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日本タイクラブ第2回公開フォーラム ─ タイは私をなぜ虜にしたのか 生活の中の音色

日本タイクラブ第2回公開フォーラム
「タイは私をなぜ虜にしたのか 生活の中の音色」

[日 時]2012年2月25日(土)15:15~
[場 所]綿業会館(大阪市中央区備後町2丁目5番8号)
[出席者]
【司   会】 赤木  攻(日本タイクラブ代表)
【パネリスト】      
川嶋 辰彦(学習院大学名誉教授)    
道傳 愛子(NHK解説委員)      
田口 吉三(ギタリスト)      
木本壽美惠(日本タイクラブ副代表)      
加門 知龍(高野山真言宗妙法寺 副住職)


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■ タイ語の魅力について
【赤木】ざっくばらんなことからお話ししていきたいと思いますが、今日は特別な結論を出して、正解を求めたりするようなつもりはありません。はじめにパネリストのみなさんが、タイでどのような「音」に接し、関心を持たれたかをお聞きしていきます。

[司会]赤木 攻氏(日本タイクラブ代表)まず、私から出発点として、タイ語についてお話しますが、タイ語は実に「音楽的」な言語なんです。それはなぜかというと「声調」、音の高い低いがあり、それがタイ語の非常に重要な要素であり、命ともになっているからです。例えば「犬が来た」「馬が来た」をタイ語で話すと、異なる声調によって区別がされますが、日本人には同じ「マーマー」にしか聞こえない。そうした、タイで日常的に使われているタイ語について、みなさんがどのように思われたのかをはじめにお聞きしていきます。

【木本】人が異性に魅力を感じる時に、その人の「声」に惹かれるというのがありますが、タイ語はタイという国の魅力を語るとき、欠かせないものの一つです。タイ語の魅力はなんと言っても、演歌の節回しとでもいえる声調。母音の多さもいいですね。転がる鈴の音のような音のバリエーション。子音の切れのよさとその余韻。聞く人が心地よく感じる、耳触りのいい声という音色が魅力なんだと思います。

【赤木】タイ語というのは先ほど話したとおり声調があるので、作詞をするとある程度音階も決まってしまう。メロディのつけ方が非常に難しいと思うのですが、そのあたり音楽家として田口さん、いかがでしょうか。  【田口】タイ語を聞いていると、英語などほかの言語よりも「音楽的」であるように感じますし、非常に「柔らかい」という印象があります。男性が話していても女性的であるように思います。日本人男性だと「ガギグゲゴ」的で非常に迫力がありますが、タイ語では男性なら「カップ」、女性なら「カァー」が語尾に付いて、引き込まれるような雰囲気があります。だから本当は怒りたいのだけれども怒れない、自分が静かになっていくような気分になってしまいます。  

【赤木】タイのお坊さんは女性に触れることもできないので、引き込まれることも難しいでしょうけど(笑)、タイの仏教ではお経はタイ語なんですか。

【加門】お経はパーリ語になります。お坊さん同士は日常語はタイ語で話をします。私はタイ語は全く知らなくて、タイに行く前にカセットテープを聞いたりしたのですが、ある本によると、「タイは微笑みの国である」と書かれてまして、微笑んだらタイ語ができるのかなあ、ニコニコして口を横に引っ張って「イー」とか言ってみるとタイ語に近づけるのではないか、と。タイ語の印象としては同じく柔らかい言葉という感じで、女性が話しているのを聞くとたまりません(笑)。  

【赤木】私もタイに行った時に、アナウンサーが非常に綺麗な声で、声調もきちんと話していて感心したりするのですが、タイで報道関係の方々ともいろいろとお付き合いがあった道傳さん、いかかでしょうか。  

