2.さよならの歌
このnoteは、友達二人で往復書簡のように、好きな音楽を紹介するnoteです。音楽が好きだなあと思っている二人が、今まで語ってみたことがなかったことを(たまには自分語りも挟みながら)のんびりと紹介するスタイルです。
私の1曲目は、寺尾紗穂さんの「さよならの歌」。大学生のときに、行きつけの喫茶店で流れていて、店員さんに聞いて、早速TSUTAYAに借りに行ったけどなくて。マニアックなCDを貸しているお店に自転車で借りに行った気がします。
「さよならだけが人生だ」と誰かが言っていた気がするけれど。
さよならは、自分のことになった途端、すごくつらい。
今、この瞬間にもどこかでたくさんのさよならが起こっているはずだし、
例えば、自分の髪の毛が、私の頭皮からさよならしているかもしれない。
さよならに、いつも覆われていて、さよならしたくないのに、いつでもさよならしている、それに気づいていない。
さよなら、したくない。本当は、ずっとさよなら、したくない。
年を少しずつとってきて、自分にも、周りの友達にもさよならが、ふっと訪れた時、昔は、ずっと悲しかった。
今は、そうか、そうかと。受け止める。というより、「あの人はさよならの線を、徒競走のゴールのように、あっという間に通り過ぎたのだな」と思うようになった。大山のぶ代さんが亡くなった時、志村けんさんが亡くなった時。坂本龍一さんが亡くなった時。小澤征爾さんが亡くなった時。
自分の大事な部分を少し担ってくれたあの人達が亡くなった時、そう思った。会ったこともない、話したことももちろんない、その人達が作ってくれた時間は、さよならの後も、私の中では途切れず、描かれた線がずっと伸びているような、今はそんな感覚。
さよならの歌は、さよならした「あなた」への願いが描かれているように思う。おばけになって、なにか空気的なものとして、あるいは生まれ変わって樹として。そばにいてほしい、こちら側の届かないかな、届くかな、ギリギリわかんないなっていうそういう願い。
寺尾紗穂さんの、こもっているけれど、丸い、鼻の奥から頭蓋骨を通って、おでこで響いているような、小さい時の母のおやすみ、のような声がとても好き。
そういえば、さよならってちゃんと最近言っていないのかもしれない。
いつか会えるかわからない「またね」より、
一度しっかり別れる「さよなら」もいい気がする。
こちらも1投稿目から、なんだか暗くなっちゃった!
次の投稿もよろしくね。今日はさよなら。