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『凸凹息子の父になる』32 チベット探検家になる?

 年末になった。その日は朝からぐずついた天気で、風も強くみぞれ混じりの雨が降っていた。
 九州といえども北部は緯度が四国と同じくらいで、冬は寒い。

 翔太は、何やら旅支度をしている。昨日観たアニメの影響で、冒険旅行の準備らしい。リュックサックに、100円均一の店で買った双眼鏡や懐中電灯、ビニールの敷物、水筒、自作の地図、方位磁石などを詰め込んでいる。気分は、すっかり探検家だ。

「どこへ行くんだ?」

 と聞いてみると

「チベットに行く」

 ということだ。

 息子はチベットが何処にあるのかも知らないが、楽しい空想の世界に入っている。今日は天気が悪いから、家の中で思う存分、冒険気分を味わうがいい。
 翔太は台所の引き出しや玄関のもの入れを物色し、入念に旅の支度をしていた。

 午後の授業をしていると、雨足が強くなってきた。私は窓がちゃんと閉まっているか気になり、念のため家中を確認した。
 窓は閉まっていた。ところが、翔太の姿が見えない。

「えっ?」

 外に出てみると、翔太の自転車がない。

「うわぁ、やられた」

 翔太はみぞれ混じりの雨の中、誰にも気づかれずに出かけてしまったようだ。
 しかし、本当にチベットを目指して出かけたんじゃないだろうな。自転車で、チベットに行ける訳はないし。

 すると妻が、気がかりなことを言った。そのアニメでは、川に掛けられた橋の下にボートが隠されており、そのボートで海に出て大きな船に乗り換えるらしい。

 もう、嫌な予感しかしない。
 私は授業があるので、妻がカッパを着て、一人で近所の小川や橋を目がけて探しに行った。

 授業をしていても、翔太が川に落ちていやしないか、流されていやしないかと気が気ではない。そのうち、みぞれが雪に変わる。
 私は授業の合間に風呂を沸かし、二人の帰宅を待ちわびた。

 だいぶ経ってから、妻が一人で帰宅した。
 妻は家の近くの川の橋という橋の下を、片っ端から探したそうだ。けれど探しても探しても、翔太は見つからなかった。
 彼女は、寒さで震えている。風邪を引かなきゃいいが。

「後は、警察に頼もう。冷えただろう。風呂、沸かしたから入ったら?」

「いや、大丈夫。けど翔太は、もっと寒いだろうな。早く見つけてあげなきゃ」

 すでに彼女は鼻声だが、息子のことが心配で気もそぞろだ。

 私は、警察に捜索願を出した。家に、二人の警察官が駆けつけて来た。警察官に翔太の写真を見せ、特徴を話す。

「息子さん、何処へ行くとか言われていませんでしたか」

「それが、チベットへ行くと言ったきりで」

 これじゃ警察も、捜しようがない。けれども無線で翔太の特徴を伝えながら、

「チベットに行くと言って出たそうです」

 と警察官は言った。

 こんな雪の中、いったい翔太は何処へ行ってしまったのだろう。我々は、息子の無事を祈りながら、ただひたすら待つより他なかった。

 しばらくして、無線が入った。翔太が見つかったのだ。それは我々が探していた所よりも、ずっと遠くに離れた場所だった。

 翔太は、我が家から数キロの離れた一級河川の川沿いを、ずぶ濡れになりながら走行していた。
 ニット帽にもカッパのフードにも雪が積もっていた。それでも構わずに彼は、川の河口を目指して、海へ向かって北上していたらしい。
 息子の行動は、我々の予想を遥かに超えていた。

 翔太は自転車ごと、護送車のような警察車両に乗せられて帰って来た。昔、修平君のお父さんに三輪車ごと連れてきてもらったことがあったが、さらに事態がややこしくなっている。
 息子は警察官に確保された時に逮捕されたと思ったらしく、軽いパニック状態になっていた。

「すみません、とんだご迷惑をおかけしました」

「いえ、暗くならないうちに探せたので、我々も助かりましたよ。川や海に落ちていなくて良かったですね」

「本当に、ありがとうございました」

 一通りの書類手続きが終わると、警察官たちは帰って行った。本当に、有難かった。

 妻は翔太を風呂に入れ、温かい食事を用意した。翔太が食事をしていると、校長先生と安東先生が、我が家に来られた。

「警察から学校にも連絡がありましたので、やって来ました。見つかって良かったですね」

「わざわざ、済みません。どうぞ、お上がり下さい」

「いえ、翔太君の顔を一目見たら、私たちは帰りますから」

 翔太を呼びに行くと、息子は口をもぐもぐと動かしながら玄関に出た。
 翔太を見るなり、安東先生が口を開く。

「翔太君、もう、びっくりしたー。一人で、遠くに行ったらいかんよ。遠くに行く時は、お家の人と一緒に行かんば」

 翔太は、顔を引きつらせた。彼が思っている以上に、みんなが大騒ぎしていることに戸惑っているようだ。

「ごめん、ごめん、ご飯食べとったところやね。悪かったね。でもこれから、一人で遠くには行かないと、先生と約束して下さい。いいですか」

 翔太は、小さく頷いた。

「約束ですよ。ゆびきり」

 安東先生は翔太とゆびきした。

「ゆびきりげんまん、うそついたら、はりせんぼんのーます。ゆびきった」

 校長先生も声をかける。

「とにかく無事で良かった、良かった。また来年、元気で学校おいでね。お父さん、お母さんの言うことを、よく聞くんだよ」

「本当に、お忙しい中、ご心配をおかけして済みません」

 私と妻は頭を下げて、翔太にも頭を下げさせた。

「それでは皆さん、気をつけて。よいお年をお迎え下さい。では、お邪魔しました」

 そう言うと、先生たちは帰られた。
 12月28日、先生たちにとっては、とんだ御用納めの日になってしまった。

 私は次の日、早速GPS機能付の携帯電話を購入し、翔太に持たせることにした。
 娘たちには、携帯は中学生になるまでお預けにしていたので、携帯と分からないようにヒモつきの袋に入れる。
 そしてそれを『お守り』と称して、息子の首にかけて服の内側に隠し持たせるようにした。

 以前、翔太がいなくなった時は、ゲートから逃げないように動物用のネットを買った。
 けれど彼の行動範囲が広がるにつれ、対策費用も上がっていくし他の兄弟にも気を使わなければならなくなった。

 それから翔太は、異常に警察を怖がる様になる。
 そして、『警察24時』などの番組を好んで観る様になり、『公務執行妨害』とか『公然猥褻罪』など、変な単語を覚える様になった。

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