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RSRのLIVE音源で、なんだか泣けたって話

ラジオTF:RISING SUN ROCK FESTIVAL2023 in EZO ライブ音源

先日行われたRSRのLIVE音源でCreepyNuts「のびしろ」を聴いた。
STAGEトップバッターで14:00という暑い時間帯に行われたこの日のLIVEは、噂に聞く限り素晴らしかった様だが、次の日CreepyNutsはR-指定の熱中症を理由にROCK IN JAPAN への出演をキャンセルした。

当日RSR終わりで般若さんのインライに参加した、声ガラガラでふわふわと真っ赤な顔で笑っていたRさんを見ていた私は、なるほどあれはそういうことだったか と合点がいった。

画面で見ているだけでは体調が悪いことなどわからなかった。
というか、わからないようにしているはずだから当然なんだが、やっぱりすごいなぁこの人は と率直に思った。
Rさんの仕事に対するスタンスは本当にプロの一言に尽きる。それが責任感なのか生来の生真面目さ故なのか、はたまた覚悟からくるものなのかはわからないが、時間と締め切りを守れないという2点を除けば(改めて字にするとあまりにも重要な2項目すぎて、普段この状況に慣れ親しんでる自分が怖い)実にパーフェクト。

そんな後日談を知った上での音源試聴なので、現地に参加した訳ではない私はビジュアルで元気なRさんを脳内で補完することができず、どうしても”熱中症”の三文字をちらつかせながら聴くことになってしまった。
その日ステージに立ったRさんや現地で楽しんだ方々に失礼だとは思うが、どうにもこうにも払拭できぬ。本当に大人の脳というのは気が利かぬ。

結果どうだったかというと相変わらずいつも通り素晴しかった訳なんだが、明らかに常とは違い、自分で入れるガヤというか合いの手的なものが少なく、また普段歌わせないようなところまでまるっと観客にマイクを向けていて驚いた。他の曲がどうだったかは知らないが「のびしろ」なら歌える人が多いからだろうし、何よりまず率直にレアで羨ましかった(笑 そして次に、感心した。

以前ラジオかな?で「しんどい時や喉が辛い時にはお客さんに歌ってもらうこともある。それで逆に一体感が生まれて盛り上がることもあるし、それもラッパーの実力・器量の1つやから」というようなことを言ってた記憶がうっすらあるんだが、きっとそういうことなんだろう。ある程度曲が浸透していることを前提に、自分の不調やしんどさを気取られず、かつ最高のステージを成立させるプロのお仕事。

私はこういうのにとにかく弱い。涙腺ガバガバのお年頃なもんだからすぐに泣く。
ただ、今回はここで泣いたわけではない。
こんなことでいちいち泣いてたらR-指定のファンなど泣きポイントがありすぎてとてもじゃないが務めきれない。ナメてもらっては困る(←は?)

じゃぁ何に泣いたんだってことなんだが、その前に少し話を逸らす必要がある。

私はどこに出しても恥ずかしくない立派な限界オタクだと自負しているんだが、ある時から、ファンってなんなんでしょうかね…と自戒を込めて思うことが増えた。

きっかけは、世界的アーティストのファンである友人が発した一言。
大学での炎上騒ぎがあった頃、お茶をしながらその話をしたところ「……え?推し(の相方)がそういうことしてもあなたは平気なの??」と真顔で聞かれ、「私の個人的な見解はある。だから彼らの考えと合致する時もしない時もあるけれど、私は彼らの音楽に、アーティストとしての生き様に惚れ込んだ訳であって、今のところ気持ちに変化はないよ」と返事をしたところ、普段物静かな彼女が顔をずずいっと寄せてきて「本当に!?信じられない!」と言った。

「私の推しはティーンの頃から活動しているから、色々知らないことも多かった。それは成長段階だから仕方ない、だけど推しには正しく立派になって欲しいじゃない?だから、彼が間違った事を言ったりおかしな事をしたら、ファンが教えてあげるの。わかってくれれば良いだけだから、優しくね。だから今はこんなに素敵な男性になったんだよ。それに素直に感謝できる事も素晴らしいし、ファンも本当に良いばっかりでこれも彼の人柄だと思う!あなたもそうしたいとは思わないの?」

驚きのあまりヘラヘラしながら、飲んでたカフェオレをしばらく飲み込みこむことができず口の中で転がしていたため、とんでもなくぬるくなったことをぼんやりとだが覚えている。飲み物を飲みながら喉が渇いたのは初めての経験である。
私には彼女の言う素晴らしい世界は、地獄だとしか思えなかった。

少ししてから「私はそうしたいとは思わない。彼自身とアーティストとしての彼は別だし、彼には彼自身が信頼する周りの大人達や友人が何人もいる。
それに私はアーティストとしての彼らを愛してるんであって素の彼自身のことはほとんど知らないし、何か問題を起こしたとしても生業をしっかりやっていて、かつ法を犯していない限りはある程度なら問題ない。間違ったことをすれば本人が怒られたり責められたり干されたりするはずで、彼は自分で責任を取れるじゃないか。
第一、私だって仕事中の私と友人の前、家族といる時の私は全部違う」と伝えた。

本当はさらにーー
あなたの好きな推し1人は、何人のファンを相手にしてると思ってるの?
何千何億の瞳で一挙手一投足を見張られて、感謝する人間なんて存在すると思う?ファンが育てたと本気で思ってるの?嘘でしょ!?
そう言いたかったが、口をつぐんだ。なぜかというと、それこそファンとしてのあり様なんて人それぞれで良いんじゃないか と思ったからだ。

とはいえあれからずっと、そのことが頭から離れない。

人を貶めたり蔑んだり妬んだり叩きのめしたりしてはいけないのは当たり前だが、じゃぁ善意だったら良いのか?正しければそれでいいのか?正しいとは誰にとっての正しさなのか?自分の善意や理想を押し付けたり、思い通りに動かそうとしてはいないか。そんなことを考えるようになってしまった。
実に楽しくない、やれやれである。

結果として私は、ファンとはジャンプ台にも足枷にも壁にもなりうるものであり、かつ、数の暴力をふるいがちだから気をつけなくちゃいけない と自分の中で結論付けた。

とはいえ、ファンだって色々ないろんな考え方も持つし言いたいことだってあるし自己顕示欲ももちろんある。ゆえに、自分の意見を言うな!なんてのも全くもってつまらないから折衷案として、少なくとも推しの目に触れる可能性のある時には、同じ意見を100人から同時に自分が聞かされたらどう思うだろうか?と”できるだけ(思い出したら)”考えてみよう と思うことにした。

さて話を戻して、RSRのCreepy Nutsです。
私は何に泣いたかというと、ファンが歌う声が(推しを)アーティストを下支え、彼らの助けになって一緒に作り上げた光景がそこにあったからである。

明らかにあの時Rさんはキツかったはずである。そのキツさの一部をファンが担った。ちゃんと楽しみながら、互いに支えあった。数の暴力だって、使いようによってはこんなに素晴らしいことが起こせるパワーがあるのだと信じられたからだ。

自分達ファンの力を曇り1つなく100%全力で信じられるタイミングなんて、実は悲しくなるくらいほとんどない。それをふいに出会ってしまったものだから、ついつい泣けてきちゃったのである。
本当に良いものを聴いた。心の宝物にしますありがとう。








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