鹿島アントラーズとOBたちとの幸福な関係
僕がサッカーの奥深さを初めて知ったのは、相馬直樹のプレーからだった。
いてほしい場所に、いてほしい時にいる。頬を膨らませながら走り、左サイドを支配する背番号7の姿は、1人の少年をサッカーの虜にしていった。
僕にとって相馬監督は待望だった。
一方で選手としての鹿島との別れ方を見ると、叶わぬ夢とも思っていた。
だからザーゴ監督のもとでコーチになると聞いた時、喜びしかなかった。近いうちに監督にもなるだろう。
理想的ではなかった。シーズンの頭から、希望する補強やスタッフでスカッドを整えた上でやってほしかった。
それでも、関塚隆や手倉森誠がタイミングが合わずに鹿島の監督になれなかったことを思えば、実現しただけでも喜ばしかった。
混乱のなかにあった鹿島を整え、建て直した。
ある程度まで行き着くと、閉塞感が漂ってきた。
いずれも予想どおりだった。これまでの監督キャリアを見れば、そうなるだろうと。
後半戦だけなら川崎と勝ち点3差の2位で、最後の月間最優秀監督になっても、監督交代は頷けるところがある。
しかし。相馬監督が失敗だったわけではない。堅固な守備を取り戻し、降格すらちらついたチームを4位に導いた。
なにより、また相馬とともに戦えた。あの戦力外通告で終わったかに思っていた物語が、続いていた。
幸せな8か月だった。
元選手が監督やコーチとして戻ることは、終わりの始まりだと言われる。
だがこのクラブに息づく絆は、たとえその歩みが失敗で終わったとしても、そこで切れてしまうような弱いものではない。
例えば石井正忠は、解任された後もスタンドで試合を観戦していた。今は多くのサポーターがタイでの奮闘を見守り、ACLでの邂逅を夢見ている。
彼が引退後にコーチ・監督として戻ってこなかったとしたら、ここまで永く愛されなかったかもしれない。
かつて深紅のユニフォームを身にまとい、すべてをチームに捧げた男たちと、再びともに戦う。
終わったはずが、続いていた。
こんなに素晴らしいことはない。
OBでなければいけない、とは思わない。でもOBに相応しい人材がいるなら、それに越したことはない。
鹿島のOBは人材の宝庫だ。ホテルの支配人から、報道ステーションのキャスターまでいる。
国内では5年連続無冠。ピッチで繰り広げられるサッカーに古さを感じたのも事実で、主将が最終戦スピーチで警鐘を鳴らすほど事態は逼迫していた。
鹿島は変化を必要としていた。
そこへ、レネ・ヴァイラーというスイス人が監督になった。
ヴァイラー監督には期待しているが、ブラジルにこだわることを止めた寂しさもある。
変化は必要だが、鹿島が鹿島でなくなってしまう不安もある。変えるものと、残すもの。変化のための我慢と、目の前の勝負。
そのすべてを背負い、良い方向へ導ける人物が必要だった。
そしてそれが誰かを、僕たちは知っていた。
岩政大樹が戻ってくる。
僕は彼の”PITCHLEVEL ラボ”の会員なので、人より多くその言葉に触れてきたが、コーチ就任にあたっては彼なりのビジョンや要求があり、鹿島がそれを呑んだ、あるいは今後の方向性と合致したのだろうと推察する。
鹿島にとって耳が痛いことを言ってきた岩政にコーチを打診したことでクラブの覚悟も感じた。
それでも、彼こそが適任だと思う理由は、現象を分かりやすく言語化する解説や、示唆に富んだ数々の理論や、様々なカテゴリーの指導で自己研鑽を重ねてきた姿ではない。
それが出来るOBだからだ。
解説者然として外から苦言を呈する姿は、ともすれば冷たく見えただろう。でも岩政はいつも熱かった。
「だって僕は解説者で今は外の人間だから」と言い放っても、ラブコールにしか聞こえなかった。本人の本心は当然知らないが、少なくとも僕は、鹿島愛しか感じなかった。
そんな男が、理屈と言葉と情熱を兼ね備え、結果を引き受ける覚悟を3番としてまとった男が、戻ってくる。
僕らには、すでにたくさんの物語がある。
シジクレイに屈したナビスコ、号泣の大逆転優勝、カシマに虹をかけたヘッド、埼玉での渾身のシュートブロック、等々力の挫折と長居での最後のガッツポーズ・・・
そこにまた、新たなページが加わる。
それだけで素晴らしい。夢のようだ。
でも、僕たちは知っている。
鹿島での物語は、勝利のために日々全力を尽くすことでしか進まないこと。そうして手にした勝利は、物語を格段に彩ってくれること。絆は永遠に切れないけれど、勝った方が良いに決まっている。
多くのOBたちと同じく、この地での戦いに戻ってきた岩政大樹へ大いなる敬意と愛を。
ビール腹になるのは、まだ先のことのようだ。
またともに戦って、勝とう。
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