16. グライド/アイナ・ジ・エンド
本当にタイミングがよく?Salyuさんが20周年!でトリビュートアルバムが出ていたよ。その中で、アイナ・ジ・エンドさんが「リリィ・シュシュのすべて」のグライドをカヴァーしている。キリエが、リリィ。
今回のトリビュートアルバム、素晴らしいアーティストばっかり。旅人さんのまっすぐな、甘さのない「飽和」。YEN TOWN BANDのCHARAさんと君島大空くんのVALON-1もとろけるようです。
そうかと思う。岩井作品には、いろんな歌姫がいたのだなあと思う。
リリィ・シュシュ、何回観たかなあ。そしてその後、Salyuとして現れてからずっと聞いている。旅人さんのアルバムにも現れるSalyu、旅人さんのお友達でもある国府 達矢さんとのSalyu、震災のときに一番聞いていたのはCorneliusとのコラボ作「続きを」。
トリビュートアルバムの素晴らしさを横目にみながら、どうしても原曲も並べて聞いてしまう自分。
なぜ、Salyuが好きなのか?
──salyu×salyuの場合は、技術的にものすごく難しいものがあって、それをまずクリアするのがえらい大変だったんですよね、恐らく。今回はじゃあそれとは違う部分のアプローチで難しかったってこと?
そうですね。なんて言うんだろ、感情をどう込めるかっていうよりは、結果としてどういう感情に見えるかっていうことなんですよね。
──ああ! なるほどね! プロの発想ですね、それは。
でも音楽ってそういうものだから。私は演劇をやったことないのでよくはわからないですけど、役者とは違うし。結果どう見えてくるかっていうことだから、“自分らしさを自分らしさを!”って自分に訴えかけながら歌った歌が、聴いてくれる人に「その人らしい」って届くとは限らないから。あたかも“そう見せる”というのが音楽ですから。そこですよね。
Salyuは生まれ持っている声の独特の広がり、透明感を技術として磨き続けている気がする。様々な質感の高い声。多分、一つひとつの言葉の音の鳴り響き方、マイクに乗せ方、母音の残し方、あらゆることを丁寧に(生け花みたいに)研ぎ澄ましたり、一面の花畑をブワッと広がる風のように見せたり。
フレーズの歌いまわしの中に世界を閉じ込めるための歌。そこまでできちゃったら、狂っちゃうよねっていうレベルなの。
彼女は、ずっとその技術、そう聞こえるための工夫をし続けてきたんだと思う。自作自演の人と違うところもありそうだなって思う。職人としての歌い手。歌い手としての個人ではなく、歌い手としての個性(音)を磨いてきた人という印象が強い。自作自演できないからこそ、コラボ相手を吟味したり、ともに闘える相手を探してきたんだろうと思う。
言葉だけでなく、音声として言葉の真ん中にある「気持ち」を表現できる。「あなたが好き」だけで、心が外に引っ張り出されるような気持ちになる。
UWOOOO-!という長い音だけで、世界全部をぶっ壊すつもりなの?っていう気持ちになる。
私は、YES!!ってなる。これはもしかしら、ちょっと変?
Salyu、でも、技術を徹底しすぎて、全部の音を作りすぎてそのことばっかり表に出てきてしまうことも増えてきたかも。シンプルで響いて温かいみたいに歌う、みたいになっていないといいなと思う。
そういうことを今回のトリビュートアルバムでSalyu自身が、歌ってもらうことでSalyuを思い出す↔Salyuじゃない可能性を持った別の世界に楽曲を一度自由にしてあげるみたいな体験が必要だったのかもしれない。私だったらこんなに完璧に作られてきた作品のトリビュートは荷が重すぎる。(頼まれない)誠心誠意を差し出す以外にない。声の可能性をずっと切り開いてきたSalyu。疲れちゃうかもしれないけれど、よかったら歌ってほしい。Salyuの声で世界を旅したい。
Jun Futamataさんとのコラボでも、相変わらず上手い。
岩井さんの話しようとおもったら、Salyuの話ししてた笑
とんでもねえのよね。はやすぎたファーストテイク!