タイ研修ツアー12回を総括して
日本タイクラブの20年アーカイブより(海外活動)
タイ研修ツアー12回を総括して 花安 清志
昨年12月、アジアの穏健なイスラム国家マレーシアの首都クアラルンプール...(それは10数年前に比べ見事な発展ぶりであったが)...の空港を飛び立ち、相変わらず活気に満ちたバンコクを経由して夕方の時間帯にもかかわらず閑散とした関空に降り立った時、平成5年から始まり12年間続けてきた日本タイクラブのツアーは一応終止符を打つことになった。
元々、この企画を思い立った事は、日本タイクラブとしてタイ国の実情と年々変化していく姿を身をもって体験して理解しようという目的があった。それは当時のタイ国に関する資料なり所謂体験記などが部分的とか著者の独断的判断で書かれたものが多かったからである。
この頃から、日本の旅行会社の主催するタイツアーは数が多くなっていたがバンコクとリゾートが中心の所謂観光ツアーであったので、私は先ず既成のツアーには頼らないプランを自分で企画する、可能な限り先行して現地調査を行うとの方針を立て、「タイ全土をくまなく巡る」「歴史と遺跡」「文化と食文化」「仏教と他の宗教」「タイ人と少数民族」「タイと関係の深い国々の調査」などを骨子に10数年のツアー計画を立てて見た。
この企画に全面的に協力してくれたのが「タイシンインターナショナル」(現在のNTBの前身)であり、結局平成16年まで大変お世話になった。あらためて厚くお礼を申し上げたい。
第1回(平成5年)は先ずタイの歴史を遺跡を通じて学ぶとして「古都をたずねて」タイの北部から中央部を縦断して4大王朝の歴史を研修した。参加者は35人、ツアーを通じて北部のアカ族ヤオ族との触れ合い、チェンマイの産業、中部の肥沃な農業の見学などが別の収穫。
第2回(平成6年)前年と同じく事前調査を東北部コンケーンからコーラートまでチャーターしたタイ人タクシードライバーと共に5泊6日で行った末...(決してうまくない私のタイ語が支障なく通じて安心)「タイの東北部イサーンをまわる」を実施した。総勢39人、ノンカーイを中心にラオス・ビエンチャンも訪れ、以後コンケーンからピーマイを経てイサーン南部のクメール遺跡群を見学。ウボンでタイ古代の壁画に感動した。バンコクと異なるイサーン料理の辛さに皆さんが強烈な体験をしたのと東北部の広大な田舎に触れた旅であった。
平成7年の第3回はタイの国教である仏教と南タイに現存するイスラム教の比較勉強の為、「タイ南部からマレーシア半島を下る」を企画した。ただこのツアーは旅行社泣かせで立案が難航し、7月私が下見にスラータニーからタイ人タクシーを使い(彼の南部なまりのタイ語が判らず苦労した)、地図と資料を片手に運転手をガイドし、ケンカをしながらタイの最南端スンガイコロクまで南下し、旧いモスクの場所確認、見学地の設定、レストランの試食・契約まで行った上、スケジュールを作成し旅行社に託したものである。参加者29人。残念ながらこの年は雨期が長く11月18日から21日まで雨続き、道中傘を購入するハプニングもあったが、影絵の人間国宝スチャット氏にも再会出来てショウなどの特別サービスを受けたり、寺院と違うモスクの構造など初めて体験された方々も多かったと思う。タイ湾西側の漁港や日本軍上陸地を見ながら国境の町スンガイコロクまで行けたのは、今となっては幸運であった(現在は暴動多発で旅行禁止区域)。前年のラオス・タイ国境通過に続き、サダオよりバスでマレーシア入国、有名なペナン島で休養出来た事も憶い出のひとつ。最後の中国人の創った理想(?)の国と言われるシンガポールで締めたが、イスラムとこの二国の説明に力をいれたツアーであった。