【道傳】みなさんがタイの女性の話し方が非常に美しいとおっしゃるので、私も今からタイ語を勉強したいと思います(笑)。私のタイ語の思い出は実はタイに行ってからではなくて、小学校の頃に父の仕事の関係でロンドンにいた時、クラスにいたタイ人の女の子からだったのですね。70年代後半、というと年齢がわかってしまいますけど、ちょうどクーデターの後に、彼女が英語で怖かったというようなことを言っていましたが、タイ人の英語は、アメリカ人やイギリス人のごつごつした主張する感じのとは違って、かわいいというか、優しい響きだったのです。私は彼女の英語を聞いて、タイってこんな国んなんだろうなあと思っていて、実際に赴任をしてみたらそのとおりだったのですね。タイ語は赴任後に先生に付いて勉強し始めたのですけど、出張が多くて挫折してしまいました(笑)。  
【赤木】川嶋先生は、もう十何年もタイの農村でタイ語を聞かれていますけれども、いかがですか。  

【川嶋】私のタイ語の印象の中でぜひお話ししたいのですが、あるおばあさんと、小学1年か2年くらいのお嬢さんとの会話の様子なのですね。僕は内容はわからなかったのですが、お嬢さんがおばあさんにいろいろなこと、かなりロジカルな話のようでしたが、両者とも静かに、穏やかに話をしているのです。それを30分はしていたのですが、そばで聞いていた私はうとうとし始めてしまったのですけど、ああこれは「子守唄」なんだなと。それと同時に、タイ語は「会話に適した言語」であるのだと思いました。[パネリスト]川嶋辰彦氏( 学習院大学名誉教授)■ 印象的だったタイの「音」

【赤木】私が最初にタイに行ったのは、1960年代後半に勉強のためチュラロンコン大学に入った時で、最初、男子寮に放り込まれたのですが、その隣が付属小学校だったのですね。それで毎朝8時になると、国歌が流れるのです。それが目覚まし代わりになったのですが、ああ、この国では毎朝国歌を流して国旗を掲揚するのかと。これが日本とは違うなというのが第一印象だったのですが、そこで、今度はみなさんがタイでもっとも印象的だった「音」についてお伺いしていきたいと思います。 いろいろな音があると思いますが、私にとっては蚊です。東北タイに農村調査行った時、蚊がいっぱいいて、蚊帳も吊ったのですがものすごい音で、それも印象的でしたね。  

【田口】タイではいつも気を付けているのですが、「ナムケン マイヤオ」(氷は要りません)です。タイに行くといつもおいしい食事や飲み物が出され、暑い所ですから冷たいものをついつい飲んでしまいますが、必ず洗礼を受けるのが、おなかをこわしてしまうことで、一週間くらい大変なことになってしまうのですね。それは、どうもいろいろな所で氷を出されるのが原因かなと。それで現地の方に氷を出されない方法を聞いて、コーラもビールも氷を入れずに、冷えたものをそのまま出すようにしてもらいました。  

【赤木】聞こえてくる音ではなく、自ら発する言葉ということでの音でしたか。加門さん、お寺では普通の場所では聞こえてこないような音もありそうですが。幽霊とか...。  

【加門】タイ人は「ピー」(精霊)と言いますが、私はあまりそういうのは感じなかったです。私も食事のことになりますが、タイのお坊さんは毎朝托鉢に出掛け、いろいろな方からバーツ(鉄鉢)の中に食べ物を入れてもらい、お寺に帰ってきます。私はタイ語もできず、何もわからない状態で一人だったのですが、年配のお坊さんが食事を一緒にしようと誘ってくれたのです。それで毎朝二人でご飯を食べていたのですが、お皿にご飯を盛ってもらって、一生懸命食べると、またよそって下さる。タイは食べ物が豊富なせいか、残しても差し支えない。ぺろっと食べるとまた盛ってくれる。それで、もう要らない時に何て言えばいいのかと。「ポーレオ」「イムレオ」(もう結構です・お腹が一杯です)は、いまだに覚えている言葉です。食べ物を下さる信者の方には決して言いませんが(笑)。  

