『凸凹息子の父になる』10 プレゼントと自己主張
12月、20世紀最後のクリスマスを迎えようとしていた。我が家のもみの木にも、クリスマスライトを施す。
数年前に買った鉢植えのクリスマスツリーを庭に植えてみたのだが、気づくと3メートル近くになっていた。あまりに育ち過ぎたので、私は脚立に上らないと作業ができない。
この作業、電飾を飾る時はいいのだが、実は外す時が面倒なのだ。寒さで悴んだ手で枝に絡まったライトを外そうとすると、もみの木の尖った葉が指に突き刺さって結構痛い。けれども子どもたちが喜ぶ顔を思い浮かべ、毎年この面倒な作業をやっている。
ライトを付け終えた頃、グリーンの車が現れた。明日が娘たちのバレエの発表会で、義母のリサさんが晴れ舞台を観に来たのである。
一方、義理の妹のミシェルは、近頃うちに来なくなっていた。友達とバンドを始めて忙しいらしい。少し寂しいが、彼女にとってはいいことだ。因みに、ミシェルの担当はベースだそうだ。
「今日と明日、ミシェルが店番してくれてるの」
「そうなんですか」
脚立を片付けて、義母と一緒に家の中に入ると、子供たちが集まってきた。
「こんにちはー、元気だった?三人とも、ちょっと見ないうちに大きくなったわねー。ほら、お土産があるわよ」
リサさんは、子どもたちにそれぞれ紙包みを渡した。
「わあ、ありがとう」
「ありがと」
娘たちが、お礼を言う。
「そして、パパとママにもね。ちょっと早いけどクリスマスプレゼント」
リサさんは妻と私にまで、気を使ってくれた。妻にはオーブンミトンで、私には香水と石鹸のセットだった。
「アラミスよ。ソラさんも、これくらいつけてみたら?」
「ああ、それはどうも、ありがとうございます」
私は香水など、まるで興味がなかったが、心の声が漏れないように気をつけながらお礼を言った。
娘たちが包装を開けると、ディズ二―プリンセスの紙製のパズルで、これには二人とも大喜びだった。
長女のパズルは『美女と野獣』で、次女のパズルは『リトルマーメイド』の図柄だった。
「やったー、ベルのパズルだ」
「わーい、アリエルだ」
二人は、お気に入りのキャラクターに大満足だ。
翔太も何かもらったようで、包みを開けてやった。開けてみると、動物の形をした木製のパズルが入っていた。
息子が舐めたりしてもいい様に、リサさんが選んでくれたのだろう。値段も、紙のパズルよりも高いに決まっている。
「翔太、いいのもらったなあ。良かったなあ」
しかし、息子には姉たちのパズルの方が良く見えてしまったようだ。彼は木製のパズルには見向きもせず、姉たちが遊んでいるところに向かって行く。そして長女のパズルの1ピースをつかむと、それを口に咥えた。
「あーっ、翔ちゃんが、パズル食べたー。ねえ、返してー」
長女は必死で、息子の口からパズルを出そうと引っ張った。翔太は翔太で、パズルを取られまいと余計に強く噛み締める。
そこで私は翔太を抱き上げ、口からパズルを取り出して長女に渡した。
するとそれが余ほど悔しかったのか、翔太はエビの様に仰け反って、激しく号泣した。
「うわーん」
長女も
「パズルがぁ、 パズルが、ボロになったぁ」
と泣き出した。
見るとパズルには、翔太の歯型とヨダレがついていた。やれやれだ。
しかし次女は、この騒ぎの間にも何事もなかったかのように、一人静かにパズルで遊んでいる。次女は経験上、機嫌の悪い人間には関わらないことが得策だと学んでいたようだ。
そして機嫌の悪い者同士は、なるべく引き離した方がいい。
「翔太、ドライブするか?」
私が眼鏡をかけ車の鍵を握ると、翔太は泣き止んだ。
次の日、妻とリサさんと娘たちの女性陣は、バレエの発表会に出かけた。発表会といっても娘たちは習い始めたばかりの一番下のクラスなので、保育園のお遊戯会と大差はない。
それでも妻とリサさんは、ビデオやカメラを準備して、気合が入っている。私と息子は、邪魔にならないように留守番だ。
「いってきまーす」
「お留守番、よろしくね」
「ああ、行っといで」
賑やかな四人が、出かけていった。さあ、翔太と二人で何をして過ごそう。
ところが息子は、慌てて自分の靴を私の所に持って来た。そして履かせてくれと言わんばかりに、足を差し出す。
「なんだ?おまえも行きたいのか?行っても退屈だぞ。今日は、パパと遊ぼうよ」
なんとか翔太の気を紛らわそうと、玩具の消防自動車に乗せようとしたが、息子は嫌がる。幼児番組のビデオを点けてみるが、まったく見向きもしない。
翔太はソファによじ登り、窓の外を見ながら叫んだ。
「あーやん、あーやん、あーやーん」
息子は家族を呼ぶ時に、「あーやん」と呼ぶようになった。家族全員、みな「あーやん」なのである。彼は窓にしがみつき、声を限りに叫び続ける。
「あーやん、あーやーん、あーやーーん」
これほど悲しげな男の後姿が、あるだろうか。姉たちから置いてけぼりを食らった悲しさを、全身から滲ませていた。
こんな姿を見せられたら、もう娘たちの所へ連れて行ってやるしかない。
「わかった、わかった。今連れて行ってやるから、ちょっと待ってろな」
大急ぎで準備を始めると、翔太は叫ぶのを止めた。
