僕の大好きな先生

あ、来た!
扉が開く音がして勢いよく体を起こすと、やっぱり蘇枋が入ってきた。
「おはよう桜君」
「すおう、おはよ」
挨拶して両手を広げてると、蘇枋が僕を持ち上げて抱っこしてくれる。
毎朝してもらっているけど、やっぱり嬉しくて、僕は蘇枋の首に抱きつく。
「よく眠れた?」
「うん。起きてからずっとすおうのこと待ってた」
「ふふ、ありがとね桜君」
蘇枋が頭をポンポン撫でてくれて、それがまた嬉しくて、僕はさっきよりぎゅっと蘇枋を抱きしめる。

⬜︎

朝ごはんは蘇枋と一緒に食べる。
入院してすぐの頃、僕はほとんど食べることができなかった。
ひとりぼっちの虚しさで、空腹も食欲も感じなかった。
そんな僕を見かねて主治医の梅宮が、心理カウンセラーの蘇枋を僕の世話係に選んだ。
初めて蘇枋と会った時は緊張して目も合わせられなかったけど、蘇枋はいつも僕の気持ちを察して、僕のペースに合わせてくれて、とにかく優しく接してくれたので、次第に僕は蘇枋に心を開くようになった。

「今日は桜君の好きなパンだ。よかったね」
「うん」
蘇枋が食パンに苺ジャムを塗って渡してくれたので、僕は「ありがと」と言って食べ始める。
お腹が空いていて夢中になって食べていると、目の前に座る蘇枋が穏やかな笑みを浮かべてじっと僕を見ているのに気づいた。
「なに?」
「いやあ、桜君がご飯を食べられるようになってよかったなあって思って」
僕が食べる手を止めて不思議そうに蘇枋を見たから、蘇枋は僕の気持ちを汲み取って答える。
「初めの頃はさ、桜君ほとんど食べてくれなかったでしょ。先生かなり心配しちゃって。でも、今はこうやって普通に食べられるようになって嬉しいんだ」
蘇枋は微笑んでそう言うけど、僕が食べられるようになったのは蘇枋のおかげだ。
蘇枋が毎朝、僕の隣で僕が嫌がらないように一口ずつ食べさせてくれて、きっと蘇枋だから食べられたんだ。
僕はちょっと照れくさくて、ひかえめに目を上げて蘇枋を見る。
「ぜんぶ蘇枋のおかげだよ」
もっと気持ちを丁寧に伝えたかったけど、言葉になって出てきたのは短いものだった。
蘇枋はやっぱり優しく笑っていて、その表情に僕の心と顔はあったかくなる。

⬜︎

「午前中は足のリハビリだよ」
病室に戻ってから、蘇枋は今日のスケジュールが書かれた紙を見ながら僕に伝える。
「担当の先生は?」
僕の質問に蘇枋は紙に指を当て確認してから答える。
「今日は…十亀先生だ」
その名前に僕はほっと胸を撫で下ろした。
僕にとって、十亀は蘇枋の次に好きな先生だ。
リハビリの先生は十亀以外にも数人いるけど、僕は十亀としかちゃんと話したことがない。
十亀といると、そのゆったりした雰囲気になんだか安心して落ち着く。

蘇枋と一緒にリハビリ室に来ると、十亀が扉の前で待っていた。
「やあ、久しぶりだねえ」
一昨日も会ったのに久しぶりと言う十亀は僕の前にしゃがんだので、僕は十亀と目線が合う。
薄い緑色の瞳で優しく笑う十亀に、僕はななんだかくすぐったい気持ちになり目をそらした。
十亀は僕の頭にポンと手を置いて立ち上がり、蘇枋と今日の日程について話し始めた。
「それじゃあ桜君、1時間後に迎えにくるから。リハビリ頑張ってね」
十亀と話を終えた蘇枋が、僕の前にしゃがんで頭を撫でてくれる。

「じゃあ中入ろうか」
蘇枋が去った後、十亀がリハビリ室の自動扉を抜けて中に歩いていくので僕もとことこついて行く。
十亀の大きな手が空中にぶらんとしていたので、僕がその右手に触れると十亀は前を向いたまま握り返してくれた。

