『凸凹息子の父になる』4 家事で整う
目を開けると、朝になっていた。
どうやら昨日は、そのままソファで眠ってしまったらしい。
もう一眠りしようかとも思ったが、しきりに外でポチが吠えている。散歩に連れて行けと言ってるのだろう。暑くなる前に、ひとっ走り行って来るとするか。
トマトジュースを一杯飲んで、外に出た。ポチは、待ち切れずに飛び跳ねる。私は、ポチの頭をなでた。
「昨日は散歩連れて行けんで、ごめんな」
リードを着けると、ポチはグイグイ引っ張る。
「こらこら、引っ張るな」
するとポチは、スピードを落として私に合わせた。いつもの様に住宅地を抜けて、裏の小山を上って行く。
木陰に入ると涼しい風が吹き、小鳥の囀りも聞こえる。ちょっと走るだけで自然に触れることができるのが、田舎暮らしのいい所だ。
しばらく行くと、山の中腹に農業用水の貯水池が見えてくる。ポチは、まだその先に行きたがっていたが、今日はここでUターンだ。
山を下りて住宅地に入ると、ジョギングや散歩をする人達とすれ違う。
「おはようございます」
顔馴染みの、ご近所さん達だ。
「おはようございます」
毎朝、同じ時間に同じ道を通り、同じ顔ぶれの人達と挨拶を交わすのは、気持ちがいいものだ。
家に帰り着いて、犬を繋ぐ。フードの皿と水の容器を洗い、新しい水を注いでやると、ポチは凄い勢いで飲んだ。フードも旨そうに食う。
シャワーを浴びてから、朝食の準備をする。
昨日リサさんからもらった紙袋の中身は、ホームベーカリーで焼いたクルミパンだった。
ホームベーカリーは、うちのお袋も持っていた。計量した粉と水とイースト菌を入れてタイマーをセットすると、自動で生地をこねて発酵させ、設定時間にパンが焼きあがる器械だ。
それで焼いたパンは、売っているパンより耳が厚くて弾力があり、小麦とイーストの香りがいい。
私はクルミパンを厚めにスライスし、バターをのせてトースターで焼いた。その間にコーヒーを淹れる。
溶けたバターの香りとパンの焼ける匂い、コーヒーの香りが混ざり合う。旨いものの香りは、心の栄養になる。
茹でたソーセージに粒マスタードも添えて、昨日とは打って変わった優雅な朝食タイムだ。
朝食を済ませると、ベッドからタオルケットやシーツや枕カバーをはずし洗濯機にかけた。そして縁側に干していた洗濯物をかごに取り込み、替わりにベッドマットを日光に当たるように立てかけた。
しばらく子供たちがいないので、家事に専念できる。
食器洗いを済ませ、掃除機を掛け終わると洗濯も終わった。二階のベランダに物干しを出し、シーツ類や、ベッドの敷きパッド、そしてベビー布団一式を天日干しにした。
続いて、物置にしまっていたベビーベッドとベビーラックを出した。長女も次女も使っていたものだ。ベッドもラックも除菌シートで拭きあげてから組み立てていく。
そしてベッドは子ども部屋になってしまった和室に、畳が傷まない様にマットを敷いた上に置き、ベビーラックはリクライニングを倒した状態で食堂に置いた。
もともと私は両親が共働きだったので、子どもの頃から掃除、炊事、洗濯をするのは当たり前で、嫌いではなかった。家事というものは、回数をこなすうちに、要領も良くなってくる。
修行僧の様に一心不乱に掃除をしていると、いつの間にか頭と身体と心が整っている。
ところが家事に育児が加わると、話は変わる。いつも子供は想定外の仕事を作り出すので、物理的に完璧な家事をこなすのは不可能になる。
だからチビたちがいないうちに、出来る限りのことをしておきたかった。ましてや新生児を迎えるので、家中を清潔にしておきたい。
私はゴーグルとゴム手袋とマスクをして、浴室の掃除を始めた。
先ず窓を開けて、壁や床に漂白剤をスプレーをする。浴槽には洗面器などの小物を放り込み、湯を抜きながらバスタブや洗面器、椅子などを専用の柔らかいクロスで洗う。
その後シャワーで流しながらシャンプーやボディソープの底や台をクロスで擦り、蛇口や鏡も磨く。
床や排水溝はブラシで磨き、最後に乾いたバスタオルで浴室全体やドアを拭き上げると、私の理想の浴室になった。
普段は入浴後にワイパーで水切りし、更にタオルで水滴を拭き上げているのだが、時間がある時は徹底的に掃除をしたくなる。
そして、あちこち磨いているうちに、どんどん面白くなって洗面所のシンクや鏡も磨いた。ついでに台所のシンクやコンロも。
全ての物が、本来の輝きを取り戻す。
私は、その仕上がりに満足した。
しかし家事の達成感は、自己満足の域に留めておくべきで、他人に見返りを求めてはいけない。
特に妻に対して、ほんの少しでも「俺がやってやった」感をちらつかせると、
「綺麗にしてくれるのは嬉しいけど、私だってパパが気づいてないこと、いっぱいやってるよ」
と言われるのがオチだ。
少しぐらいは褒めてもらいたいものだが、妻は妻で同じことを思っているのかもしれない。
とにかく今は家事も育児も大変な時だが、その大変さも楽しんでやろう。そして妻のことも、ちゃんと労ってやろう。
そう思い、三人になった子供たちの様子をシミュレーションしながら準備を進めた。
午後に、また赤ん坊の様子を見に産院に行った。
息子は新生児室から移り、妻と同じ部屋に寝かされている。
「調子はどう?」
「うーん、夜泣きがひどくてね」
そう言って妻は、あくびをした。
息子は我々の声が聞こえたのか、頭や手足を動かしたり、時々顔をしかめたりしながら眠っている。
どんな夢を見ているのだろう。そろそろ、名前も付けてやらないといけない。
私の名前は「宙太」と書いて、「ソラタ」と読む。
1969年の7月、アメリカのアポロ計画により人類が始めて月面に着陸したが、そんな時に私は生まれた。
そのニュースの影響を受けた親父は、息子が宇宙飛行士になるとでも思ったのか、「宙太」という名前を思いついた。
そして両親から何度となく、私が生まれた日に人類が月面を歩いたので、この名前をつけたと聞かされて育った。ちなみに苗字が「星」なので、やたらと天空に纏わる氏名になった。
しかし私は、親の期待ほど宇宙に興味を抱かず、これまでのところ宇宙関連とは全く縁がない人生を歩んでいる。
小学校に上がり漢字で名前が書けるようになると、誰もソラタとは呼ばなくなった。同級生からは「ネズミのチュー太」などとからかわれ、担任さえもチュー太と呼ぶようになった。
私は少なからず名前にコンプレックスを持っていたが、次第に体格と腕力が同級生を上回るようになり、いつしか名前のことも気にならなくなっていく。
逆に大人になってからは名前で覚えてもらうことも多くなり、何かと都合が良かった。
さて、この息子の名前は何にしよう。息子の顔をぼんやり眺めていると、「翔太」という文字が浮かんできた。
特に深い意味はないが、息子の顔を見てると「翔太」しか浮かんで来ない。妻にそのことを話すと、あっさり同意してくれた。
「パパが宙太でこの子が翔太なら、二人合わせて宙を翔ぶからいいんじゃない」
「いや、それは理由になってないし、二人合わせなくてもいいし」
それでも試しに息子に
「翔太」
と呼びかけると、目は瞑っているが顔をこちらに向けて反応したように見えた。
よし、決まりだ。
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