私は、息子に風邪をひかせないように、カバーオールの上にニットパーカーを着せ、その上にフリース素材のダッフルコートを着せた。全部、義母の店の商品だ。さっきまで子犬のようだった翔太は、太っちょの子熊のように着膨れした。
私はリュックに、翔太の飲み物やオムツを準備する。息子は車のチャイルドシートに乗る時には、もうご機嫌だった。
発表会の会場に着いた。会は、もう始まっていた。中に入ると、娘たちより少し大きい子たちが踊り終わったところだった。客席の真ん中寄りに、妻とリサさんの姿を見つけた。ビデオカメラに三脚を付けて、いい位置に陣取っている。
「あら、翔ちゃん、来たの?」
「もう、5分と持たなかったよ」
「お留守番、いやだったのね?でも良かった。今からがね、かれん達の番なの」
そう言うと、妻はビデオカメラを覗き込んだ。今の彼女は、娘たちの晴れ姿を記録することに全神経を集中させている。邪魔は許されない雰囲気だ。
幕が開き、音楽が鳴った。数人の小さな女の子たちが、お揃いのチュチュを着て、右に左にモニョモニョと動き出す。
まだ始めたばかりの子どもたちで、バレエというよりは縁日のひよこの群れに近い。けれど妻も義母も夢中で、写真撮影やビデオを撮るのに忙しい。
すると翔太が、舞台の上の姉たちの姿を見つけてしまった。彼は私の膝の上に立ち上がり、叫び始める。
「あーやん、あーやん」
まずい、これは、まずい。私は慌てて息子を抱いて、ロビーに出た。
ロビーでは、小学校低学年ほどの二人の少年が、長いすに寝転んでゲームで遊んでいた。彼らも姉か妹の出番が終わるまで、時間つぶしをしているのだろう。その少年たちの邪魔をしても悪いので、私たちはロビーのガラス扉を開けて中庭に出た。
中庭には、ブランコと滑り台がある。翔太は喜んで走り出した。私は翔太を膝に乗せてブランコを漕ごうとしたが、座面が低すぎて地面に足がついて思うようには漕げない。そこで息子だけを座らせ、落ちないように手で押さえながら前後に揺らした。
滑り台は、途中から息子を乗せて滑らせる。それを何度も繰り返すうちに暑くなってきたので、私も息子もコートを脱いだ。
しばらくすると、もう一組の親子がやって来た。父親が、翔太より少し大きいくらいの息子を連れている。多分、家族の女性たちに付き合わされ、時間を持て余している男たちだろう。うちと同じだ。
翔太は仲間ができたので、大喜びだ。ちょっと上の兄貴の後を、必死で追いかけている。兄貴の方も翔太に合わせて走る速度を緩めたり、追い付かれそうになるとスピードを上げて逃げ交わしたりしては面白がっていた。
二人の甲高い笑い声が、響きわたる。その父親と私とは、ベンチに座って息子たちの追いかけっこを眺めた。
「バレエはね、カミさんの趣味なんですよ。子どものころからの憧れみたいで、自分は習わせてもらえなかったとかで、娘たちに夢を託してるんでしょうね」
「うちも同じですよ。子ども達よりも、妻と義母の方が一所懸命で」
「私としては真ん中が坊主なんで、三人そろって空手をやらせたいんですけどね」
「空手ですか。いいですね」
そうこうしているうちに、妻から連絡が来た。午前の部が終わり、小さい子どもたちは写真撮影後に解散だそうだ。
「午前の部が終わったみたいですよ」
「やっとですね」
私たちはそのまま外で待っていると、女性陣が会場から出てきた。娘たちは髪をアップにして、薄化粧をしている。踊りはモニョモニョなのに、格好だけはいっちょ前だ。
二人はレオタードの上にお揃いのコートを羽織り、お揃いのハーフブーツを履いていた。コートの裾から覗いて見えるチュチュが、可愛らしい。
「さあ、ご飯食べに行こうか」
我々は、ファミレスに向かった。。
それから半年後、バレエの先生に赤ちゃんが出来て、先生のパートナーの男性が代わりに教えるようになった。けれど、その頃には娘たちのバレエ熱は冷めてしまい、先生が代わるタイミングで辞めてしまった。
このバレエの発表会が、娘たちにとって最初で最後の発表会となった。
リサさんからもらったプレゼントだが、あれだけ大騒ぎをしてケンカの種にもなったパズルは、次の日にはすっかり忘れ去られていた。
そして私がもらった香水はたんすの引き出しに仕舞い、石鹸はトイレに置かれていた。アラミスの香水が練りこまれた石鹸は熊の形をしていたが、使わなくても置いておくだけでいい香りがする。
ある日トイレに入ると、そのアラミスベアが無くなっている。不安がよぎった。もしや。翔太が、トイレに投入していなければ良いのだが。
試しに水を流してみると、明らかに流れ方がいつもと違う。何かが滞った音がする。やはり、奴がアラミスベアを投入したのだろうか。
とすると、石鹸だからお湯で溶けるかもしれない。私はやかんに湯を沸かし、トイレに注いだ。するとトイレが、アラミスの香りでいっぱいになった。不安は的中した。やはり、翔太の仕業のようだ。
それから何度もトイレに湯を注いだ。しかしアラミスベアは、固練り石鹸のようで一向に溶け落ちてくれない。
最終的には業者を呼んでトイレは復活したが、修理代に二万円もかかってしまった。義母には言えないが、貰ったプレゼントのお陰で高くついてしまった。