【道傳】先ほどの国歌ですが、夕方6時にも流れますね。タイで取材に6時に出掛けると言っても、チームが「いや、ちょっと待ってくれ」と。理由がわからなかったのですが、NHKバンコク支局の駐車場で待っていて、午後6時に国歌が流れると、みんな動かなくなって(笑)。そのうち私も「5時50分に出発!」と言うことにして、そうすると、ドライバーがニヤッと笑って、だんだん事情がわかってきたな、という顔をされたり。それが印象的でした。  

【川嶋】私は音楽的な「読経」ですね。これは都市部、山村部、お寺の規模の大小を問わず、特に夕刻の読経で、少なくとも3部で、おそれく音楽的な訓練をされた方々によって、合唱のようにお経が読まれることがあるのです。私が居たのは人口100人、20世帯くらいの山村でしたが、そこから車で1時間くらいかけて郡庁所在地に出て、そこにあるお寺に夕方行くと、私のように音楽が分からない者にも素晴らしいと感じられるメロディーが聞こえて来て、つい近寄って聞き入ってしまいます。  

【赤木】加門さん、やはり日本とタイとではお経の上げ方は違うのですか。  

【加門】今お話のありましたお経は特殊なもので、お盆にお唱えされるお寺と全くされないお寺とがあります。また、たまたま声が高いのと低いのとが一緒にお唱えして、ハモっているように聞こえてくるときもあります。タイのお経は抑揚があります。日本でもないことはないですが、般若心経のように、雨が降っている感じでポトッ、ポトッのテンポでお唱えするのが一般的です。タイの場合はですね、「バヤンバンディ~ビッスンビッスンバッチャタラタ~ヤ~...」  

【木本】お話を伺っていて面白いなと思ったのですが、タイの朝はうるさいんですね。朝一番に動物の声で起こされて、隣の犬が家を叩きに来て、お坊さんのお経みたいなのが町中に拡声器で流されて、その頃にはもう出勤しなくてはいけないんですが、先ほどの国歌が小学生によって歌われる。ところがタイの子供は音痴で、それが代わる代わる毎日違う声。しかも鼓笛隊の小太鼓付きで(笑)。そんなうるさい生活をタイでは送っていました。 私が好きな、印象に残っている音は「風」です。今でも覚えていますが、地平線まで広がった田んぼにそよぐ稲穂の揺れる音や、ヤシの木の間を吹く風の音。それに、音だけではなくて、「色」や「景色」も思い浮かんできます。黄金の稲穂が揺れる広々とした田園風景、地平線の向こうに大きく沈んでいく真っ赤な太陽。日本にはない日没前の桃色の夕焼けの色を、風の音ともに思い出します。  

【赤木】報道の場では、日本とタイの間で「音」に対する考え方の違いのようなものはありますか。  

【道傳】昨年のタイの洪水の取材の時ですが、被災地域に行って、膝まで水につかっているような被災者にインタビューをするのですが、それを日本に持ち帰って、編集作業で見直してみると、あんまり深刻な感じがしないんですね(笑)。大変な状況の中にいらっしゃるのには違いなく、「夫は出稼ぎに行っていて、子供4人の面倒を見なくては」といった話をしているのですが、声も表情も明るくて力強い。そういう明るさを失わない中に彼らがいるということも伝えなくてはならないと思い、音声としても、吹き替えせずにそのまま報道するようにしました。彼らには、運命を呪っても仕方がないというような、ある意味では達観した考え方があるように感じられます。涙を流しているような人も、ものすごく怒っているような人も居ませんでしたね。ひょっとしたら、「日本から来た」ということで身構えたりされるかもしれないので、取材のときはなるべく前面に出ないようにしていました。 [パネリスト]道傳愛子氏(NHK解説委員・元バンコク特派員)

