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フードスコーレ不定期連載『食の未来仮説』#008 美味しい言い訳(書き手:平井萌)

閉塞感を楽しさに変えられるほどの軽やかさを自分は持ち合わせていないなあ、と思った春の数ヶ月。

仕事面でも想定していた業務とは全く違うことをやる毎日にくたくたでした。

むしゃくしゃクッキーを焼こう

ある日の休み、久しぶりにクッキーでも焼こうかなと思い立ちます。

クッキーの作り方は簡単だけど、生地を作る途中かなり力を使います。

それがちょうどいいストレス発散になるので、わたしがクッキーを焼くときはだいたいなんとなくむしゃくしゃしているとき。

そんなわけで焼けた物体は「むしゃくしゃクッキー」と命名しています。

つくっているときも心がすうっとするし、むしゃむしゃ食べたら「ま、いっか」という気持ちになるのでおすすめです。

冷蔵庫を開けるとバターが少し。戸棚にある小麦粉は最低の分量を焼くには足らず、スーパーにいかなければいけませんでした。

閉店時間が早まったスーパーにかけこむと、予想通りバターが品薄で、かろうじてひとつ。

小麦粉を探すと、いつもあるはずの場所にありません。あれ?たまたま入荷していないのかな?と思っていたら小麦粉のコーナー一帯ががらんどうであることに気づきます。

うお〜〜〜〜。

仕方なく普段使わない製菓コーナーのクッキーミックスを買って帰りました。


家に戻ると、恋人曰く小麦粉やホットケーキミックスがメルカリに出品されているとのこと。

ちょっと悲しかったけれど、よく考えてみればみんなも同じように今家でお菓子を焼いているってことなんだ。

それってかわいいことだな、と思いました。

マスクやトイレットペーパーの争いはやるせない気持ちになったけれど、お菓子作りの材料が品薄になっているのは、みんなが生活の中で楽しさを見つけている証です。

クッキーミックスを使って焼いたクッキーは人工甘味料が入っているのかあまり美味しく焼けなかったけれど、むしゃくしゃは少しだけ小さくなったので良しとしました。

かなしみを乗り越えるためのピザ

小麦粉やバターも見かけるようになり、マスクですら個数制限はあるもののお店で普通に並ぶようになった7月。

もったりした熱を含んだ空気に、うだるような暑さ。雨が多い今年の長い梅雨の中では珍しく晴れている日のことでした。

「おばあちゃんが亡くなったの」

母からきていた一通のLINE。数週間前、日帰りで帰省していたときに聞いた話から何となく遠くない未来かもしれない、と覚悟はしていた矢先でした。

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仕事中ずっと体が熱を帯びているようでふわふわした感覚で、母は大丈夫だろうか、祖父は落ち込んでいないだろうか、同居している弟は、と家族のことばかり気になってしまいます。

仕事が終わってすぐ母に電話をすると声のトーンでは大丈夫そうで、それでも最後の祖母の様子を聞くと、ああ本当なんだなとじんじんと現実感が自分の中を侵食していきました。

何となく落ち着かない気持ちのままマンションにつくと、ポストから宅配ピザのちらしの頭が覗かせています。

今まではすぐに捨ててしまっていましたが、ピザピザピザ......と唱えながら階段を上りきり家の中で荷物をおろすと、むくむくとピザが食べたい感情が立ちこめます。

外でごはんを食べる抵抗はなくなってきているけれど、気づかないうちにテイクアウトやデリバリーのハードルの低さが以前より下がっていました。

よし、ピザにしよう。即決でした。

ピザが到着する頃にはお腹がぺこぺこで、大きいピザを見たら少しだけ楽しくなって、頼んでよかったなあと思いました。

さよならとバウムクーヘンと

ピザを頼むとき、実はある言葉を思い出していたんです。

それが、『いつかティファニーで朝食を』という漫画に出てくる台詞でした。

これから生きていく中でどんどん家族や友達が死んだりするけれど 残された人は生きていかなきゃいけない だから残された人はご飯食べなきゃいけないの
- 『いつかティファニーで朝食を』- マキヒロチ

