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ちょっと好きな考えちゃん 0も100もないってわけ

今回は自分のオリジナルな哲学的なものを書き起こしてみましょうかなと。

0も100もこの世界にはないってお話

Q. 100って存在するじゃん、ガチャの確定とか何かをもらえることって
  必然的な事象ってすごいありふれてるんじゃない??

ぱっと聞いてこんな疑問出ると思います。
ただ頭ごなしに100と決めつける、それこそどうせないっていうのは
考えの凝り固まりのように感じるからここに至ったって話です。
ここからすこしづつこの考えの源泉からやわらかくしていこうって思います

100の内訳

1つ具体例を出してみましょう。 自分は今決断の時を迎えています。
とんかつにするか、カレーにするか。
この時どんな判断をしているかあげてみましょう。
今日の腹的に油はきついなあ、スパイス摂取したいなあ などなど
さて悩んだ末にカレーにしました。
この時カレーという決定をしたため0のとんかつ案と100のカレー案が
生まれたわけですがほんまに0と100でしょうか。
私はとんかつへの気持ちは0ではないだろうと考えるわけです。
だってまた食べたくなるかもやし、苦肉かもしれないですから。

この状況を表すとこうです。
カレーにする 80 とんかつに惹かれる自分20
それでも100がカレーであると感じるのはなぜか。
決定に酔いしれているとでも言いましょうか、決断の達成感てわけです。
20を自ら覆い隠して考えなくしているのです。

これで少しはわかりやすくなったと思うのですが私がこれに行きついたのは
ネットにずぶずぶ、高校での先生への嫌悪感、掟の生きづらさからです。
なんで全部どちらかに振り切らないといけないのか、
これが絶対なんてなんで決まっているのか理解できなかったのです。
そんな中、友達に言われて吹っ切れた部分がありました。
「カチカチに正解出すことにこだわってないか?そんな極端は窮屈やん」
この言葉を聞いたときに
「そもそも0か100にとらわれる必要なんてなかったんや」と思い
これで気持ちが楽になったと同時に、何事も受け入れやすくなりました。

そろそろまとめとしゃれこもうかなと。
現代では同じように決めつけたり決めつけられることが多いと感じます。
だからこそこの考えを使ってみてほしいなと思う今日この頃。
情報をうのみにしすぎることだって減る気がします。
逆に言えば信じる裏にも20がいるわけですから。
気楽に判断できるだけでも多少は生きやすくなると思います。

インスタでもこんな感じでしれっと解決できる悩みにアドバイスしていくのでよろしければどうぞ。

ここまで読んでいただきありがとうございました。またどこかで

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