■ 音の選択と礼儀作法など

【赤木】私がもう一つ気になっていることに、タイの人は麺を食べる時に音を出してはいけないんですね。日本では、そばを食べるときは「ズルズルッ」とやりますが、それは絶対ダメで、タイでは特に女性は麺をオタマに乗せてから静かに食べています。あの「ズルズルッ」という音は、彼らにとっては「嫌な音」なのでしょう。一度タイ人女性に、日本人のそばの食べ方をやってみなさいと言ったことがあるのですが、それが出来ないのですね。これは、タイでは食事で音を立てないというのが、エチケットというかルールになっているからなのですね。 もう一つ、タイのBTSや地下鉄では携帯電話で話している人が多く、しかもそれを誰も咎めない。日本では車内放送で注意をしているがそれもない。タイの友人に聞くと、携帯電話は「全然耳障りではない」と。逆に何が一番耳障りかと尋ねると「車内放送」と返ってくる。日本へ行ったら、やれいつに着きますだの、やれ何分遅れただの、すみませんだのと。 このように、音について「何か日本と違うなあ」というのがあればお願いします。  

【木本】私は日本語教師ですので、日本語教育を通じて感じたタイ人の音声感覚を取り上げたいと思います。少し長くなりますが、私はタイとトルコの大学で日本語を教えたので、両国の比較も合わせてお話しします。 まず、タイは日本と同じアジアにあって、礼儀正しさをはじめ、日本と似ている文化を持ち合せています。しかし、赤木先生によると、例えば末娘相続など、日本と反対の価値観や文化を持ち合わせた国でもあるようで、その多様性に私たちは魅かれているわけですね。言語的にはタイ語は孤立語というグループに入っています。中国語と同じく一つ一つの単語が孤立独立して言葉になります。例えば「ます、ました、ません、ませんでした」などの語形変化はありません。語順は主語・動詞が先に来るSVOです。 一方、トルコはイスラム教の国ですので、日本とは全く違う文化や価値観を持った国であるといえるでしょう。しかし、言語形態的には膠着語というグループで、日本語と同じグループに入っているのです。主語があって、最後に動詞が来ます。また動詞の語幹に機能語や接辞などをつけて、時制や完了などを表すのです。ですから乱暴に言えば、タイと日本は「文化は近い。でも言語的には遠い関係」、トルコと日本は「文化は遠い。でも言語的には近い関係」といえます。そんな両国の学生が日本語を勉強するとき、発音習得に対する意識は全く違っていて、そこが非常に面白かったわけで、日本語の発音教育から、トルコ人とタイ人の発音習得のとらえ方を比較してみます。 タイ人は一般的に音の習得について、自分に厳しい人が多いです。よく聞かれるのは「ん」の発音です。「n」ですか「m」ですか「ng」ですか?と必ず聞かれます。また現在通訳になっている私の教え子の話ですが、「先生は鼻濁音の『が』を発音しなかった...今では日本人もあまり発音しませんね、京都あたり特に年配者には残っているようなんです『が』...彼女に教えてくれていたらもっときれいな発音ができた、『が』に憧れます...などと言われたことがあって、少なからずショックでした。 しかし、トルコ人は発音にあまりこだわらない。日本語の高低アクセントも気にしない、「本を読みます」の「ん」と「お」をくっつけて「ほのよみます」なんて平気で言いますし、文法も似ていることから、トルコ語独特の言い表し方を日本語に応用して話すことも多いのです。 ここで結論として言いたいのは、タイ人は音の変化に敏感で繊細であるということです。え、ちょっと待って!ではバスの中やレストランで流れるあの大音響は何?という反応が聞こえてきそうですが、あくまで私の推測ですが...タイ人は、必要な音と必要でない音を聞き分ける能力が高いのではないかと思うわけです。微妙な声調や口の中でとどまる音である末子音などを瞬時に聞き分け能力を持っている人たちですが、大音響、携帯電話などは聞き流す、ほとんど聞いていないなど、耳に入れないようにしていると。人間というものは、もともと聞きたいことしか聞かないし、見たいものしかみないのです。タイ人は聞き取り能力が高いけれど、自分に意味のないものは聞かずにスルーできる力がある、すぐれた人々なんだと思います。  

