と比較して異質、特異であると言えます。
そして、この【「間」や「空気」を読む事】ですが【日本人は同調する事が比較的得意なのでは?】と言い換える事が出来ます。
同調・・・なんか前の記事でも書いた気がします。いや、書きました。
前の記事をご覧頂いた方は思い出してください、ご覧頂いてない方は読んでみてください。
前記事では「ジンガ」に触れた部分、カポエイラという武術が持つ「同調性・同期性」という特徴が影響していると書きましたが、その部分においては日本人のルーツミュージックから考えられる特性と似ている部分があるように思えます。
では、なぜ日本人選手のプレイリズムは「急ぎ過ぎる」または「遅すぎる」と表現される事が多いのでしょう?
改めて、日本と欧米の音楽的基礎においての違いを改めて整理してみましょう。
・ラテン音楽は違う拍子が同居するポリリズム的構造と、共通したリズムパターンを持つ。
・クラシック音楽をはじめとした欧州で発展を遂げた音楽は「拍」を骨格に持つ。
・日本のルーツミュージック(雅楽など)は大枠として基準点を持つが「拍」という概念が薄い。
いかがでしょうか。こうして並べてみると欧米にあって日本に無いものを考えた時に、この「拍」というものが一番大きな違いとなります。
実は、海外の音楽、特にラテン音楽を含むブラックミュージックを模範として日本が取り入れた時に一番の障害となるのがこの「拍」であったりもするのですが、だからこそ、と言うべきなのかもうひとつよく指摘される事が【日本人は拍を細かく捉えようとし過ぎる】ということ。
もともとルーツミュージックが持つ枠組みが大きすぎるが故に「拍」の概念を持つ海外の音楽を取り入れようとした際に、その一番の差異である「拍」自体を掌握しようとしてしまうのではないか、そしてその意識がグルーヴを表現する事を阻害しているのではないかと言われています。
(余談ではありますが、日本人がかつてブラックミュージックではなくクラシック音楽に影響を受けたと言われているのも交易などによる影響以外にも、ここら辺が影響しているのではないかと考えています)
そして、このグルーヴを表現する、という事に対して言われているのは遅くなる事だけではありません。「拍」を捉える事に没入する事によってグルーヴを捉える流れのかたまりから逸脱する事を指しており、当然「拍」の刻みが速くなる事も指します。
さて、ここまで長々と書き連ねてきましたがやっとルーツミュージックから考える特異性と日本人サッカー選手の評価が紐づいてきたのではないでしょうか。まとめると、
日本のルーツミュージックから考えると日本人のプレイリズムは「拍」や「リズムパターン」という骨格を持たないが故に「間」や「空気」を読む事によって同調する事が可能なはずなのに枠組みから乗り切れずに逸脱する傾向がある
という事が言えるのではないかと思います。
3.日本人選手が世界で伍する為に
さて、ここまでを読んで「なんだ、やっぱり日本人選手って世界と比較してダメじゃない?」と思う人も多いんじゃないかと思います。
自分もそう思っていました。
しかし、少し考えてみてください。
完全ホームという雰囲気の日韓ワールドカップを除いて考えたとしても、南アフリカワールドカップ、そしてこの前のロシアワールドカップでは日本代表はベスト16に名を連ねる事が出来ました。
そして、海外リーグでは少なくない日本人選手が活躍し、リーグレベルは様々だとしてもいずれトップリーグへ上がる事を目標に集まった新鋭たちと鎬を削っています。
音楽的側面から考えた場合にも、日本人ジャズプレイヤーが海外で活躍するケースは少なくありませんし、なにより日本人プレイヤーが苦労すると言われているジャズをはじめとしたブラックミュージックです。そう考えると、ここまで語ってきた日本人選手の特異性が世界の選手と比較して果たして悪い事なのか、と考えた時にこれまでの結果を見るとそうではない、と断言しても良いと思います。
幸いにして、と表現するのは少しおかしいですが、近年の戦術的進歩と守備技術の向上により前回記事で紹介した名手たちの様にポリリズムを存分に発揮する為のスペースと時間は限られてきています。
仮に対面される場面を作られたとしても組織として整備されていれば対等に渡り合える、という環境でもある訳です。
その一例として、酒井宏樹選手が所属するマルセイユがPSGと対戦した時に、まさにその通りなのでは、と言えるシーンがありましたので紹介したいと思います。
ここで注目して欲しいのは酒井宏樹選手がムバッペの突破に合わせたアクションのタイミングです。
ムバッペが前傾し、突破を図ろうとしたのとほぼ同時に酒井宏樹も動き出しています。もちろん、彼の身体操作を含めた守備技術であったり反応速度、対面したシーンでは酒井宏樹選手の後ろにもう一人DFが控えており、ムバッペのカットインに備えていた、などの要因も含めての結果であるのですが、ムバッペの爆発的な速度に対抗する事が出来ているという事実から、他の日本人選手においても酒井宏樹選手の様な高いレベルに至る事が出来る可能性が見えるのではないでしょうか。
(余談ですが、ちょうどこの記事を書いている時に日本代表対ベネズエラ戦を見ていましたが、酒井宏樹選手はこの動画と同じ様に対面した選手のアタックのタイミングに合った動きを見せていました)
さて、今回紹介したルーツミュージックから考えられる日本人の特性は守備時の事例のみの紹介となりますが、この特性が世界と伍する為に決して劣性を示すものではない、という認識が少しでも広がると良いなと思っております。
攻撃時に活かせるものがあるかどうか、という疑問ももちろん出てきますが、それはまた機会を頂いて仮説を紹介できれば幸いです。
【音楽取材協力:杵渕政希(twitter→@butimasakine)】
【参考URL・・・※1雅楽におけるリズム・拍節】