⬜︎

夜、主治医の梅宮が回診に来た。
蘇枋も梅宮に続いて入ってくる。
3日に一度のペースで梅宮は僕の足の調子をみにくる。
ベッドに横になっていた僕は、梅宮が来たので体を起こして座った。
「桜、足の調子はどうだ?」
ベッドの横に置いた椅子に腰を下ろして梅宮が穏やかに聞く。
「痛みとれてきた。今日十亀に、あと数回でリハビリは終わりでいいって言われた」
「そうか、それはよかった。桜がたくさん頑張ったからだな」
梅宮は目を細くして僕の頭をわしゃわしゃなでた。
「リハビリの後は何するの?」
僕の問いかけに梅宮の笑みはゆっくり消えていき、眉を曇らせて蘇枋を振り向き、視線を交わす。
蘇枋もいつになく真剣な表情で、梅宮を見て頷く。
梅宮は僕に向き直って口を開いた。
「桜、リハビリが終わったら退院することになる。退院した後のことだが、桜には親戚の人が……」
「嫌だ。嫌だよ!行きたくない」
僕は梅宮の言葉を遮って大きな声を出していた。
最後まで聞かなくても、自分がどうなるのかなんてわかってしまう。
あの親戚に引き取られるんだ
そんなの絶対に嫌だ
もう二度と、あの家に、あの人たちの元に戻りたくない
僕を見捨てないでよ

すがるようにベッドの横に立つ蘇枋の白衣をギュッと握ると、蘇枋はベッドに腰を下ろして僕の体を両腕で包む。
「桜君……」
僕は蘇枋に抱きしめられ、目の前の白衣に顔をうずめて嘆く。
「すおう、嫌だよ行きたくない。僕をひとりにしないでよ」
僕が涙声で訴えると、蘇枋は背中をさすってくれる。
「桜、急に色々言ってすまなかった。焦っちゃったよな」
梅宮の手が僕の頭を優しくなでるのがわかる。
「でも大丈夫だ。桜が考えているようにはならない。あとは蘇枋とゆっくり話してくれ」
そう言葉を残して梅宮は部屋を出て行った。

「桜君、君は退院したら親戚の人に引き取られると思っているよね」
僕の背中をなでながら蘇枋が穏やかな口調で話し始める。
「でもそれは、君が望んでいることじゃない。そうだよね?」
蘇枋の両手でそっと顔を持ち上げられると、蘇枋はどこか切ない表情で僕を見ていた。
僕が何も言わずに頷くと、蘇枋は柔らかく笑って言った。
「それじゃあさ、先生と一緒に住まない?」
「え」
思いもしない言葉に僕は目が点になる。
「桜君はどうしたい?」

もちろん…もちろん蘇枋と一緒に住みたい
大好きな蘇枋と一緒に暮らしたい
けど…そんな都合のいい話があるだろうか
どこか不安になる
蘇枋は僕が可哀想だから仕方なく…
嬉しさを感じる反面、僕は信じられなかった

「ぼく…ぼく、すおうと一緒に住みたい。でも、すおうは僕が可哀想だからそう言うんでしょ…」
言葉にすると悲しみが胸にあふれて、最後の方は声が震えてしまう。
「桜君、君は優しいね」
今にも泣き出しそうな僕の顔を蘇枋が両手で挟んで目線を合わせると、蘇枋はいつもの穏やかな笑みを浮かべて僕を見ていた。
「誤解されたくなかったけど、もう遅いか。今回のこと、先生から申し出たんだ。君と一緒に暮らしたいって、僕から梅宮先生に相談したんだよ」
「すおうが?」
「うん」
「先生はね、君に幸せになってほしんだ。ここに来てから桜君は少しずつ笑顔が増えていったよね。だんだん僕にも懐いてくれて、気を許してくれるのがすごく嬉しかった。そんな君にこれから先もずっと笑っていてほしいと思うし、僕にできることがあれば君の力になりたいんだ。だから、桜君さえよければ僕と一緒に暮らそう」
蘇枋の言葉を受けて、僕はうれしさで胸が詰まり、目頭が熱くなるのを感じた。
僕は蘇枋の首に腕を巻きつけてギュッと抱きしめる。
「すおう、嬉しい。ありがとう。大好き」
気が抜けてしまって単語しか出てこなかった。
「ぼく、すおうと暮らしたい」
顔を離して蘇枋を見るとほっとしたように息をつき僕に微笑む。
「よかった」
僕も笑って返したかったけど、熱い涙があふれてきて目をこすることしかできないでいると、蘇枋が伸ばした手によって僕の手は顔から離れる。
代わりに蘇枋が指で僕の涙を優しくすくってくれる。
「嬉し涙だね」
これからも蘇枋と一緒にいられることに安堵して、僕はもう一度蘇枋を抱きしめていた。
「すおう、大好き」
「ふふ、僕も桜君のこと大好きだからね」
蘇枋の温かい体に包まれて、自分を幸せにできるのはこの人しかいないと僕は思うのだった。











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