クメール文化の象徴であるアンコールワットはかねがね行きたい遺跡の一つだったが、平成8年の春、タイ大阪総領事のドムデート氏がカンボジア大使に赴任された関係で、第4回は世界的観光地プーケットを合わせた「アンコールワットとプーケット」ツアーを行った。初めて河崎氏と二人でその夏に行ったカンボジアの下見とドムデート大使への表敬訪問のお蔭とプーケットへは既に三回も現地の人々と行っており、企画はスムーズに立てられたが困ったのは希望者の多かった事、40人を突破したのが予想外プノンペンでは大使公邸へ全員夕食に招待するとの大使の申し出もあったので、手紙でのやり取り打ち合わせに多くの時間をかけたが、こころよく43人を招待してくれたドムデート大使に心から感謝申し上げたい。アンコールワットはその素晴らしさは筆舌につくし難いが、ここに魅せられて定住したガイド島村君の詳細な説明振り、それに応えて熱心に聞いたクラブの皆様方の態度に「研修ツアー」の姿が見えたのが嬉しかった。プーケットはあえて喧騒をさける為、選んだパールビーチの豪華ホテルに4泊という後にも先にもこれが最後の贅沢さであったと思い出している。
第5回の「ミヤンマーを巡る」(平成9年)は私が春の観光ツアーに参加してからミヤンマーの訪問地をピックアップして決めたもので、仏教遺跡はあまねく訪れ、また軍政下のミヤンマーの厳しさとミヤンマー料理を味わってもらった。20人の参加があった。
今でもツアーの圧巻として記憶に残るのは平成10年の「天竺の旅」、仏陀の足跡とヒンズーの聖地・ムガール帝国のタージマハールをまわる9日間の強行軍の第6回ツアーである。現在でもこのツアーは各旅行社が組んだ実績はないと思うが、当時のロータス社高崎氏には大変ご苦労をかけたものだ。2000キロ以上の行程を連日早朝出発、深夜チェックインの繰り返しであったが、古代インドの仏教大学ナーランダからブッダが修行し説法をしながら歩いた跡をたどり、到達した悟りの聖地ブッダガヤまで、紀元前1世紀からブッダ成道依頼の歴史の重さをひしひしと感じながら歩いた昂奮の為に疲れを感じなかった。又3日目の早朝に登った霊鷲山(リョウジュセン)のご来光と世界各国の僧侶たちの読経に信仰の偉大さを感じ、5日目の聖なる河ガンジスの傍らの沐浴と火葬。死を待つヒンズーの人々の風景に信仰の魔力を痛感した事が今でも心に残っている。只このツアーは強行軍の為わずか11名の参加であったのが残念である。
平成11年はタイ族のルーツを探る旅と計画し、下見は困難なので旅行社と相談して北ラオスからバスで中国雲南に入りシーサパンナで目的を達しようという事になった。それが第7回「タイ民族のルーツを訪ねて」の11日間である。この旅ではチットアリー校での日本料理の指導及び会食を始めに持ってきたので、チェンマイから就航したばかりのラオス航空も利用、世界遺産に指定されたばかりのラオスの古都ルアンプラバーンも訪れたが、5日目のムアンサイよりバスによる約200キロ走破しての中国国境の町ボーデンまでの旅が強烈であった。ラオスのガイドもバスの運転手も「このコースをバスで中国へ向かうツアー客は初めて!」とあきれていたが、人家の見えない道を7時間余り自然の原野でトイレ休憩をしながら辿り着いた国境。中国へ入国して初めて出合った有名な中国四千年のトイレの眺めと悪臭、おまけに1元の使用料、これらは一生忘れられない想い出である。シーサパンナは80万の人口があるが、タイ族と漢族が其々1/3、残りは10以上の少数民族である。タイ族は上座仏教を信仰しており、又祖先は1000年前からこの地に住んでいると言う。高床式家屋、仏教寺院、民族の踊り等それを証明するものも多いが、料理はまさに原始タイ料理と言えるものであった。
