言語化の可能性
大学の数ある授業の中でも、1番面白いと思える授業があるのですが、その教授がオススメしていた本を先日買って読んでみました。
それが『自分と未来のつくり方 情報産業社会を生きる』です。
この本の趣旨は
「現代の情報産業社会を生きるために、私たちはどのように自分を形作り、どのように未来を切り拓いていけばいいのだろうか」
ということです。
「情報産業社会」なんて言いますけど、大学生の私にとって、テレビ、インターネット、携帯なんてものは生まれてから当たり前にあるもので、今までさほど疑問視してきませんでした。
ただ著者は、この時代に生まれてきたからこそ、情報産業社会の特徴と、危険性を理解し、この社会を生き抜いてほしいと述べています。
また、メディアや周りの人の欲望に流され、みんなが欲しいものが自分の欲しいものになってしまい、自分が欲しいものが分からなくなってしまうと述べています。
確かに服が欲しい時は、インターネットで検索したり、Instagramでハッシュタグを元に検索したり、雑誌をかって流行をチェックしたりとそれは本当に自分が欲しいものなのかわからなくなります。
つまり、私たちの無意識下で私たちはメディアや他者によって意思決定を左右されてると言えます。結局、自分1人ではなにも決められなくなってしまう危険性が今の社会にはあると思います。
もちろん私にもその危険性があります。だからこそ、やらなければならないのは思考力、想像力を鍛えることだと思います。それは自分の言葉で表現することです。私はサッカーを長年やっていますが、サッカーにおいても言語化というのは重要だと感じています。
文字の力は三段論法で表せると著者は述べています。
「1.この世のあらゆることがらは
文字で表すことが出来る
2.文字で表せるものは意識化できる
3.だからこの世のあらゆるものは
意識化できる」
サッカーの話に例えるならば、裏をとる動きを今までは頭では分かっていても、それを言葉にして味方に伝えることは難しかったかもしれません。しかし、どのような状況の時、どんな動きをすれば「バ」なのかと言語化(裏をとる動き=バ)出来れば、意識化を共有できます。共有できれば再現することができ、プレーの幅は広がります。
言語化は意識化だけにとどまらず、成功失敗をランダムに繰り返してた事象を、成功として再現可能にすることが出来ると思います。
サッカーにおいて、スペインでは存在する言葉が日本語として表現出来ないということは多くあります。それを言語化できれば、日本全体として、プレーの幅(抽象的ですいません)は広がると思います。
現にとんとんさん(https://twitter.com/sabaku1132)は「ドリブルアット」という、バスケで使われていたプレーをサッカーにも適用し、言語化することによってドリブルアットの再現可を促進したと思います。
(とんとんさんのブログ「鳥の眼」https://birdseyefc.com)
自分の言葉で表現することに付随して、言語化だけでなく、私もとんとんさん(https://twitter.com/sabaku1132)ように、発信する側になっていきたいと思います。
長々と読んでいただき、ありがとうございました。