【赤木】タイ人は、自分にとって必要な音は非常に上手く受け入れるけれども、必要でない音は峻別できると。  

【木本】はい。だから日本人がよく「タイ人は話を聞いてないから」などと悪口を言っていますが、それは彼らに必要な話ではないと判断されているからだと思うのです。  

【赤木】タイ語はあれほど音楽的という話もありましたが、田口さん、やはりタイ人は音痴というか、そのあたりのご印象はどうでしょう。  

【田口】私の印象としては、タイの方は大声ではおしゃべりしませんね。私たちその場に居る日本人が聞こえないような声で話している。ところが、彼女達はお互い話が通じているのですね。タイ人だけが行くようなレストランは非常に静かです。タイ人が後を歩いていても音もなく付いてくる感じです。言葉の中にも無声音がありますが、あれを認識できるのはやはり音感があるように思います。[パネリスト]田口吉三氏(ギタリスト・日本タイクラブ会員)

【赤木】加門さん、お寺でもお坊さんはささやきながら話をするのですか。  

【加門】二つの顔がありまして、礼儀正しくしなけばならないときはささやかな声で話をします。タイの人は人前で大声で怒鳴ったりはしませんね。  

【赤木】怒鳴るということは恥ずかしいことだと、子供の頃から教えられるのですね。でも、お経を上げるときは大きい声の方が良いのではないですか。  

【加門】これは日本のお寺でもそうですけど、若いもんが声を出さんのはどういうことやと言われたりはしますね。また、タイではお坊さんは人前では走ってはいけないので、そういう時は音を立てず、歩いているフリをして早歩きをしたりします。とにかく人前では静かに、喜怒哀楽を出さないようにしていました。  

【川嶋】学生へのオリエンテーションの中でメッセージとして伝えるのですが、「山に入ったら大声で笑わないこと」というのがあります。私は今まで山村でほぼ例外なく、大声で笑っている人を見たことがありません。学生からは「なぜ楽しいのに笑わないのですか」と聞かれますが、そんな時は僕は少しかわして、日本では「あいさつは、大きな声ではっきりと」みたいな標語があるけれども、タイ流に変えるとするならば「あいさつは、静かな声でにこやかに」だよと。どちらが良いというわけではないけれども、せっかくタイに来たのだから、タイの文化を楽しんでみたらどう?って話をします。 もう一つ、音のスクリーニングについてですが、やはり必要性と同時に「好き」「嫌い」があるようです。携帯電話の音に慣れるというのも、私たちにとっては示唆的なことではないかなと思います。これは同僚から叱られながらも、定年になるまでずっと続けていたことなのですが、私の授業に限っては、携帯電話の電源は「オン」にしておくこと、呼び出し音も結構です、ということにしてありました。なぜかというと、本当に必要なことがあったときは、携帯電話が「オン」になっていた方が生活上効率的だろうということからなのです。そういう音が「うるさい」と思う人は、うるさく感じないように訓練して下さい、と。また、私語がうるさいと感じるようなら、前の席が空いているから、どうぞこちらにいらっしゃい、と。授業を聞くつもりがあるのなら、僕の言葉が聞き取れるように訓練して下さい、ここは訓練の場でもあるからと言いました。効果のほどですが、百人のうち一人くらいは聞いてくれたかもしれません(笑)。僕自身は携帯電話も私語も気にしないので、そんなことを思い出しました。  

【赤木】タイの人は音を上手く選択するというのと、大きな音や「ズルズルッ」という音は避けるというのがありましたが、タイのテレビを見ていると、大きな音を出す番組がないわけでもない。また、地方の食堂などでは、ステージで大音量の音楽を流している中で、テーブルで粛々と食事をしているのを見たりもするのですが、こういうのはどのように考えたらいいのでしょうか。  

