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私はホヤになりたい

 寝ながら成功する方法というのは無いものだろうか……

 毎日更新が途切れやる気を失い、部屋の中でアスファルトの上で溶けたアイスのように横になっていると、俺はふとそう思った。

 ……うん。起きて何かをするなんてことは異常だ。
 これは決して、今考え付いたという事では無く、恐らく水面下で俺の中で醸成されてきた考えなのだろう。
 またニートであるが故のポジショントークという訳でも無い。俺が働いていたとしても遅かれ早かれ同じ結論に至っていた筈だ。(でも早まったことは否定しない)

 人間は色々行動している。今俺がこうして横になっている間にも。

 呼吸したり、
 歩いたり、
 重い物を持ったり、
 耕作したり、
 仕事したり、
 犯罪を犯したり、
 交尾したり、
 人を殺したり、
 まぁ、とにかく色々。
 この地球上の上で80億人がそうしているらしい。


 ・・・馬鹿じゃないの(笑)


 今、心底そう思う。だって面倒くさくないか、なんか。
 まぁ、この嘲笑だけだと共感なんて微塵も得られるはずも無いから、もう少し論旨を展開していかないと駄目だろう。そういう訳でグダグダと書いて行く。暇ならお付き合い願いたい。(暇じゃなくても読め)



 まず初めに問いたい。何故人間は行動するのだろう?と。
 それは勿論生きる為だ。
 100人に聞けば100の言葉でそう返ってくる。

 では何故生きるのだろうか?
 そう聞くと、千差万別の答えが返ってくる。
 つまり何も分かっていないと言う事だ。少なくともコンセンサスは無い。(俺は天才なので当然理解している)
 とにかく、人間達が訳も分からないことに従事する――生きる為に動き続ける。という事を自らに許容しているのはやはり異常の事のように思える。
 そこで俺は思った。


 私はホヤになりたい――




ホヤ
ホヤ
ホヤ
これもホヤ
勿論ホヤ
ホヤの幼生

 ホヤはスマートだ。
 確かに上に見た通り、形もスマートではあるが、そういう意味では無く、生き方がスマートなのである。
 どのようにスマートなのか? 自発的に動くのは幼生の頃だけで、自分の生き場所、及び死に場所を決めたらそこを一生動かない。身動ぎすらしない。動物でありながら植物のように進化したのがホヤである。彼らにとってはナマケモノでさえ動き過ぎなくらいだ。『石の上にも三年』ってホヤの為にある言葉だと思うの。ホヤが固着するのは石の表面だし、ちょうど寿命もそれくらいだしさ。
 そんな植物に近い生き方をしているホヤだが、結構脊椎動物に近縁だったりする。
 地上を動き回っている昆虫とか地中を這い回っているミミズとかよりも、海中に住む球形の穴の開いた微動だにしない生き物の方が我々に近いのはどこか不思議である。

 さてここからが本題である。実は今こう思っている。

 『ホヤって頭が良いよね』って。
 何を馬鹿な事を言ってるんだと世の人々は言うかもしれない。気でも狂ったのかとも。でも俺はといえば大真面目でそんな事をほざいていた。つまりホヤの優越性を主張したいのだ。(頭大丈夫?)
 俺以外の人間はホヤ達を馬鹿だと思い、自らを賢いと思っているようだが実際にはその逆だ。
 何故と言って彼らは根本的な部分に疑問を持つことが出来たから。

「なぜ動く必要があるんですか?」――と。

 これは動物の生存戦略においてはブレイクスルーであった。我々動物は食べ物を得る為にも、捕食者から逃げる為にも、生きて行くにあたっては、動かなければいけない――そう思っている。それが動物の大前提だ。だから動いていた筈じゃないのか?って。
 だがそこに真正面からNOを突きつけたのがホヤである。

「『動き続けなくちゃ生存することは出来ない』・・・・・・ってそういうデータがあるんですか? それ貴方の感想ですよね?」――と。

 それで滅んでしまっては只の馬鹿だが実際繁栄している。成功している。今の今まで生き延びている。もしも、生きる為に動く必要があるのであれば、とっくの昔にホヤは滅んでいた筈である。
 つまり、生き残るために、行動するのは、必ずしも必要ではないことをホヤはその存在によって証明しているのだ!!
 
