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愚考2021年08/25

大掃除をしてる

母親の終活の一端で貰ってた机の代わりに元あった机の排除なんかをしてる パソコンやゲームテレビの配線もなかなか苦戦してる。

その中で写真のような懐かしい逸品も出てくる。(他に見せられないものもあった)

そんな大掃除において
「暮らしやすく」する目的のための作業とは常に
「どうでもいいもの(相対的)」

「いるもの、いらないもの(絶対的)」に振り分けられるか

にかかってるのだろうかと最近は痛感してる。

例えば話をするにしても
「相対的」なものを軸にすると、どうしても状況で意見がブレがちになるものだ。
「絶対的」なものを軸に言の葉は紡ぐ必要がある

二律背反な輩はどうも「相対的」が軸にある 重箱の隅をつつくヤツらは大概そのふしがあるし

カリスマコメンテーターに流されやすい。

カリスマを作ってるのは大衆なので自己催眠をマッチポンプしてるようなもんだ。

絶対的とは筋トレを毎日継続するような個の意志に通じてる。

相対的に話すヤツ多いけど部屋は片付けできてんのかな?

整理整頓には絶対的思考が必要なのかもと思う

愚考でした

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