【道傳】イサーン地方のマハーサラカムという所へ、スウェーデン人のロック歌手が公演するというので取材で行きましたが、野外ステージが組まれ、大音響で照明も大変なことになっていたのですが、日常とは違うハレの世界なのかなあという印象を持ちました。それで、最前列で手を振っていたのは若い女の子ではなくて、農家のおばちゃんだったのですね。なんとも微笑ましい光景でした。  

【木本】タイではテレビをつけっぱなしにしていることが多いですね。静かさを求める反面、音がなければさびしいのではないでしょうか。  

【田口】20年くらい前から、タイでも西洋音楽の定期演奏会をするようになってきました。今では相当盛んになっているようで、みなさんも音楽会をやりたがっていると感じます。その理由の一つには、王様がきちんと西洋の音楽を学ばれて来て、ご自身で作曲された作品を国民にお聴かせになっているというのがあると思います。それが国民の間で根強く歌われ続けていく中で、憧れのようなものが芽生えて来ているようです。中層階級、上流階級になりますが、諸外国にわたって自分達の国にない音楽を学ぼうという人も増えています。音楽は庶民も学びたいのでしょうが、これまではそのような環境が整っていませんでした。そうためには指導者や良い楽器が必要となりますが、これは今後変わっていくことになるでしょう。また、タイには音楽を専門に学ぶ大学はありませんが、才能のある学生がいれば、国のために逆にその学生に指導者を探して来て付けてしまいますね。育てたい人を育てるというような気風があるのではないかと思います。  

【赤木】この前ベトナムに行った時に、カラオケ屋がたくさんあって驚いたのですが、タイの人はどうなんでしょうか。お坊さんは行かれますか(笑)。  

【加門】タイの人はカラオケ大好きですね。私がタイにいた平成4年、5年頃の話ですが、お寺の近くの信者さんがお坊さんに一緒に旅行に行きましょうと。それで車に乗っていくのですが、大きなスピーカーが付いていて、車も揺れているのに、みんなで身体を揺らしてドンドコドンドコ歌いながら行くというのがありましたね。 また、お寺でお祭りをする場合ですが、寄付の行為があると組み立て式のメリーゴーランドや観覧車の設置もされていたりしました。ロイクラトンというお祭りですが、用意をするところから片付けをするまでがお祭りになるのですね。その間にお務めの時間があって、その前後にはどこから調達するのか、お寺中にものすごく大きなスピーカーが付けられて、新調されているのを見ると「このスピーカーなら誰それの声も良くなる」などと書かれていたりしました。それで、儀式の数分前に音がぴたっと止む。終わるとまた始まる、という風で、それが歌謡曲であったり、お経の一節「ブッダーン、サラナーン、ガッチャーミー」を入れた歌だったりします。[パネリスト]加門知龍氏(高野山真言宗妙法寺 副住職)

【道傳】バンコクで交響楽団の演奏会に行ったときですが、音楽が始まってしばらくしたら、誰かが間違えてしまったのですね。私は自分が弾いているわけでもないのに冷や汗がでる思いだったのですが、オーケストラの人はニコっとしていて、また初めから演奏をし直したのです。私は非常に好感が持てました。別にこれでいいですよね。タイのクラシックは別ものなのかもしれませんが、それはそれで好ましいと思いました。 また、カラオケについてですが、東北の被災地の石巻へ取材に行ったときのことです。ASEANからのボランティア隊が6月に現地に入ったのですが、被災後まだ3ヶ月なので、日本のNGOの方たちは炊き出しや泥のかき出しなどをされている中、ASEANキャラバンの方たちは大スピーカーを持って来ていたのですね。がれきがまだ残り、帰ってきたばかりご遺体などが安置されているような場所で、かれらはパッタイの炊き出しと、大音響のカラオケを始めたのですね。私は大丈夫かなあと内心どうなることかと思ったのですが、石巻の方たちにお話をうかがうと「とっても楽しかった」「アジアの国に旅行した気分になった」とおっしゃるのですね。「大丈夫ですか」「元気ですか」などと言われても大丈夫なわけないですよね。「頑張ってね」と言われることが、逆に自分が被災者であることを思い知らされてしまう。それをわかった上で、あえてそれを言わない優しさ、普段と変わらないことで楽しくしようよ、というASEANの方たちの気持ちが伝わったのだと思いました。  