第8回は復興著しくタイに追い付き追い越せを国是とするベトナム。「ベトナム縦断の旅」10日間、北から南へあまねく遺跡と町の視察を行った。参加者一行はベトナム戦争の知識はあるが、その後遺症の痕跡に気づかない位の現在の発展ぶり!ただベトナム共産党の聖地ハノイを中心とする北部の保守的静けさ、旧サイゴンを始め南部の資本主義的発展と喧騒の違いにベトナム人の根性を見た思いがする。アオザイ姿の美人とベトナム料理の優雅さに一同感心しきり。今回は18人の参加者。
ここ迄で冒頭の目的は略達したが、国土の周囲を他国にぐるりと取り囲まれているタイに必要なことは、やはり国境に沿って旅を行い要所要所で国境を越えて隣りの国を訪問する事が重要との結論に達した。それが平成13年から16年まで3年にわたる「タイ国境を巡る」ツアーである。残念な事に平成14年のみ北部のタイ・ミヤンマー国境の紛争があり、その年の10回目は替りに最新のタイリゾート、チャン島・ラヨーン・サムイ島・クラビーの実情調査ツアーを組んだが、年々立派になる設備と美しい海の割に年齢層の高い日本タイクラブのメンバーには不評で私とツアー常連の江見氏位が楽しんだ程度であったが当時のピピ島の海は本当に美しかった。
タイへ行ったり来たり24年の経験のある私には可なりの辺地も行っているが、このツアーの為に最近の数年間一人で、ある時はタイの友人と未訪問地の下見を行った上で、3回の国境を巡るツアーを国際ツーリスト神崎氏と共に作成した。
平成13年の「タイ東北部からメコン河を下りラオス南部を見る」は18名の参加者を得て、ウドンタニを出発、ルーイ・ノンカイを通り一路メコン河沿いの東北部を南下(本当は船で下りたかったが)ナコンパノムや東北タイ仏教徒の聖地タートパノムを見てムクダハーンと一行が多分訪れていない町々を通り、ここでボートに乗りメコンを渡りラオスのサワンナケートに入国、メコン河のタイの反対側の整備されていないラオスの道を砂じんを上げながら南部の主要都市パクセーまで約4時間のオンボロバスの旅は12回のツアーの中でもタフな旅であった。でもその後に展開したメコンの名所「コーンの滝」群で見た初めてのメコン河の荒々しい表情、アンコールワットにつながるクメール文化の「ワットプー」、そしてチョンメックから再入国後、訪れた念願の「カオプラビハーン」遺跡などが歩くだけで宗教的興奮を感じる位の感動を合わせると想像以上の価値のあるツアーであった。
平成15年~16年の2回に分けて行ったタイの西側の国境をミヤンマーに随時入国しながら最南のアンダマン海まで、国境をまわるツアーで、当初の目標通りぐるりと一巡出来た。ミヤンマーはタチレク、ミヤワディ、サームオンと最南端タイのラノーンからボートでコートーンと4ヶ所で入国したが、下見を含めて各々2回以上の訪問だが、ミヤンマー側の目ざましい発展振りには目を見張るものがある。又首長族の観光ショー化、カンチャナブリのクウエーノイ河流域の探索、モン族の村とタイ最長の木造橋、ホアヒン周辺のタイ王族ゆかりの歴史公園、クラ地峡等々このツアーのおかげで見学する事が出来た。残念なのは南タイイスラム人の多い漁港サトゥンよりボートでマレーシアの国境を海で越えランカウェイ島へと国境を廻る締めくくりに参加者が少なかった事位である。
最後に全ツアーが曲がりなりにも成功したのはツアーに殆ど参加して戴き、得意のタイ語を駆使して現地人と楽しませ、悩ませた上田氏、どんな時でもツアーに配慮し物心ともに援助して戴いた花上さん、詳細な資料をいつも提供して下さった小谷氏達のおかげの賜物と思っている。ここで感謝の念を表したい。
私は体力の続く限り、機会を見て更に新しいそして意義のあるツアーを創り度いと念願している。
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