美味しいものは悲しいときに食べたくない。本来楽しいことである食事と悲しい思い出がセットになるのは辛いし、こんなときに食べても味なんかしない。そう思っていました。

実際に人生で一番お世話になっていた上司が急逝したときは、毎晩泥酔してつぶれるまで飲まないと次の日を迎えることができず、ごはんもまともに食べられない日々が続きました。

でもその人はきっと、残された人たちには生きていってほしいと願っているんじゃないか。

受け入れたくない事実を受け入れることが、最後のお別れの時に必要な行為だと、認めなきゃいけない。

つまり、「食べる」ということ。

最後のお別れの時にみんなでごはんを食べるのは、わたしたちはこれからも生きていくという意思表示なんじゃないかと思うんです。

それに気づいてからは、まずごはんをちゃんと食べることから変えていきました。

祖母のお葬式で実家に帰ると、まずコンビニで買ったおにぎりをふたつ、ぱくぱく。その後、兄が母と一緒に到着。

母が「14時までお昼食べられないけどお腹大丈夫?」と食いしん坊の娘を心配してくれたので、冷蔵庫のバウムクーヘンを見つけてもぐもぐ。

最近すっかり少食になってしまったことも忘れて、前の夜のピザからお葬式が始まるまで何かをずっと食べていました。

案の定、火葬場で出たお昼ごはんは途中でお腹いっぱいになり、それでも祖父や親戚から若い子はいっぱい食べた方がいい、とおすそ分けがあちらこちらから降ってきて、てんやわんや。わたしより少食の弟にあげると最後の方は修行僧のような顔で食べていて、かわいそうだけど笑ってしまいました。

さすがにお葬式の前後は食べすぎなくらい、とにかく食べることから逃げちゃだめだ、と無理をしているところもあったかもしれません。

そのおかげか、胃の調子は少し悪くなったりしたものの、日常はゆるやかに前へ進んでいきました。

美味しい言い訳

当たり前だった日常がひっくり返ったこの数ヶ月間、何かにつけては今の状況を言い訳にして美味しいものを食べてきました。

初めて食べるビリヤニも、わざわざ30分歩いて食べるミスドも、900円の味噌も、「今いろいろ制限されてるからネ......」と言い訳しながらちゃっかり楽しんでいたんです。

祖母の訃報を聞いてピザを頼むという選択肢が浮かんだのも、きっと新しい食の楽しみ方が自然と根付いていたから。

そして、それはわたしだけではなく周りのひとも同じでした。

スーパーでクッキーに必要な材料が品薄になっていたのは、みんなも限られた範囲の中で、たのしさをちゃんと見つけていたから。


一年前のわたしたちが今の状況を想像できていなかったように、これからの日常がどのように変わっていくのかは誰にも分かりません。

だけど、わたしの仮説が正しいなら、食べることさえ奪われなければ、わたしたちはたのしく生き延びることができるんじゃないかと思うんです。

そして、たのしく生き延びる術をわたしたちは身につけています。


だから、大丈夫です。それを知っているから、この先も大丈夫。

答え合わせをするころには、みんなでわいわい集まってごはんを食べられるようになっていますように。

平井萌さんの連載は、今回で一旦おわりとなります。お読みいただきありがとうございました。

『食の未来仮説』は、さまざまなシーンで活躍されている方たちが、いま食について思うことを寄稿していく、不定期連載のマガジンです。次回もおたのしみに!

今回の著者_
平井 萌/Megumi Hirai
1992年茨城生まれ。2020年4月にオープンしたBONUS TRACKの事務局。20年間たまごのシールを集めています。一番すきな食べものはメロンパンとかんぴょう巻き。一番すきな本は瀬尾まいこさんの『卵の緒』です。


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