世界が終わるとしたら
今日は休日の朝、携帯のアラーム音で起きる、自分の1日の始まりの特に変化のない朝。
1つだけ日常とかけ離れているとしたら、
外から悲鳴や、怒声が聞こえることだろうか。
うるさいなー。こんな朝からなんだ?
メガネをつけて外を見渡すとそこらじゅうで略奪、喧嘩…ましてや、この日本で見たことないような風景が広がっている…
なんだ?何が起きてるんだ。
急いで、スマホのニュースアプリを開く。
地球に巨大隕石衝突か?!
ニュースキャスターがコメンテーターと人を馬鹿にしたような難しい内容で討論を交わしている横ででかてかと告知している。
嘘だろ…昨日まで普通な日常だったじゃないか…
不思議と笑みが溢れてしまう
人間、自身が受け止めることができない状況になると笑いが止まらなくなってしまう物だ。
まずは、整理だ。状況を考えよう。
後、どのくらい猶予があるか、
衝突までは、
2日
つまり、時間はそんなにない。
人は少なからず考えたことがあるテーマ
明日世界が終わるとしたらなにがしたい?
それが、リアルで起きているのだ。
好きな人と一緒に過ごす。
否、いまから恋人を作るには時間が足りない。
好きなものを腹一杯たべる。
こんな、状況に店を開いている酔狂なやつはいない。
好きなゲームを心ゆくまで楽しむ。
クリアができなかったら後悔しか残らない。
考えに考えた結果、こーいう状況になったら
私はぼーっと日常を過ごすことを選択した。
変わらず、自宅のキッチンで冷蔵庫の中身と相談して料理を作り、休みの日なのだからビールと洒落込もうなどと喉を鳴らしてテーブルにつき、サブスクの映画でもみる。
これぞ、休みの日の醍醐味ではないか!
しかし、やはり人間なのだ。
恐怖心が徐々に体を蝕むのだ、酒を飲んでも飲んでも酔いはせず、つまみを口に運べも味はせず…
震えが止まらなくなるのだ。
映画の主人公が言った。
私たちはこれからも日常を過ごしていく。
変わらない日常を。
こんな荒廃した街で。
違うのだ、私の現実はあと2日で終わってしまうのだ…
スマホを手に取り、友人に片っ端から電話をかけてみた…
やはりこんな状況…
電話なんて通じない。
田舎の両親たちはどーしてるかな?などと考え始めたそんな時、玄関からピンポーンとチャイムが鳴った…
すいませーん。
隣のものなんですが、いらっしゃいますか?
私は、すぐさま警戒心丸出しで何ですか?と声が裏返りながら回答してしまう。
いや、もーすぐ地球がおわりじゃないですか?
せっかく1人でいるのも寂しいんで、良かったら2人で飲みませんか?
しばらく何を言っているのか、理解できなかった。
しかし、自分も寂しさを埋めるかのよーに部屋に通していた。
いやーもうすぐ地球が終わるってニュースで見たんですけど実感わかなくて!
でも1人で飲むよりたのしくのみたいな!って
能天気なやつだなーと思いながら隣の住人のことを見ながら2人で乾杯をし、小さな宴会の始まりであった。
先ほどとは違い、酒は回りどんどん酔いがくる
隣の住人も、楽しいのか、鼻歌を歌いながら盛り上げてくる。
こーいう終わり方もいーかもなとおもいふたりで何度目かの乾杯をした時、世界は一瞬で真っ暗になった。
世界は終わった。
しかし、私たちの宴会は続く。
酒やつまみはまだまだあるのだ。
人は1人だと寂しさで潰れてしまう。
しかし、他人がいることで恐怖心も笑顔に変わる。
宴会は続く、乾杯も続く。