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底抜けに明るい人の原点

お久しぶりです~ みやっすです。
最近どうも五月病のようなもので手がつかない状況でした。
そんな中、久しぶりに人と対面で話したのですが
そこにいた底抜けに明るい人の原点って何なんだろうなという疑問に
かられた自分がいたのでおもむろに書いていきます。

底抜けに明るいと同じ状態

私はまずこの見出しについて考えてみたいと思います。
言ってしまえば底抜けに明るいを状態としてとらえてみたいので。

底抜けに明るいを見たときに感じたのはエネルギーが有り余っている、
興味のあるものへの熱量が強いの二つでした。
今の自分に全くないもので驚いたからこそ強く感じました。

じゃあ原点ってどこなんだ

というわけで本題に立ち返ってみようと思います。
この状態、性格を生み出しているのは何なのか。
私が出した結論はハードルの調整をうまくやってきたこと。
これなのかなと私は考えます。
ここからはその理由を書いていきたいと思います。

身の上話にはなってしまうのですが、つまるところ自分の真逆。
常に成果に焦らされて中途半端だった自分の真逆だなと。
何事も楽しむことがどんどんと難しくなっていき、
日常すらも成果を求めてしまう生活をしている自分から見れば
より輝いて、より不思議に見えたのではないかなと。

この状態はハードルをいじることができないと置き換えることができ、
ゴールを短期的に生み出すことができていないといえるのかなと。

じゃあ底抜けに明るい人はどのような生活だったのかなと。
多分、しっかりと目標を定めたうえで自分の満足のハードルは
あげ過ぎなかったんじゃないかなって思います。
だから今でも日常的な満足を追い求めることができる。
夢を夢らしく語ることができる。
すごくうらやましいなと今書いていて思います。

原点はいつか書いたようにもう変えようのない事実であり
今の自分を形作っているので切り離すことはできません。
「どこで間違ってしまったのだろう」というワードがいろんな曲に
まぎれていますがけっして間違ってはいないんです。
ただ決まっていた。その人間としての結論だったと。

こうは思いながらも悩んで抜け出せないから歌詞に乗せていると
考えると人間の奥ゆかしさを感じてくる朝ぼやけ。
リハビリを兼ねた投稿なので少し短かったりいつも以上にふわっとしているかもですが今回はここまで。またいつか。

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