死にたくない
嫌だ、こっちにくるな
怖い
真っ黒な血に塗れた手が背後から伸びてきて、四季を捕まえようとする。
逃げて逃げて逃げてるのに、光は見えない。
真っ暗闇の中で四季は当てもなく彷徨う。
聞こえてくるのは、四季が今までに殺した桃太郎の声。
”これはお前がオレを殺した報いだ”
”お前に一生付き纏ってやる”
”お前を殺す”
振り返れば、巨大な手が四季を握りつぶそうと頭上に振り上げられた。
やめろーーーーーー
四季は恐怖で、大声で叫ぶ。
し…き、しき!!!
どこか遠くで自分の名前を呼ぶ声が聞こえる。
これは皇后崎の声?
肩を揺すられているような感覚。
「四季!」
はっきりと自分を呼ぶ声で四季は目が覚めた。
皇后崎の焦った顔が四季を見下ろしている。
「あ…夢か」
四季は周りを見渡し、自分が寮のベッドにいることに安堵する。
ただの悪夢だ。
「お前、またうなされてたぞ。そんですごい汗」
言われて自分の体を見ると、全身が汗でびっしょり濡れていることに気づく。
皇后崎が、らしくもなく心配そうに見てくるので
「悪いな、起こしちまって。もう大丈夫だ」
へらりと笑ってみせたけど、皇后崎は真剣な顔で見つめたままだ。
はあー
ついため息をついてしまう。
強がってもただ心配されるだけで、かと言っていつものようにアホを言って笑い飛ばせるほど図太くない。
皇后崎にそんな顔をさせてしまう自分が情けなかった。
「とりあえず寝ろよ」
そう言って四季は素っ気なく背を向けて寝転んだ。
しばらくして皇后崎も自分のベッドに戻ったようだ。
右京を殺してから、四季は毎日ではないけどたびたび悪夢を見る。
以前にも桃を殺した後は似たような悪夢を見ていたから、今回のことも仕方ないと思っていた。
悪夢に関しては、四季はそれほど深刻に捉えていなかった。
四季の心配事は別にあった。
それは最近、腰が割れるように痛むことだ。
たぶん理由は鬼神の力を使いすぎた反動だと思う。
右京との戦いで、相当な力を注ぎ込んだのはわかっていた。
炎鬼として、自分ができる限りの力を右京にぶち込んで倒した。
ただの筋肉痛と思えたらよかったのに
四季にはそれができなかった。
自分は死と隣り合わせだから。
いつ死んでもおかしくない。
鬼神の力に頼りすぎたら、死も早まる。
腰の痛みはその予兆のようで、四季は怖かった。
自分の死が近づいている
そんな気がしてならなかった。
この不安を四季は一人で抱えていた。
誰にも言えない。
自分の死について口にすることが怖かった。
⬜︎
悪夢を見た翌日の放課後、
四季は保健室に呼び出された。
中に入ると、花魁坂と無陀野がいた。
これは…何かある
四季はなんとなく警戒してしまう。
「四季、座れ」
無駄野に促され、四季は横のベッドに腰を下ろす。隣に無陀野も座る。
「眠れてるか?」
無陀野を見ると、そのわかりにくい表情のなかに、どこか自分を気にかけてくれているような優しさを感じ取れた。
四季は誤魔化さずに正直に言う。
「右京を殺してからたびたび悪夢を見る。でもこれは毎度のことだし、そんなに気にしてない」
「…そうか」
深く追求してこない無陀野に少しほっとする。
「四季」
顔を上げると無駄野がじっと見つめてくる。
「他に気がかりなことがあるんじゃないか?」
そう聞いてくる無陀野は、四季が考えていることを全て知っているような雰囲気だった。
本当は言ってしまいたい。
自分の不安、恐怖、抱えている全てを吐き出してしまいたい。
無陀野になら言えるような気がして口を開く。
「オレ…(死にたくたない)」
でも、やっぱりダメだった。
やっぱり言えない。
こんなこと言えば、本当に死を受け入れてしまっているみたいだ。
四季は諦めて下を向く。
「京夜…」
「うん」
ベッドの端で様子を見ていた花魁坂が、無陀野に声をかけられ奥に消えた。
無陀野は四季に気を遣ってか、二人にしてくれた。
「四季、追い詰めて悪かった」
そう言う無陀野の手が四季の頭に触れる。
その手がとても優しく感じて、四季は思わず泣きそうになりながら無陀野を見る。
「オレ…(もうすぐ死ぬのか?)」
「大丈夫。言わなくていい。全部わかってる」
無陀野が優しく頭を撫でてくれるから、四季は少しほっとする。
「なあ四季、お前は強いよ。体も心も、ずいぶん強くなった。お前なら、鬼神の力に負けないとオレは思ってる。それにお前はまだやるべきことがあるんだろ?」
無陀野は四季の気持ちを汲み取って、「死」という言葉を一度も使わずに、四季を慰める。
その優しさに四季は涙が出そうになるけど、無理やり堪えて「うん」と小さく返事をする。
最強の無陀野に強いと認められ、自分の力を信じてくれたことが四季はすごく嬉しかった。
無陀野がそう言うなら、大丈夫かなと、そう思えた。
「で、体はどこが痛むんだ?」
しばらく二人で黙っていて、無陀野がおもむろに口を開く。
「…なんで?」
「見てればわかる。最近、歩き方が変だぞ」
やっぱり無陀野の目は誤魔化せない。
四季は正直に言う。
「腰が痛い。砕けそう」
「そうか、見せてみろ」
「え」
すると、タイミングよく花魁坂がにっこり笑って顔をのぞかせる。
「四季君、治療しようか。オレに任せて」
治療というワードに四季は少しギョッとするけど、花魁坂の自信ありげな顔を見ると安心できた。
四季は上の服を脱いで、背中をあらわにする。
見てもなにもわからないだろうと思って、チラッと無陀野と花魁坂を見ると四季の背中を凝視している。
花魁坂が暗い声で言う。
「四季君、気づいてないの?」
「何が?」
「背中にどす黒いあざがある」
「え?」
そんなの知らなかった。
自分の背中なんて見えないから、人に言われて初めて知る。
近くの鏡で確認すると、確かに背中に大きくはないが、黒と紫が混ざったような色のあざがある。
四季はまた気持ちが逆戻りする。
また自分の”死”を意識してしまう。
俯いていると花魁坂の手が肩にポンと触れた。
「四季君、大丈夫。オレがいるんだから」
本気で言っていることは花魁坂の顔を見たらわかる。
彼が言うならきっと大丈夫。そう思えた。
無陀野は四季の頭に手を置く。
何も言わないけど、その大きな手に包まれて四季はほっと安心できた。
花魁坂と無陀野に挟まれて、四季は心強くなる。
自分の側にはこんなに強くて信頼できる大人がいる。
大丈夫。そう心で呟く。
「じゃあ後は任す」
無陀野は去り際に振り返って
「皇后崎が心配してたぞ」
それだけ言って無陀野は保健室を出て行った。
「今回のこと、実は皇后崎君が教えてくれたんだ。四季君が夜、うなされてるって。彼なりに四季君のこと心配してるみたいだよ」
花魁坂が説明してくれる。
多分、皇后崎は自分では頼りないと思って無陀野たち大人に頼ったのだろう。
そんな彼なりの気遣いと不器用な優しさが四季は嬉しくて、小さく微笑む。
その日から、四季は花魁坂のもとで背中の治療を受ける日々が始まった。