リーグカップ決勝のPK戦
ジーコは、これまでに様々なことに対して意見や提言をしてきました。
これは、今でも大会の実施要綱にも記載されている事です。
それは、現在では「ルヴァンカップ」と名称を変更した以前の「ナビスコカップ」での出来事でした。
1999年の決勝は、柏レイソル vs 鹿島アントラーズの対戦でした。
この年は、ゼ・マリオ監督がシーズン途中で辞めて、ジーコが監督代行として、ベンチに座りました。
柏レイソルの監督は、覚えている方が多いと思いますが、西野朗前日本代表監督でした。
そういえば、今では普通に使われるようになった「テクニカルダイレクター」を、Jリーグで初めて使ったのは、ジーコでした。
当時のJリーグで役員登録するのに、「テクニカルダイレクター」というのがなくて、登録可能な役職で職務に近い役職で登録しました。
さて肝心の試合は、大激戦となり、試合終了間際にレイソルに追いつかれて、2-2のスコアでPK戦での決着となりました。
このPK戦をおこなう前に、審判団より「ホームの柏レイソル側でおこなう」と伝えられたところ、ジーコが審判団に質問をしました。
「中立地のスタジアムでの開催だから、柏レイソルのホームゲームではない。PK戦をおこなうサイドは、コイントスで決めるのがフェアではないか?」
この時の結論としては、柏レイソル側でおこなう事が採用されましたが、改めてJリーグ事務局に意見したところ、この意見が採用される事になり、今でも大会実施要綱の中に「PK戦のサイドは、コイントスで決定する」と記載されています。
もし今後、カップ戦決勝でPK戦となって、サイドを決めるコイントスをしていたら、この話を思い出して下さい。(笑)
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