 では我々人間の戦略はどうなのか?翻って俯瞰してみよう。
 人間は動き続ける。そんな事は言うまでも無い。スポーツ選手やダンサーは確かに動きまくるが、一般ピープルだって日々動きまくってる。駅の階段を上り下りが結構な運動であることをわざわざ言う必要も無いだろう。ただ部屋の中に引籠っている俺でさえ色々動いているのだから。さもありなん。
 そう言った日常的な動作の是非はどうでも良い。
 他に、もっと愚かな行動がある。そうだなぁ、明日が終戦記念日だから言う訳では無いが『戦争』こそその最たる例だろう、と俺は思う。

 戦争の全てが間違っているとも思わないのだが、過去殆どの戦争が間違っていた、と言っても否定する人はあまり多くは無いだろう。 

 それも当然だ。戦争が起こる前と言うのは国内に大いなる問題が起こっている事が多い。その問題を解決する為に『戦争を始める』ということは誰にでも発案できるほどに簡単なソリューションだから。それこそ無能であっても。
 
 金が無い。なら戦争をやって賠償金をせしめればいい。
 国内が不景気だ。なら戦争をやって特需で景気回復すればいい。
 隣国が戦争を起こすかもしれない。なら先じて侵略すればいい。
 国内の不満分子が五月蠅い。他国と戦争すればそれどころじゃなくなる。
 許容できかねる思想が他の国で流行っている。なら殺せば思想も糞も無い。
 国民を養う土地が無い。なら他国に攻め込んで奪えばいい。
 資源も同上。

 戦争は全てを解決する。その最大の欠点は問題は解決しないという点だろう。やる前は解決するように見えるだけで、やってみると解決どころか、やる前より遥かに状態が悪くなる――そんな事は枚挙に暇がない。大東亜戦争なんかはその最たる例だ。
 
 戦争は愚かだ。戦争は全てを解決しない、解決したとしても人命が失われる。解決しなくても勿論失われる。でも人間は戦争が好きだ。人間の歴史は即ち戦争の歴史だ。

 でもホヤは戦争をしない。



 ・・・・・・これだけでもホヤの優越性を証明してないだろうか? それとも俺がホヤに肩入れしすぎているだけなのか? 俺の気が狂ってるだけなのか?

 ――さらに続ける。
 そもそもの話、行動すると言う事は絶対的な善にはならない
 どのような行動においても、それが悪であるという可能性を内包する。どんなに他人の感情に配慮した文章を書いても傷つく人間はどうしても生まれる。東大の教授がハブの駆除の為にマングースを導入したのは有名な話だ。サリドマイドの開発者や認可した奴は別に生まれてくる大勢の赤子を障害児にしたかった訳では勿論無い。
 別に彼らに悪意があった訳ではなく、ただ単にそうなる事が想像できなかっただけの、単なる善意の無能であったに過ぎない。
 では彼らが特別愚かなのだろうか?
 そうかもしれない。でもそうでもないかもしれない。
 人類の歴史上多くの失敗があった。そして、俺が彼らと同じ場面で、違う判断が出来たかと言えばそれは疑問だ。
 全ての行動には失敗する可能性が付属している。どんな優秀な人物であっても失敗する可能性はある。 
 つまりこの事実を知った上で行動すると言う事は、次の瞬間、自らに“悪”である可能性を許容するという事である。100%の善人でいたいのであれば、何もせずに引籠っているしかない。(俺みたいに)
 
