憲法9条改正の是非と国民主権



近隣の軍事大国への備えと、国民の人権が制限される可能性をどう考える?


最近は自民党にとって逆風だけど…

ここ最近は、自民党政権への風当たりが強くなり、憲法改正の議論は一時的に熱が冷めたように見える。支持率の低下や国民の関心の変化などがあって、前ほど「改憲」というワードを聞かなくなったかもしれない。
しかし、世界の情勢は常に動いている。アメリカではご存じのとおり、トランプ大統領が再び政界の中心に返り咲いた。安倍元首相がいない現在の自民党では、日米安保を含む日本の安全保障政策は大きく揺れる可能性もある。そのとき、改めて「憲法9条をどうするか」という問題が台頭してくる可能性は十分ある。

そこで、改憲派の方が主張される「軍事力強化を図らなければ日本は危ない」という観点と、反対に「人権が大幅に制限されるおそれがある」という懸念の両面を見ていきたい。最終的には、どんな道を選んだとしても国民にはそれなりの覚悟が求められるのではないかと思う。


1.憲法9条改正で得られるメリット

軍事的自由度の拡大

改憲によって得られる最大のメリットは「自衛隊をより強い法的根拠のもとで運用し、防衛力を充実させやすくなる」ことだろう。もし日米安保条約が揺らいだ場合、自力で国を守る必要が出てくるし、北朝鮮のミサイル問題や中国の海洋進出などを考えると、現行の解釈改憲だけで対処しきれるのか不安だと感じる国民は少なくないはず。実際、日米同盟に過度に依存してきたツケが回ってくる可能性を考えると、独立した軍事力の拡充は一定の合理性がある。

加えて、国連平和維持活動(PKO)などでの自衛隊の活動範囲が広がることも考えられる。国際貢献の場で日本の役割を明確にできれば、外交面の発言力も増すかもしれない。少なくとも改憲が実現すれば、長年のグレーゾーン状態から脱して「自衛隊は憲法上、確実に合憲だ」という形を堂々と打ち出せることになる。


2.改憲によるデメリット:人権が制限されるリスク

憲法は本来、権力を縛るためのもの

一方で、「憲法は権力者を縛るためにある」という大原則もある。もし、9条以外にも、人権に関する条項が改悪された場合には、政治家や官僚などの“権力側”が、再度自分たちを縛るようなルールをわざわざ提案するとは考えにくい。たとえば民間企業間の契約でも「自社にとって不利になるような内容の契約を、自ら提案するか」と言われれば、まずそんなことはしない。国家運営も、ある意味似たようなもので、政治家や省庁が「自分たちの行動を厳しく制限する新しい条文を作ります」と言い出す可能性は極めて低い。

だからこそ、一度でも改憲の実績ができると、次の改正で“権力側に都合の悪い条文”を削りにかかる懸念が浮上する。そして1度削られた・改悪された条文は、まず元には戻らないと考えたほうがいいと思う。特に表現の自由を定めた21条や、13条(個人の尊重)、それに97~99条などがターゲットになりかねない。国民にとっては生命線とも言える基本的権利だが、権力側からすると「何かと行動の邪魔になる」条文だろう。万が一それらを改変されたら、憲法は「国民を守る盾」ではなく「国民を縛る鎖」へと反転する恐れがある。


3.最初の国民投票と、二度目の改正

1度目は慎重に、でも必ず通したい

改憲を行う場合に、自民党などの本音としては、最初の国民投票で失敗するわけにはいかない。憲法改正は、自民党の長年の党是でもあるし、もし国民投票で否決されるような事態になれば、政権自体が大ダメージを受ける可能性が高い。だからこそ、1度目の改正案は9条の改正 =「防衛力の強化」など、比較的国民から理解を得やすい内容に絞り込んでくるのではないかと考えられる。

2度目の改正で人権条項を改変する危うさ

ところが、一度「憲法は変えられる」という事実が確立すると、次に狙われるのが人権条項ではないだろうか。たとえばSNSやテレビCMを使って「もっと国民のために、国家を強くするための改正が必要」「余計な規制を外すのが国民のためだ」といったキャンペーンを大々的に打ち出してくるかもしれない。実際 政府・自治体は数年前、コロナワクチン接種を推進するため、「思いやりワクチン」や「県別接種率ランキング」を毎日のようにメディアに載せるなど、強い“誘導的”な宣伝戦略を展開した。あの手法と似た形で、国民投票に向けて「憲法改正は素晴らしい」「反対するのは時代遅れ」みたいな世論形成を仕掛ける可能性がある。

自民党は資金力もあるし、友好的なメディアも少なくない。SNSやテレビCMをフル活用した“圧倒的な宣伝攻勢”が行われれば、気づいたときには「やっぱり改憲が正しいよね」という空気が当たり前になっているかもしれない。そうして表現の自由や個人の尊重といった条文が骨抜きにされてしまえば、日本は「権力を制限するはずの憲法」が「国民を縛るための憲法」へと変貌する岐路に立たされる。


4.もし改正しなかったら:日米安保破棄の悪夢

トランプが再度「破棄」を口にしたら?

