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ニート、漫画に説教される




 すごく・・・・・・心が痛いです・・・・・

 俺はニートである。ニートであるから新都社の漫画を読む、当然の帰結である。
 そういう訳で、新都社の漫画をダラダラと読んでいた。深夜の4時に。
 上に置いたのは、今となっては有名過ぎるほどに有名な漫画家のワナビーだった頃の作品である。 オチは少し変化球だが、導入からその部分に至るまでが本題であることは明白だ。その部分の内容は良くある説教に過ぎない。似たような内容の漫画は腐るほど見て来た。恐らくはみんなもそうだろう。結局の所「努力しろ」って話だ。松岡修造とかシャイア・ラブーフでもいい。ありふれた言葉の、ありふれた漫画である。
 
 それでもやはりダメージを受けざるを得ない。
 “馬鹿”という言葉がありふれているからと言って、そう言われることに免疫が付くわけでは無いことは、諸君らもよくご存じだろう。
 俺は努力が出来ない、したく無い、やってもすぐに止めてしまう。そんな難病を抱えている。末期であると言っても過言では無い。
 特に診断とかは無いが、そうでないと説明の出来ないゴミさ加減だから、まぁそうなのだろう。

 そんな捨てる事の出来ない粗大ゴミであるこの俺だが、ついさっきこの漫画に正面からメタメタに論破された。蹂躙された。ポイっと捨てられた(捨てられてんじゃん)

 そしてショックを受けた。
 別に怒りは感じない。強がりじゃない。実際に生じた感情は失望である。俺という人間が今まで無駄にしてきた時間と、そしてネットに落ちてる漫画ごときに論破されてショックを受ける自分自身の矮小さに対する失望だ。むしろ今の自分の境遇を度外視して、客観的な視座に立てば、普通に良い作品だなぁ、とすら思う。「ちゃんと生きてればこんな漫画に遭遇してもノーダメだったんだろうなぁ・・・・・・」と、心底そう思った。俺みたいな奴に説教するのは、是非とも法律で禁止していただきたい。魂の殺人である。

 ・・・・・・さて、これから俺はどうするべきだろうか?
 順当にいけばこの漫画に説教されたように努力する、行動する、働く、とかだろう。
 でも、こんな漫画に感銘を受けて努力するなんてことは死んでもしたく無い。俺は天才だ。凡人の主張に影響されて右往左往するのは流儀に反する。
 なんて考えてるが、少し自分の人生に対する縁起を過大に見積もりすぎかと思わなくも無い。俺の人生は『少年がある日突然、日系ブラジルの半分浮浪者にそのサッカーの才能見出される』ように、劇的な出会いがあるべきだ。なんて考えてる。

 でもそんなものある訳ない。俺は只の中年ニートだ。
 結局の所、今は盛大に成功している漫画家のかつて描き捨てた雑な漫画に影響を受けて努力をする――という事を受け入れながら生きて行くしかない。それが大人になるって事なのだ。・・・・・・クソがっ。

 でもやりたくない。嫌な物は嫌だった。
 かと言って逆張りで今日一日、何もせずに横になっているなんてことも生まれ変わってもしたく無い。これ以上停滞すれば後はマジで死を待つだけだ。第一、何日ダラダラし続ければ影響を脱したと言い切ることができる?そんな境界線は無い。結局現時点からやるしかない。

 だから折衷案として、今から一日だけnoteを頑張ることにする。
 その後永遠にダラダラとし続けよう。それなら何の問題も無い。

 まずは一昨日書き始めて今まで放置していた、『私はホヤになりたい』を書いてnoteに投稿することを目指す。がんばろう。


 (p.s.ちなみに好きな新都社の漫画は『ライブオブジョブ』と『なまこモン』です!)


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