ヒロタのシュークリームの歴史
子供の頃、会社の帰りに父がお土産を買ってきてくれることがあった。
どんなものだったかほとんど思い出せないのだが、ひとつだけ、はっきり覚えているお土産がある。
「ヒロタのシュークリーム」。
今のように4個入りの細長いパッケージではなく、大きめの四角い箱にたくさんのシュークリームが並んで入っていた。
ふわふわのシューと、とろりとまろやかなカスタードクリーム。
子供にとっては夢のようなおやつだった。
一口で食べるのがもったいなくて、チマチマ時間をかけて食べていた。
40代以上の関西出身者に聞くと、同じような経験を持つ人が意外に多い。「大人になったらヒロタのシュークリームを腹いっぱい食べるのが夢やったね」。そんな声も耳にする。
現在は関東にも店舗があるが、ヒロタは大阪生まれの洋菓子メーカーなのだ。
創業者の廣田定一(さだいち)が大阪市上福島の自宅を改装し、洋菓子の製造販売業を始めたのは1924(大正13)年のこと。
定一は和菓子・洋菓子・ベーカリーなどさまざまな食の現場で修行を積んだ苦労人で、独立したときはまだ23歳という若さだった。
最初は販売店からの注文に応じてデコレーションケーキなどを作っていたが、定一の夢は大阪の中心街に自分の店を持つこと。
34(昭和9)年、堺筋にチョコレートショップを開店したが、客が入らずあえなく失敗した。
手元に残ったのはお菓子を焼く電気窯だけ。これを活用すべく思い付いたのが、シュークリームの製造販売だった。
日本でシュークリームが売り出されたのは、明治時代の初め頃。
定一が店を出した当時は、一部の洋菓子店だけで販売される高級洋菓子だった
。1935(昭和10)年2月、定一は戎橋筋にある取引先の菓子店に頼み込み、軒先を借りてシュークリームの実演販売を始めた。
客の目の前で、焼き上がったシューにクリームを詰めていく。
立ち上る甘い香りに引き寄せられ、大人も子供も次々と店の前で足を止める。「シュークリームは初めて見たけど、おもろいもんやな。一箱もらおか」。そんな声が相次ぎ、実演販売は大成功。
1日で5000個も売れたという。
定一がシュークリームに付けた値段は1個2銭。それを10個箱に入れ、20銭で販売した。高級洋菓子店で売られていたシュークリームは大ぶりで値段も高かったが、定一は誰もが気軽に食べられるよう、サイズを小さくして1個あたりの値段を下げたのだ。
この時初めて、シュークリームは庶民の手が届く身近なお菓子になった。
1948(昭和24)年、定一は戦後発祥の地となる神戸の元町に店舗をオープンした。この店をベースに、翌年、株式会社「洋菓子のヒロタ」を設立。その2年後には記念すべき戎橋の地に新たな店を開き、大阪、そして関西一円へと進出した。
50年代半ばには、「ヒロタのシュークリーム」は既に洋菓子の代名詞的な存在になっていた。
シュークリームによって関西における地歩を確立した洋菓子のヒロタは、50年代後半から東京への進出を図る。
1957(昭和32)年、日本橋の三越百貨店で「なにわのうまいもの会」という催し物が開かれることになり、ヒロタもそこに出店することになったのだ。
マロングラッセが農林水産省の品評会で1位になったヒロタだったが、洋菓子の本場はやはり東京。定一はあらためて何を売るべきかを考えた。
三越は東京の上流階級が足を運ぶ特別な場所だが、当時は戦後の猛烈なインフレで、客の懐は決して豊かではなかった。
つまり、お客は金はないが舌は肥えている。定一は「ヒロタのシュークリーム」を1個10円で販売することにした。東京では大きめのシュークリームが1個30円で売られていたから、格安と言っていい。1個のシュークリームを家族で分けるのは無理だが、「ヒロタのシュークリーム」なら3人がひとつずつ食べられる。定一には、プチフール(一口サイズのケーキ)感覚で買ってもらえるだろうという読みもあった。
商品は安くても、れっきとした洋菓子店であることを示したい。定一はシュークリームと一緒に自慢のマロングラッセやピラミッドケーキを販売し、商品ケースに表彰状を飾った。
結果は定一の目論見どおり。出店した36店の総売上のうち、1割をヒロタだけで売り上げた。
これを足がかりに、ヒロタは1969(昭和44)年、東京1号店となる吉祥寺店をオープンする。
以降も新宿、八重洲、池袋、新橋駅前と、都心部へ次々と進出。デパートの地下や地下街など人通りの多いエリアを狙って出店し、会社帰りのサラリーマンや買い物ついでの主婦層を開拓していった。
関東地区では、販路についてもいくつかのチャレンジを行っている。
70年代後半には団地などを中心に移動販売車によるサービスを実施。
これは音楽をかけて到着を知らせ、車内で商品を選んでもらうシステムだった。79(昭和54)年にはシュークリームの自動販売機をスーパーマーケットや病院に設置。子供や患者に大好評だったという。
中野工場を設立し、東京での生産・販売体制を固めたヒロタは、更に大きな夢を実現させる。菓子の本場であるヨーロッパ、それもフランスのパリに店を出したのだ。凱旋門近くにエトワール店をオープンしたのは、1973(昭和48)年の10月。洋菓子のほかに和菓子やパンも販売したこの店は、外国人だけでなく現地の邦人も多数来店する人気スポットになった。
同店を有名にしたこんなエピソードがある。パリでの起工式を終えた定一が乗った飛行機が、アムステルダムの上空でハイジャックされたのだ。定一が100人近い乗客と共に帰国したのは1週間後。
その間、新聞やテレビは連日連夜、この事件の行方を報道し続けた。
帰国時の新聞の一面に掲載された、孫を抱いて歓喜する定一の姿。大きな災難だったが、図らずもこの事件が、パリに進出するヒロタの名を一躍世間に広めることになった。
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