断酒16年、嗜癖とともに歩いて
自分で自己診断、精神病院で「藪患」と呼ばれました。藪医者が居る様に、僕は藪患者だったようです、クロスアディクションでアチコチしながら、ここにたどり着きました。
LGBTQが、世間で注目される前に、「性同一性障害」を名乗って、SNSの走りのmixiで一晩に2.000回以上男性とやり取りして、救急車と警察に通報されて精神病院に保護入院された、私ですが、世間がまだLGBTQを知らなかったし、LGBTQという言葉も表現もなかったですね、女装子という表現もなかったです。好い所「オカマ」ですね、けど少数派(マイノリティ)は存在していたし、男色は千年以上の歴史がある日本の文化です、江戸時代は、結構お盛んだったようで、「男色大鑑」は有名は本です。
江戸時代の男娼と男色は、世界的にも珍しい独自の文化が華開いた感もあります。男色の世界にも、不貞の考えはあります。女色に走れば当然不貞です。そして別れもありました、一定の年齢の期間だけ、男色の世界に身を置き、その期間を過ぎれば男色の世界から離れる(抜ける)十代の一時期だけ年上の男性の寵愛を受ける。そんな時代背景があったのに何で、グローバルな価値観を押し付けられなければならないのかわからない、日本の和算は、西洋の算数よりもはるかに高度なレベルで進んでいたものを世界に合わせる必要性はなかった、和算の基礎があったその技術が、世界一の番狂わせ「日露戦争」の結果につながった、日本が世界に合わせて足取りを緩める必要性はない、独自路線で歩めば再び世界の頂点まで上り詰めることも不可能じゃない、国連は、日本を恐れているから敵性国としているだけでしょう。
男色家にとっては、某芸能事務所は、食指が働いたでしょうね。それを世界が認めなかった。認めることが多様性なのか、日本を敵性国家にしながら多様性を叫ぶ、ポリコレはなんなんだ。
主語がなくても好いのが日本語だよ、広島の平和宣言には主語がない、英語圏の人は首を傾げているだろう?
恋焦がれる詩なのか、諸外国は戦う歌、勝ち取る唄が多いようですが、恋焦がれてる僕がいる、色欲に溺れてしまいたい。