鹿島アントラーズらしさと、低迷の原因

 僕が考える鹿島らしさを、書きながら整理してみる。ただテーマが壮大すぎるので最初に言い訳を。
 僕はただの素人サポーターなので当然「これが正解です」と言うつもりは毛頭ない。また、世代的な問題で、イメージは第1期セレーゾ政権以降、特にオリベイラ監督や石井監督の鹿島である。歴代最強は97年のジョアン・カルロス時代と言われることもあるが、そのサッカーの内容までは記憶に残っていないのでご容赦願いたい。
 これから偉そうなことを言うが、素人サポーターの日記にすぎないので、その点を念頭に置いていただきたい。

 さて、鹿島らしさを一言で言うとすれば。

 『後の先』
 これは相撲や武道の言葉である。
 意味としては、立ち合いで一瞬遅れたように見えるが、相手の出方を見た上で自分のやり方を決めて対応し、実は先手を取っている、ということ。
 主導権を握るための”あえて”の遅れである。
 これを実現するために必要なのが守備力。いったんは相手の立ち合いを受けるためであり、いわゆる「ゲーゲンプレス」ではなく、受け止める守備。だからブロックを作ってどんな相手にも対応しやすい4-4-2を採用しているし、ベースは守備と言われる。
 ただし、これを引いて守るとか、守備的と捉えるのも間違い。守備力が高いからといって、耐えて一発で仕留めて勝つのが鹿島らしさ、ではない。あくまで主導権を握るために、相手の立ち合いを受け止めるための守備。
 攻撃も同様で、サリーなどの決まった形ではなく、相手の守り方を見た上で弱みを突く。ボールを持ったらサイドに揺さぶったり裏のスペースに蹴ってみたりして、穴を見つける。または作る。サッカーは得点が少ないスポーツなので守備よりも攻撃の方が難易度は高く、なかなか崩せないことも多いが、必殺のセットプレーを備える。

 『後の先』の熟成が難しいのは、相手の出方を見て自分たちがどうするかを、その場でチーム全体が共有する必要があるから。
 だから強化部が”新築”と表現し、ザーゴがやろうとしていた「立ち合いでとにかく先に立つ」という主導権の握り方のほうが、最初からやることが決まっているので分かりやすい。守備はゴールを守るのではなくボールに向かってアタックし、攻撃はビルドアップの形を定めて運ぶ。もちろん相手に応じた対処はするが、まずは自分たちの形ありき。
 だが浸透しきらなかった。ザーゴの手腕の問題か、昨シーズン途中で強化部が促した妥協のせいか、選手の能力や特性によるのか、もしくはクラブのアイデンティティが受け入れなかったのか。そして今後はどの方向に進むのか。これらは分析と整理が必要だと思う。

 『後の先』にしても、これだけ情報やデータが溢れ、スカウティングの技術が発展している時代に、主体性なく試合に入るのは時代遅れ、と言われるかもしれない。それであれば理解はできなくもないが、鹿島らしさは精神的なものでしかないとか、曖昧に何となく言っているだけ(そういう解説者も多いが)というのは同意しかねる。
 ”かたちを持たない”という主体性であり、強さだ。こう言うと曖昧に聞こえるが、主導権を握る方法論としては明確だと思う。

 さらに言えば、「献身・誠実・尊重」といった精神性や、「何よりも勝利を優先する」「球際で闘う」「チームや仲間のために走る」というのはサッカーの原点であり、それはピッチにおける鹿島らしさとは違うと思う。もっと根源的で、何よりも重要なものではあるが、方法論ではない。

 では現在の低迷の理由は何か。
 3連覇以降、無冠が続いたのは2013-14年と、2019-20年である。リーグ優勝を逃したのはその前後の年(2010-15年と、2017-20年)である。詳細は割愛するが、2016年は紛れもなくリーグ優勝=リーグ最強であったと考える。
 2010年からは3連覇世代からの世代交代期であり、実を結んだのが2016年の2冠とCWC。本来であればそこから黄金期がはじまるはずが、柴崎の移籍とあの磐田戦ですべてがひっくり返ってしまった。
 2017年からは海外移籍の多発と、大岩監督の方向転換が大きいと思っている。
 それは守備のやり方で、極端に人を意識するやり方にしてしまった。そのため相手の動きを後追いするだけで、『後の先』ではなく「単なる後手」になり、主導権を相手に渡すこととなった。象徴的なのが2018年のホームでの札幌戦と仙台戦で、個の力では勝るものの形を作ってボールを動かす相手に成すすべなく支配された。
 それに、移籍加入選手が増えたことも相まって、いつしか鹿島らしさが「リアクションサッカー」「耐えて勝つ」と誤解されるようになった。
 ここでクラブは、主導権を相手に渡すことが鹿島らしさではないと、ザーゴを招聘し、主導権を握るサッカーを新築しようとしたのだが、先述したように『後の先』で主導権を握るサッカーはずっとあった。ここを見誤ってしまったこと、そしてザーゴ流の「立ち合いでとにかく先に立つ」主導権の握り方を浸透・徹底できなかったことが、昨季からの低迷の原因だと考えている。

 今後、鹿島らしさを取り戻すということが、直近の「単なる後手」なのか、主導権を握るための『後の先』なのかに注目したい。
 それと同時に、様々な要因で『後の先』が難しい時代にあるのは事実なので、生え抜きを増やすという最近の方針と合わせてその難しいことに挑戦するのか、もしくは一旦諦めた「とにかく先に立つ」方にもう一度舵を切るのか。
 いずれにしろ、大きなターニングポイントにいることは間違いない。

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 と、ここまで書いて、やはり曖昧だと感じる人もいるだろうとは思う。しかし試合を観ていて、鹿島らしいチームだ、鹿島らしいプレーだと感じること(逆も然り)は多々あるので、僕の文章力や表現方法の問題だ。
 もしくは、これ以上具体的になると、それは監督のスタイルでありクラブの特徴とは違うものであるとも思う。クラブではなく監督のスタイルが優先で重要な時代なのだ、と言われればそうかもしれないが、そうであるなら『後の先』をベースにできる監督を呼ぶ方が適応しやすいのではないか。つまり今回のザーゴ監督の失敗は、クラブとして自分たちを見誤ったことによる失敗だとも言える。

 具体的なプレーにも鹿島らしさはある(例えば攻撃的SBの定義やボランチのポジショニングとトラップ)と思っているが、ここまでしか書けなかった。
 いつか機会を見て書きたいが、まずは明日の相馬監督の初陣に注目したい。
 相馬監督が昨シーズンからの鹿島の問題をどこと考え、何を修正するのか。時間は前に進むしかないわけで、これまでの鹿島らしさを取り戻したとしても、それは過去へ戻ることではない。
 鹿島アントラーズの原点は、いつだって、次の試合に勝つこと。
 最後に曖昧で精神的なことを言ってしまったが、これがすべてのベースにある。
 はっきり言ってしまえば、相馬直樹が監督であるという時点で燃えないわけはないし、ややこしい話は置いておいて勝つことのみを望む。
 ただ、やはりサッカーを考え語ることは楽しいので、勝利という大前提の上で、相馬監督がどんな方法論を見せてくれるのかにも注目したい。

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