改憲に反対して現状を維持する場合のリスクとしては、なんといっても「日米安保条約の破棄」が挙げられる。トランプ大統領は、過去の政権時に日米安保を「不公平だ」と批判し、破棄の可能性に言及した報道が出た(Bloombergなどの海外メディアが2019年に報道)。これは実行されなかったが、“検討しただけ”でも大きなインパクトがあった。
実際私自身も、安保条約は破棄の可能性があり得ると分かり、それまでは安倍元首相が行った「安保法制の整備」には反対の立場だったが、それは間違いだったと考えるようになった。

もし将来的に安保が本当に破棄されれば、日本は自衛隊だけで防衛を完結しないといけなくなる。近隣の軍事大国が攻めてきた場合に勝算があるのか、と問われれば、正直かなり厳しいだろう。最悪の場合、相手国の属国状態に追い込まれ、人権がほとんどない状況に陥るかもしれない。その場合には国民感情として「改憲しておけばよかった」と後悔するかもしれないが、後の祭りである。


5.改憲しても、しなくても、人権が脅かされる?

改憲した場合

改憲して軍事的に強くなれば、国防上の安心感は確かに増すかもしれない。ただしその代償として、人権を制限する憲法改正および法整備が活発化し、政府批判やデモが抑圧されるリスクが高まる。強い軍事力のもとで治安維持を理由に情報統制が進む事態も、あり得なくはない。

改憲しない場合

軍事力強化は行いづらく、日米安保頼みの状況が続く。もし、アメリカの都合で、安保が破綻するようなことがあれば、日本は防衛面で孤立する危険性がある。万が一攻め込まれた場合には、人権や自由どころではなくなる。


6."お上”に期待し続ける限り、地獄は避けられない

改憲・非改憲どちらも"地獄"かもしれない。しかし、大事なのは、私達国民自身が「自分たちの権利は放っておけば勝手に守られるわけではない」との思いを強く持つことではないだろうか。
改憲すれば国家権力が増すわけだから、その権力を厳しく監視しなければいけない。ところが、昔から日本は“お上意識”が強い国である。昨今は政治不信とはいえ、政治家に任せておけばなんとかなるだろう。あるいは政治には期待しないが行動 ( 投票等 ) もしない人が一定数以上いる現状では、
もし権力が肥大化しても誰もブレーキをかけることができない。
他方で、改憲しない場合でも、アメリカという“お上”に寄りかかっている構図は変わらない。
トランプのような強烈な個性を持つ大統領が、仮に、日米安保を破棄する と示唆しただけでも、日本中が大慌てになる。結局ここでもアメリカという“お上”頼みなのかもしれない。

他国には「絶対に支配されない」という強い意思は当然貫きたい。ただ普段から、権力に任せきりだと、いくら日本人が優秀でも、“お上への従順さ”や"同調圧力"に向かってしまう可能性があり、ますます権力に利用されやすくなることも考えられる。


終わりに:人権を守るのは誰なのか

改憲すれば、人権が危うくなる可能性が高い。改憲しなければ、中長期的には国防がダメになるリスクが高い(高齢化や経済の問題も含めて)。
では突き詰めると、結局は「国民が自分の人権を守り抜く主体性を持つしかない」という当たり前の結論に行き着く。
欧米のように、国民が血を流して主権を勝ち取ったという歴史を持たない日本では、「お上に任せておく」という状況に陥りやすい。だが、その姿勢のままでは、どんな選択をしても地獄に繋がりかねない。憲法が改正されようがされまいが、国民が「これはおかしい」と声を上げる土壌がなければ、いつか人権は失われるし、自国の安全さえも危うくなる。

人権や主権は与えられるものではなく、自分たちで守り続けるものだという原点に回帰する必要がある。軍事力を強化するにしても、改憲を拒否するにしても、日本が本当の意味で主権国家として生き残るためには、答えになっていないかもしれないが、
国民一人ひとりが、私達の国家 ( 私達国民一人ひとりが株主と考えてもいいかもしれない ) と考えることが重要だと思う。


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