 人間が行ってきたあらゆる行為による被害は、ホヤの様に動かないという戦略を取っていたら起こらなかった悲劇だ、全て。
 人間は生きる為に動く必要があると錯覚してしまった、哀れな愚者である。その犠牲者は当然人間だ。人間は必ずしも必要でない“行動”という概念を保持し続けたせいで、あらゆる苦しみを自らの中に招いた。
 これまで人類は無意味な行動をし続けて来たし、そしてこれからもし続けるのだろう。
 「無能な働き者は殺すしかない」という言葉はよく聞くが、そもそも人間という種がそうなのだ。だからもはやどうしようもない。
 だから人間を滅ぼそう・・・・・・とは流石に言わないまでも、人類は『行動する』という事の罪悪性を認識した方が良い。取り返しがつかなくなってからじゃ遅すぎる。(もう遅いという説もある)

 ・・・・・・少し長くなった。色々グダグダと書かせてもらったが、俺の言いたいことは賢明な読者諸君には既に分かっていただけたに違いない。(俺は分からん)


 だから俺はホヤに憧れる。
 いくら宇宙一の天才であると言っても、それはあくまで“人類の中”では、というだけの話だ。
 俺はホヤの足元にも及ばない、それは認める。『ホヤを馬鹿にするような馬鹿じゃない』――それだけの天分しか与えられていないのである。だから仕方ない。

 ・・・・・・ところで。
 少し話は変わるが、俺以外にも天才と言うのは勿論いる。そして彼らもまた、当然の帰結としてホヤに憧れていた。
 中国における、寝そべり族という集団がそれだ。

これだ。

 中国において発生したこの集団は、特に何をする訳でも無く、ひたすらに寝そべっている。行動とか、労働とか、消費とかを全然しない。感情を動かされることも他人の感情を動かす事も無い。彼らは経済も社会も発展した巨大な国家の中で、そんな生き方を貫いている。
 
 アナタはこう思ったはずだ。「まるでホヤみたいアル」と。
 彼らは別にホヤになろうとして行動している――いや、“行動していない”訳では無い。彼らはホヤについてなにも知らない。食べたことも無い。
 彼らはその人生の中で言語化せずともぶち当たってしまっただけだ、”真理”という奴に。そして行動によってその真実に従っているだけなのだ。「生きて行く為に行動するなんて実に馬鹿らしい」――とね。
 俺はと言えば彼らほどは徹底してホヤを模倣しようとはしていないのだから、ホヤのフォロワーとしては彼らの方が優れているのは言うまでも無い。

 では彼らの方が天才なのだろうか?
 それは決して否定はしないが、俺の方が天才だということは主張はしておきたい。(俺が天才なのは、決して自慢ではなく、その事実を述べるのが誠実な態度であると言うだけで、本当はやりたくないのだ、仕方ないのだ、嫌々なのだ)
 
 と言うのも俺は理解しているから。人間はホヤにはなれない――と。
 グダグダと駄文を書き連ねておきながらそれが真実だった。
 もしもホヤになれるのだとしたら既に俺はホヤになっていた。 そもそも、なりたいと思ったなら、その時既に行動は終わっていないとおかしい。

ホヤシュート兄貴

 俺は今、こうしてクソ暑い部屋の中でクソニートのままカタカタしょーもない文章をタイピングしているだけ。それはまごうこと無き”行動”でしかない、悲劇というよりも喜劇だった。お笑いである。

 最近気づいたのだが、俺はどうやら人間らしい
 つまりなれないから諦めている、ホヤになることを。
 人間であるなら、間違ってもホヤになることは出来ない。先ず海に適応するのが無理だし、海に適応できたとして、動かずに栄養を取得できる領域にまで達することは不可能だ。仮にできたとしても俺の代では無理。何万、何億という累代が必要だろう。海の中でじっとしている事を強要された孫に俺は何と言えば良いのだ?「お前はホヤになるのだ!」とでも?俺はそこまでのイカレではない。(イカレではある) そんなあり得ない未来に掛けるほどホヤへの憧れを持ち合わせていないことを俺は白状しなければならない。
 寝そべり族だってそうだ。結局はそうするだけの資金を稼がなくてはならない。人間生きていくだけでお金が必要なのだ。そしてそのお金は何もしないで湧いてくるようなものでは無い。人間は本当に寝そべるだけで生きて行くなんてことは出来ない。

 今俺は『ホヤになれないから諦める』と言ったが、「本当にそうか?」と疑問に思う俺もまた存在した。・・・・・・成れたら成るのか?
 今この瞬間俺が死んで、「お前は明日からホヤだ」と神様から異世界転生を許されたとして、俺はその生活を楽しめるのだろうか?

