能登半島地震の現状を見て

2024年1月1日
 私は関東の実家にいた。親戚たちとゆったり過ごしていたときに地震は発生した。地震発生後、すべてのテレビが能登半島地震となり、悲惨な状況が伝えられた。能登半島に行ったことはないから自分とかけ離れた場所だったが、元旦から不幸なニュースが流れてショックだった。それから、能登半島についての会合やニュースに関心を持って見るようになった。

 4月のある日、私は能登半島地震の現状を見に行った。私は震災が起こった現場に行くことは初めてだった。内灘町や輪島市や珠洲市など、地震の被害が大きかった地域を中心に行った。

状況は4ヶ月前の地震発生時から大きく変わっていなかった。
・倒れたビル

倒れたままの輪島市のビル
(2024年4月上旬撮影)

・浮き上がったマンホール

浮き上がったマンホール
(2024年4月上旬撮影:珠洲市)

・隆起して海水がなくなった港

隆起して海がなくなった黒島海岸
(2024年4月上旬撮影)

・道路に堆積したままの土砂  

土砂崩れで土砂が積んだままの道路
(2024年4月上旬撮影:道の駅すず塩田村付近)

他にも
・ひび割れが目立つ道路
・崖から崩壊した道路
・焦げ臭さの残る輪島の朝一
・粉々に壊れた家
・潰れたままの家
・磯の香りが強い隆起した海岸線

全てが衝撃で言葉が出なかった。目の前に広がる世界が日常と大きく異なっていた。呆然と立ち尽すしかなかった。一瞬で環境を変えた災害の恐ろしさを改めて実感した。
 
 このような現状でも、被災地で生活している人たちがいる。仮設住宅の建設が各所で行われており、完成間近に見てとれた。また、輪島市の小学校で入学式が行われたニュースを見た。満開の桜が咲く中、子供たちが気持ちを新たに学校生活を楽しみにしていた。能登半島で生活する人たちのために「何かできることはないか」という気持ちになった。

 私に出来ることは何だろう。募金、ふるさと納税をする、ボランティア活動の参加…。私は現地に行って悲惨な状況を見てから、ボランティアに参加して地元の人たちの手助けをしたい思いが強くなった。そして、地震前の美しい街並みを取り戻したい。

 皆さんは何ができますか?

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