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『凸凹息子の父になる』22 魔法のリンゴ

 郵便配達のバイクの音が聞こえた。

 郵便受けを確かめにいくと、ダイレクトメールや通販のカタログと共に、二通の封書があった。
 一つは翔太が受診した病院からの診断結果で、もう一つは保護犬コロのDNA検査の結果が送られてきたのだ。

「この子、犬種は何だろう」

 妻が知りたがったので、私は検査キットを取り寄せた。そしてコロの頬の内側の粘膜を綿棒に絡め取り、オーストラリアの研究所に返送していた。その結果が、送られて来たのだ。

 先ず私は、犬のDNA検査の結果を見た。中身は英語で書かれているが、図入りで丁寧に説明され、わかり易い内容だった。

 続いて翔太の病院の封筒を開け、中に入っていた紙を広げる。紙面には長ったらしい文章が印刷されており、一読したが日本語なのに内容がさっぱり頭に入ってこない。

 一呼吸おいて、もう一度隅々まで注意深く読んでみた。
 長々と書かれた文章を要約すると、息子はADHDを併存した自閉スペクトラム症の可能性が高いというような内容だった。

「だから、何だと言うのだ」

 その分かりにくい無機質な文章を読むと、なんだか無鞘に腹が立ってきた。

 たった半日の検査で、息子の何が分かると言うのだ。こんな紙切れ一枚で決め付けられてしまうほど、単純な人格ではない。
 診断名を付けられたたところで、何の解決策も見出せないどころか、ただ屈辱と絶望に苛まれるだけだった。

 私は妻に、その紙切れを見せた。彼女は無言で目を通すと、ため息をついた。
 検査を受ける前から、おおよその見当はついていたようだが、診断名を文字で表されてしまうと、レッテルを貼られた様な気になる。

 突然、彼女はピアノを弾き始めた。妻がピアノを弾くのは久しぶりだった。
 始めのうちは哀しげな曲を弾いていたが、そのうち聞き覚えのある明るい曲に変わった。
 数曲弾くうちに、彼女は元気を取り戻したようだ。

 ひとしきり弾いて、気が済んだ妻はピアノの蓋を閉じた。

「翔太のお迎え、行ってくるね」

 そろそろ一年生が、下校する時間だ。

 今日は時間があるので、私も我が家のオンリーワンを迎えに行こう。
 平日の昼間に時間の都合をつけられるのは、自営業の良いところだ。

 妻と二人で住宅街を歩き、横断歩道のところまで来た。横断歩道には、押しボタン式の信号機がある。
 道路の両脇では、地元の老人クラブの方がボランティアで、交通指導をされている。

 他にも、数名の父兄がいた。

「お世話になってまーす」

 私たちは挨拶をして、横断歩道を渡った。

 畦道の向こうから、子どもたちが一列になって歩いて来るのが見える。引率は、安東先生のようだ。
 先生は近くまで来ると、我々に一礼した。そして、わざわざ私のところに来た。

「お父さん、お忙しいのにお迎えありがとうございます。翔太君、今日も頑張っていましたよ」

 先生に会うのは入学式以来なのに、私のことを翔太の父親だということを認識されていることに驚いた。

「息子がいつもお世話になり、ありがとうございます」

「彼、なかなか味のあるキャラクターですね」

「ええ、まあ。はい」

 返事に困ったが、笑顔で爽やかに言われると、悪い気持ちはしなかった。

「じゃ、翔君、また明日な」

 そう言うと、先生は畦道を颯爽と走って行った。きっと、やる事が沢山あって忙しいのだろう。
 安東先生の印象は、妻から聞いた話ほど悪くはなかった。彼女の思い込みも、あるのかもしれない。

 翔太は、修平君と手をつないでいた。修平君が翔太の友達になってくれて、本当に良かった。

 妻が言った。

「今日、修君ママ、下のお子さんが熱を出して、お迎えに来れないんだって。だから、一緒に送って行こう。パンも渡したいし」

 私は承知した。いつも世話になってばかりの修平君のご家族に、ささやかな恩返しができる。

 横断歩道を渡った先には、スーパーマーケットがある。

 すると修平君が、

「ちょっと待ってて」

 というなり、スーパーに駆け込んでしまった。

「トイレかな?」

 と思ったが、彼はすぐに戻って来た。そしてその手には、試食用に小さくカットされたリンゴがある。

「はい、翔君にあげる」

 修平君は、自分と翔太の分のリンゴを貰って来たのだ。本当に彼は、優しさの塊のような子だ。
 この優しさに私たち親子は、いつも助けられている。

 翔太と修平君は、この特別なご馳走を嬉しそうに食べた。そんな二人の姿に、心が和む。
 本来ならば下校時に寄り道はいけないことだが、修平君の優しさに免じて、妻も私も見逃すことにした。

 子ども達の姿を見ていると、忘れかけていたものを思い出す。人間は本来、他人の悲しみを悲しみ、他人の喜びを喜ぶ生き物なのだと。

 修平君の家に着くと、お母さんが妹さんを抱っこしながら出てきた。

「ありがとねー。助かったー」

「ううん、いつもお世話になってるから。それと、これ」

 妻は、パンを渡した。

「いっぱい焼いたから、良かったら食べて」

「わあ、嬉しい。ありがとう」

 修平君は、妹のほっぺたを自分の両手で挟んだ。

「さやちゃん、ただいまー」

 去年生まれたという妹さんは、兄ちゃんから溺愛されているようだった。

 そして翔太は、『秘密のリンゴ』を食べた日から変わった。

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