 う、う~ん・・・・・・なんつーか、ホヤの生活は代わり映えがしなさそう・・・・・・いや、もっと直截的に言おう。


 ――つまらなそッッッ!!!!!



 海底でひたすらに、海水を身体の中に循環させる。それがホヤの生活の全てだ。海上であれば日の光に照らされた、流れる雲や引いては寄せる波もあろうが、海中ではそんなものは見れる訳も無い。そもそもホヤの成体には目なんて上等なものは無い。
 映画だって見れないし、小説を読むことも出来ない。歩くことも走ることも出来なければ、こうして文章を書くことも出来ない。友人と会話する事も出来ないし、恋人とセックスすることだってできやしない(まぁ、俺はどっちも出来ないが・・・・・・)
 つまり、ありとあらゆる娯楽は楽しむことは出来ないということが言える。
 娯楽のみならず、美味い物だって食えやしない。(プランクトンが美味いとも思えない)ただ海水をろ過摂食し続けるだけである。つまり清涼飲料水どころか冷たい真水すら飲めない。
 それに動けない以上、捕食者にロックオンされたら逃げられない事は言うまでも無い。絶望である。

 そんなホヤの生活が楽しそうにはやはり思えなかった。それが生存戦略という観点から見て、いくら優秀であったとしても。
 だが『欲望そのものが生じるから人間は嫌なんだ。やっぱりホヤがいい!』――というように、更に俯瞰して客観してメタ的に主張することも勿論可能だ。
 だがそこまでして、『ホヤになりたい』と言う主張する必要性が何処にある?
 人間は概念そのものを俯瞰することは出来ても、自分の存在と精神は俯瞰することは出来ない――俺はそう考えている。
 こうして考えると言う行為や、思想や、主義は、人間が欲を持っていたからこそ成立したと言える。
 その知恵を用いて、ホヤになりたいなどと言うのは、その実矛盾しているのだ。完膚なきまでに。

 達観しているようなことを言う人間は今の時代多い。
 だがその言葉に従えるだけの精神力は持ち合わせていないに違いない。「ホヤになりたい」というニートがその実ホヤになどなりたくないのと同じように。
 そんなことは出来やしないのだ。人間なのだから。
 人間はくだらないことに心を動かされるし、くだらないことを望み、くだらない欲望を抱く。
 そしてとんでもない間違いを行う。
 それが人間である。

 そして、人間は人間である。
 
 人間の定義なんてのは誰にもできやしないが、敢えて言わせて貰えば、『人間は人間であることから逃れることが出来ない存在』――であると今は言おう。

 つまり、我々は認めなくてはならない。
 動き続けなければならないという事を、働かねばならないという事を。
 
 
 時給900円で客から怒鳴られたり、残業代が出ない残業を終電までやらされたり、うつ病になるまでパワハラ上司の元で働き続けたり、罪も無い民間人を銃殺したり、こんな糞みたいな文章を書いて投稿したり。

 そうしながら生きて行かねばならないという事を。

 否定したくなる気持ちは分かるが、あらゆる国のあらゆる場所で同じようなことが起こっている以上、もはや偶然とは言わせない。
 人間という種の選択なのだ。必然なのだ。
 認めるべきなのだ。我々の祖先がそう選びながら、そして現在進行形で我々がそう望んでいることを。
 我々がホヤに対して強いリスペクトを抱かない限り、先祖代々にわたって繰り返されてきたこの歴史は、未来永劫に渡ってなおも続くのだということを。
 我々は人間であり、人間は人間でないことを望む。それこそが人間であると言う事を。人間が人間でなくなるには、人間が人間であると言う事象を受け入れ、自らの罪を認識し、その改善を意図するまで永遠に続くのだと――

 あぁ、でも最後に言わせてくれ。
 もう二度とは言わないから・・・・・・


 

 やっぱり俺はホヤになりたい。





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