『凸凹息子の父になる』20 親父、メチャクチャ頑張る
翔太の小学校生活は、幸先よくスタートしたかの様に思えた。毎朝7時15分に近所の小学生が一箇所に集まり、集団登校をする。
入学式の次の日、私は娘たちと一緒に翔太を集合場所に連れて行く。1年生から6年生まで十数人の児童が集まっていたが、修平君も来ていた。
彼は翔太の姿を見つけると、すぐさま駆け寄り手を繋いでくれる。本当に有難い存在だ。
修平君には、隆平君という6年生のお兄さんがいて、早速彼が私たちに元気よく挨拶をしてくれた。
「おはようございます」
「ああ、おはようございます」
彼は少年野球チームのキャプテンで、長身で礼儀正しい。どうしたら、こんな風に育つのだろうと思うほど、爽やかな少年だ。
時間が来ると隆平君が全員の人数を確認し、一列になって歩き始める。その後ろから、私もついて行った。
翔太は交通事故に遭って以来、交通ルールを厳格に守るようになった。歩行者専用道路も、必ず白線の内側を歩く。うっかり誰かが白線からはみ出すと、
「白い線のなかっ」
と注意するので、ヒヤヒヤした。けれど注意された子は、素直に翔太の言葉に従ってくれた。
二日目も同じ様に登校した。
しかし三日目の朝のこと、翔太は
「学校いかなーい」
と泣き出した。そしてなかなか泣きやまず、朝食も食べようとしない。娘たちは、泣いている翔太を置いて先に家を出た。
さて、どうしたものか。集団行動が苦手な息子は、新しい環境に馴染めていないようだ。しかし、ここで休ませるわけにはいかない。
私は、ガレージから自転車を出してきた。泣き続ける息子を抱え上げて自転車の後ろに乗せ、ランドセルをカゴに入れる。
そして、ゆっくりと漕いだ。翔太は、まだ泣いている。
5分ほどすると、集団登校の児童たちの列が見えてきた。列に追いつくと私は自転車から降り、翔太を乗せたまま自転車を押した。
歩道橋のところまで来ると、私は息子を自転車から降ろしてランドセルを背負わせた。修平君が、側に来てくれた。
「翔くん、いっしょに行こ」
修平君の優しさに、涙が出そうになった。翔太も機嫌を直し、二人で歩道橋を上っていく。私は、その後姿を目で見送った。
けれど、こんなことが何日も続いた。毎朝、泣き喚く息子を乗せて、自転車を漕ぐ。
ご近所の顔馴染みの人や、旗振り当番の父兄から、同情の眼差しを向けられる。
「えらい、ワガママ坊ですなー」
横断歩道を渡る時、交通指導員の老人に声をかけられた。
「あー、はい」
くそ。息子のせいで、いい笑い者じゃないか。
しかし、翔太が学校に慣れるまで、この方法を続けるしかない。
私は息子を1日も休ませることなく登校させた。
正直、めちゃくちゃキツイ。世界中に学校に行きたくても行けない子どもが沢山いるのに、いったい我々は何をしているのだろう。
ここまでして無理矢理登校させる意味が、あるのだろうか。
でも1日でも休ませたら、息子は二度と学校に行かないような気もする。まずは、出来る限りのことをしてみよう。
私は、雨の日も風の日も、毎日祈るような思いで、自転車を漕ぎ続けた。