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R-指定の帳

2022.09.19.mon Creepy NutsのANN

松永「50年後の傘って変わってると思う?500万賭けようぜ。変わらないと思う」
R「俺は、もう傘はさす必要がなくなってると思う」
松永「なに?どういうこと?」
R「ん?膜みたいに覆われてんねん。ナノマシーンで」
ナノマシーン好きよねRさん…なんて楽しく聴きつつ、そこから思考は飛んでいく

どんな方にも覚えはあると思うが、私は本の中の世界に没入してる時、頭の中で想像を巡らせてる時、好きな人のことを考える時、気になる仕事のことを考えてる時、現実から切り離されるというか輪郭が曖昧になる時がある。透明の膜が自分と世界の間にあって(私の中ではくず餅が1番しっくりくる)少しだけ音が遠くから聞こえてくるあの感じ。

いつもは自分の目を通してしか世界を認識してないけれど、こういう時には自分が一歩下がる。経験はないが幽体離脱するとこんな風なのかもしれない。
私はこの感覚が非常に好きで、そして、それと同じ理由でR-指定が世界を著した詞が大好きだ。

先月発売されたCreepyNuts「アンサンブル・プレイ」には他人の視点で書いた曲が多い。インタビュー等でも彼らは「情景を見る自分が主軸じゃなくて、情景描写が主軸」「R-指定のフィルターを通して見る世界」だと語っている。
これはもう私にとっては前述した世界と自分を隔てる膜と同じで、Rさんの目線を介して見た世界が描かれているから、私の目の前には彼の目線という幕が降りている。(この場合”膜”というよりは”幕”とか”帳(とばり)”の方がしっくりくる)

よって自分が普段見ている世界とは、色も匂いも形も違う。

私はかなりドライな性格をしており、あまり他人に興味がない上にマイペースであるゆえ生々しい感じがほぼしない...と思う。対してRさんもマイペースではあると思うが、おそらく目に入るものへの感受性が強く、小さきもの、弱きもの、見落とされるもの、忘れられたものにもちゃんと気が付く。ゆえにその視線は優しく鋭く人間らしく生々しい。

だから優しい視線を持たぬ私は、Rさんのおかげで自分を取り巻く世界がこんなに優しく切ないものだと知ることができる。そして関心を持たないゆえ勝ち負けという概念に乏しい私が、人生はこんなにエキサイティングだということにワクワクできる。

もちろんこれはRさんに限った話ではないが、これまで英語詞の曲(主にはヘヴィメタル)を聞いてることが多かった私がCreepuNutsに関心を持てたのは、彼が綴る言葉に引っかかったからだ。本当にラッキーだったと思う。

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