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私にとってのイギリス(行きて帰りし後の呟き)

私にとってのイギリス🇬🇧とは、ここイングランド北部の湖水地方、それもコニストンという小さな湖周辺

ツバメ号とアマゾン号(Swallows&Amazons)シリーズとして知られる、アーサー・ランサムという作家の12冊の著作の主な舞台

その作品に出会った9〜10歳の頃から、ずっとこの場所に来たくて、ようやく来られたのが24歳の時
そこから3年連続でこの地方を訪れました

所謂聖地巡礼?
しかし当時はインターネットも使っておらず、現地のℹ️を訪ねて少しずつ物語の場所を探していました

実は案外、私のような作品のファンは日本国内にも多かったのですが、私はなかなか横に繋がることをせず(当時から日本にもファンクラブがあったのですが、なぜか群れるのが苦手で参加していませんでした笑)私の聖地巡礼は全く不完全に終わり、うっかり結婚したり子育てしたりしているうちにすっかり心の故郷を忘れてしまい……

いつかまた来るぞ、とこの湖に誓いながら
33年も経ってしまいました

この草地を、ジグザグに走って登ったり
あの対岸の山のてっぺんのケルンに、小さな缶に入れてこっそり手紙を隠したり
湖に浮かぶ小さな島に上陸したり
ランサムの眠るお墓にお参りしたり…

そんなことすべてせずに、いつも帰って来てしまう私ですが、だからこそ必ずまた来る、と思えるのかもしれません
まさに心の故郷なのです

…いや
もしかしたら
こここそが私の唯一の
ふるさとなのかもしれません…

🇬🇧


私の育った家庭は、ひどく特殊な環境でした
最近ようやく報道などで知られるようになりましたが、私の家は、とあるカルト宗教の
地域でも草分的存在の、高名な信者の家だったのです

物心つく前から、毎日この世界はもうじき終わりを迎える、生き残るためには世俗の事柄を全て忌避し信者としての生活に邁進するよう(それこそ学校の勉強よりそれを優先するように)躾けられました

幼い私の身体はおそらくそれを拒否したのでしょう
病気がちになり、年中熱を出しては学校も信者の集まりも休むようになり、ベッドで本を読むばかりの日々が続きました

その中で出逢ったのが、アーサー・ランサムのツバメ号とアマゾン号シリーズだったのです

漫画もTVもほぼ禁止の家でしたから、代わりに有名な児童文学をたくさん読んでいました。子供向けのカルトの教本もありましたが、数冊しかなく私はすぐに全部を読んでしまい、親は仕方なく私に所謂無害とされる世界の児童書を与えました

それらを読むうち、自分の親や祖母の言うことの異様さや、我が家が他の家庭と恐ろしく違う事が何となく分かってきたのですが、子供だけで家庭や保護者から抜け出して自由に行動することなど全く想像もしていなかった

そんな中、出会ったのがツバメ号とアマゾン号シリーズ

衝撃的でした。
ツバメ号とアマゾン号シリーズの物語の展開は全て、「子供たちが保護者無しで生活すること」です
それも子供の遊びとして成立するんだということ。そして表向きどんな子供であろうと、心の中はその子だけのもので、何を信じたり何を尊んだりするかは自分で決めて良いんだ、ということを登場人物たちは教えてくれました

保護者には、心配さえかけなければ良い
社会的に善とされる行いをして良い子供であれば
生き方はその子の自由
そして、保護者たちもそれを容認することに努める。それが理想の保護者の姿。

……それを、親よりも年上のイギリスの作家が作品の中で証明してくれている!

その事実は、もう、真実の神を見た!というほどの、
私にとっての天啓のようなものだったのです

⛵️


…カルト宗教の家に生まれるというのは
戦時下に生まれるようなものです…

子供は心の中まで拘束される

何を信じるか、自分の命をどう使うか、を宗教に握られる
そして抜け出すことは死に値すると親から毎日聞かされる
死なないで欲しいから、愛しているから、これを信奉して、と親から涙ながらに懇願されるわけです

親を嫌いにはなれない
あなたが大好きだから、死んでほしくないからと言われれば
幼い子供はそれを裏切ることはできません

でも何かおかしい
色んな児童文学を読めば読むほど何かが変
でも自分の親を否定することもできない、抜け出せない…

昨今の報道で、カルト2世信者が訴訟を起こしたりするのを見聞きした人が「そんなに苦しかったなら家や親から逃げれば良かったのに。どうして家から出なかったんだ、逃げなかったのは自分のせいだろう?」と言うのに出会いますが、
簡単に言うなぁ、とその想像力の無さにガックリきます

考えてもみてくださいよ…

大好きなお母さんが、真剣な顔で
「あなたの命を守りたいの、大好きだからこれをして欲しいの」と言うんですよ?
小さい頃からそうして育てられたら、おかしい、とは思えどどうやってそれを振り切って出ていけますか?

私が、「こんなのはおかしい、嫌だ」と思い始めたのは9歳の頃。小学3年生でした。

世間的には善き母で地域でも模範的な主婦でピアノの先生として人望の厚かった母、教師だった祖母、貿易商を営んでいた祖父。その家で何不自由無く幸せに暮らしているようにしか見えない私。妹はまだ6つになったばかり。
客観的に見れば、その家から9つの私が出て行きたいと誰に相談したとて、それは子供の我儘や家出ゴッコにしか見えません

良い服を着て美味しいものを食べ、十分な教育を受けさせてもらっている、地域の評判も良い教師の家の子です

誰が、私が助けを必要としていて、そこから逃げなくてはならない!だなんて分かってくれますか………

傍目には幸せな子供でしたが
心の中はガチガチに拘束された、まるで戦時下の子供です

10代に入る頃には、違和感と嫌悪感を隠しながらカルトの教えに従う、親の喜ぶ良い信者の仮面を被り、外ではそれに反した行いをする二重生活を上手くこなすようになっていました

親を愛しているし
親の愛情も理解できる
でも本当の親の愛など生まれた時から知らない
その整合性の無い、凸凹の地面しか無い空間のようなおかしな親子関係の中で、自分の名前も大嫌いな子供時代を過ごしました

(これも、整理整頓付けられて、言葉にできるようになったのは、カルトの記憶も薄れた母を10年介護して看取り、数年経ってやっと、です)

私と、私の心を本当の意味で解放してくれたのは、親の信じるカルト宗教でも聖書でも聖書の神でもなく、ツバメ号とアマゾン号の物語でした

『どんな家庭に暮らしていたとしても
子供の心はその子のもの、何を信じてどう生きるかは、その子だけのもの』
それを証明してくれたアーサー・ランサムと、この湖水地方の現実の景色でした。

あの物語は作者の体験から編み上げられた「本当にあったこと」なのだとか。
あれは、この景色の中で編まれた物語。

子供だった時の私が
「自分の心は自分だけのもの。何を信じて自分の命や人生をどう歩むかは、自分で決めて良いんだ」ということを発見できたのは、この場所があったから、そしてアーサー・ランサムが居たから、なのです

ここが、私にとっての本当のふるさと
そう思う理由、少しは誰かに伝わるでしょうか………

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