知識がない先生,誤魔化す先生.

今朝,通勤中にラジオを聴いていて,「そうだよな」肚落ちすることがあって.
因みに,最近Podcastの復権というかそんなことを考えていて,運転中はラジオを聴くことが多いんです.

話戻すと,NHKの「三宅民夫のマイあさ!」という番組の1コーナーにビジネス英語の番組をお持ちの杉田敏氏が出演されていて,こんなことを仰ってたんですね.

「知識がない先生は許せる,誤魔化す先生は許せない(かなり要約してます)」

小学校でえいごの授業が始まるんだけど~,という流れからの話だったのですが,これ,英語だけの話じゃないな,と思って.

つまり僕が思うに,教師って何かっていう話なんですね.
で,何が教師を教師足らしめているかというと,『共に学ぼうとする姿勢』があるかどうかじゃないかと思うんですよ.

先生が何でも知っている,先生が何でも出来るなんていう幻想は誰も抱いてないわけでしょ。
昔はそんなことない~,ていう人居るかもしれないけど,そんなことないですよ.
子どもたちも言わなかっただけでね,先生あれ苦手やな,とか,先生これ出来ひんやん,ということは思ったり口に出したりしてたでしょ.
いやいや,私が小さい時はそんなこと言えなかったっていうぐらい大昔の人なら別かもしれないけど.
でもそれって言わないだけで,「これなら俺の方が先生より出来る」という子どもは居たわけですよ.ていうか,居て当たり前だし.

大切なことは何かっていうと,先生の権威を守ることじゃなくて(そんなもんに何の価値もありゃあせんですよ),「俺も出来ねえんだよなぁ.一緒に勉強しようぜ」って,教師自身が自己開示出来るかどうかでしょ.

子どもって,めちゃ敏感ですよ.大人が思う以上に.
見抜いてますよ.
そこで誤魔化す人は,「あ,この人は俺たちに寄り添えない人だ」って分かりますよ,子どもでも.子どもなら尚更.

子どもも大人も,どんな人と一緒に居たいですか,って考えたら分かるでしょ.
何でも出来るぜ~,俺の言うこと聞いてたら間違えないぜ~,っていう人と一緒に居たいですか.
権威を振りかざして言うこと聞かせる人と一緒に居たいですか.

そばに寄り添って共に歩んでくれる人と一緒にいたいでしょ.そこは恋愛と同じですよ.
自己開示出来るか,共に学べるか,そういった人が「教師」じゃないでしょうか.

といったことを考えた朝でした.

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