次は手加減しないから
あー、なんでこんな簡単なところで間違えるんだろう。
一度間違えると気持ちが下がる。
そこからはミスの連続。
鍵盤を叩く指のタッチも荒くなる。
上手く弾けない。
最悪の不協和音を鳴らしたところで、指が止まってしまった。
「最悪…」
声に出して呟く。
ここ最近調子が悪い。
原因は何となくわかっているが、向き合いたくない。
「桐生君疲れてるよね」
え…
誰もいないと思っていた部屋に、オレ以外の声が響いた。
まさかと思って振り向く。
後ろの扉の前に彼は立っていた。
「何ですおちゃんがいるの?オレ今心臓止まったかと思ったよ」
「あはは」
「笑いごとじゃないって」
気配がなさすぎて、本当に心臓に悪い。
「いつからいたの?」
「最初から」
最初からとは?
「今日はずいぶんとミスが多かったね」
今日は…?
まるで今までを知ってるような言い方に、怖くなる。
「俺さ、桐生君がここでピアノの練習してるの、もうずいぶん前から知ってたよ」
「は?嘘でしょ」
「ほんとだよ」
にっこり笑う蘇枋に、背筋が寒くなる。
音楽室は、自分の部屋の次に好きな場所だ。
防音のつくりだから音の心配をしなくていい。
ゲームし放題、ピアノ弾き放題。
風鈴に入学してすぐに俺が占領してるけど、誰にも邪魔されたことがない。
俺だけの空間。
そう思っていたのに、目の前の男は知ってた…
嫌な予感がする。
もしかして全部、バレてるのか?
俺の第二性までも…
「大丈夫?固まってるよ」
悪い考えが浮かび、かき消すように顔を上げる。
すおちゃんと視線が合う。
まずい
全てを見透かすような瞳を見ると、俺のスイッチが切り替わりそうになる。
DomからSubに。
何とか堪えてDomのままでいる。
だけど、
気持ち悪い…
なんだこれ。
急にめまいがやってきて、立っていられなくなる。
やばい…
「無理しすぎちゃったね」
倒れそうになったところを蘇枋が支えてくれた。
蘇枋の手を握ったままゆっくり床に座る。
「桐生君はSwitchだよね」
俺の隣に座りながらすおちゃんが聞く。
バレてるなら仕方ない。
「そう。だけど普段はDomでいるよ」
「だと思った。俺がたまにグレアを放っても桐生君に効かないからね」
「試さないでくれます?」
たまに感じるすおちゃんのグレアにもちろん気付いていたが、俺は無反応を貫いていた。
「なんで?」
すおちゃんが俺の顔を覗き込む。
ダメだって。
視線を逸らす。
「俺はDomとしてすおちゃんに勝てないよ」
俺はDom性よりSub性が強いSwitchだ。
それが嫌でたまらない。
「でも俺のグレアに反応しないって、結構すごくない?」
「これでも頑張ってるんだよ」
本当はギリギリだ。
さっきだってすおちゃんの目を見ただけでフラついたし。
「桐生君はSubの自分が嫌なの?」
「うん」
視線を感じて蘇枋を見る。
赤い瞳が俺を射抜く。
何だかふわふわする頭で、俺は自然と口を開いていた。
中学で見た嫌な記憶を思い出しながら話す。
「Subは可哀想な奴だよ。Domに支配されてまるでお人形みたい。命令されただけで嬉しそうに目を細めてもっともっとって。気持ち悪い。俺はそんなのと違う」
自分に言い聞かせるように言う。
「なら試してみようか」
「何を?」
「Command」
「嫌だよ」
何を言ってるの?
俺は命令されたくない。
離れようと立ち上がる。
「Kneel」
は?
体が勝手に座ってしまう。
嫌だ、俺はDomだ。
切り替えのスイッチをDomに全振りする。
「Look」
あぁ…ダメだ
抗いたいのに視線が勝手に蘇枋に向く。
その顔は優しい表情で、俺の心は入り乱れる。
命令に従ってる自分が嫌なのに、そんな優しい目で見られたら甘えたくなる。
そんなの俺じゃない。
俺はDomがいいのに。
「Good」
頭を優しく撫でられる。
気持ちいい。
いや、そんなわけ…?
少しの間ふわふわした感覚が続き、蘇枋の手が頭から離れる。
「いきなり攻めすぎちゃったかな。たまにプレーすれば、桐生君の不調も治ると思うよ」
蘇枋は嬉しそうに微笑み、部屋を出て行った。
最後に褒められて、急に頭がスッキリした気がする。
何だろうこれは?
何となく出来そうで、ピアノをもう一度弾いてみる。
さっき間違えた所は上手く弾けて、指もスムーズに動いた。
音楽室を出た蘇枋は廊下を歩きながら喜びを噛み締めていた。
やっと桐生君の本性を暴けた気がする。
桐生君は嫌がってたけど、あんなに目がとろとろになってたらきっと気持ちいいはずた。
風鈴に入学してすぐ、蘇枋は桐生に目をつけた。
初対面で大体の人の第二性を見抜けるのに、桐生だけはわからなかった。
賢い彼だから、たぶん上手く隠していたのだろう。
直感ではSwitchだけど、Neutralにも見えた。
面白い人だなと思い、俺は桐生君の観察を始めた。
たまにグレアを放って刺激してみるが彼は無反応で、本当にNeutralなのかもしれない。
そう思い始めた頃だ。
桐生君に不調が現れたのは。
放課後、いつものように桐生君に隠れて音楽室に忍び込む。
ストーカーしてる自覚はあるが、彼に迷惑をかけてないからまあいいと思うことにした。
彼がいつも練習しているのは『キラキラ星変奏曲』。
その日は最初から最後までミスが続いていた。
10分もすると、諦めたのか彼はゲームを始める。
しばらく続いたゲームの音が突然止む。
代わりに桐生君の独り言。
「サブになんてならない」
小さな声だが、しっかり俺の耳にも届いていた。
桐生君はまたピアノを弾き始める。
でも、全然上手く弾けてなくて桐生君もイライラしてる。
その日から桐生君の演奏は乱れていった。
俺は思った。
これはたぶん第二性が満たされていない事から起こる精神的な乱れ。
桐生君はSwitchでおそらくSub性が強い。
でもSubを嫌ってる、たぶん。
俺は久しぶりに興奮を感じた。
こういう反抗的な人を支配してみたい。
「桐生君、疲れてるよね」
欲望のままに桐生君に声をかけた。
俺を見る目は驚きと恐怖の半々。
ふふ、楽しくなりそう。
話を聞くと、桐生君は中学時代の経験でSubに偏見を持ったらしい。
でもそんなのは一例で、桐生君のトラウマを取り除いてやりたい。
Sub性の強い君を甘やかしてやりたい。
少し強引な気もしたけど、手っ取り早く幾つかのコマンドを言う。
最後に頭を撫でたら軽くスペースに入ってた。
きっと俺と桐生君は相性がいい。
さすがにこれ以上の刺激は良くない思い、今日は我慢したけど。
彼から俺を求めるくらいにしたい。
明日からどうしようかと、蘇枋は不適な笑みを浮かべ学校を後にした。