【川嶋】先ほどの話にもありましたが、彼らは「何が一番大事か」ということをよくわかっているのではないでしょうか。また自分の経験での話になりますが、タイの人口100人、所帯数20というこの地方では標準的な山村で、森林資源を利活用しながら経済活動をしているのですが、彼らは採り尽くしをしないのですね。あの地域の蜂の巣を、卵や幼虫までマーケットに持っていけば食材として高く売れるのですが、彼らは蜜房の7割まで採って、残りの3割と卵と幼虫、さなぎは残しておくんですね。ある村では、それを祭祀的なものとして制約をかけているようですが、採集をする民族は、多くの場合、採り尽くすと長期的には自分達が不利になるということを知っていて、「カミ」を利活用したタブーではなくて、現実を直裁的に眺めてコモンズを定めている。非常にさめた形での自然保護を行っているわけです。 一方で消費する方ですが、山の資源が豊かになった場合は、もちろん喜びでそれが「はにかみ」になっているわけですが、カミサマが出てくるのはその後なんですね。先に感謝をしてから喜ぶのとは違う文法がそこにあるのです。素直に喜んで、ただそのままでは恥ずかしいので、カミサマに感謝をする。そのようなことから考えますと、先ほどの大音響を出していいかどうか、ということについても、きっと判断のプロセスが明示的にしろ、間接的にしろ、「大丈夫」だということを見抜いていらっしゃるのだと思います。この仮説は危ないものかもしれませんけれど。    

■ まとめ

【赤木】今日のみなさんのお話をうかがっていると、タイ人はまず耳が良く、音に対して敏感であり、しかもそれを選択的に、ある種の冷徹さをもってこの音は取り入れる、この音は必要ないというのを自然にはたらかせている感じです。また、日常のタイの生活では、特に農村では音がしない静かなものであると。しかし何かあった時には、数倍のエネルギーを持った音を楽しむ、といったイメージですね。最後に言い残したこと、これだけは言っておきたいことがあれば一言ずつお願いします。  

【川嶋】朝の「クラクラッドワーン」という音も、私たちにはギリシアの明け方のロバの大群のいななきみたいに聞こえなくもなくて、もう少し静かにしてほしいとはじめには思いますが、慣れてくるとそれでよい。ある方にとっては、もう生活の必然であり、その音を技術開発で小さくしようなどとは思わないのですね。  

【木本】タイの音を聞くと幸福感を感じます。友人が言っていましたが、昔のDVDもない時代、タイの長距離バスで何時間も砂埃を上げて行くようなときに必ず運転手のお気に入りの曲が流れる。「チャーチャチャ・チャーチャチャ」と始まると、その音を聞いて幸せだなあと。その世界にとろけてしまうようで、もう日本に帰りたくなくなる。そういう音と共に感じる暖かさ、柔らかさ、優しさ、人々の笑顔や景色が「共感覚的」に思い出されて、私は幸せな気持ちになります。お腹が一杯になると幸せになりますが、タイでは音によって心が一杯の幸福感で満たされます。それが私にとってタイの音の意味ですし、タイの魅力の一つになっています。 木本壽美惠氏(日本タイクラブ副代表)

【田口】私が感じているのは音に対する二極性です。町でよくサムローが爆音を立てて走っていますが、彼らはそれを受け入れている。一方で、タイ人の家庭に入ったことがありますが、ものすごく静かです。静かなところで時間が流れている。そんな中で、いろいろな思いに耽り、考えながら生活をしているという感じで、日本ではなかなかそのようなことはないなあと思います。  

【加門】いろいろなお話をうかがっている中で、私はバンコクに住んでいたので静かな生活はあまり経験していませんが、改めて大音量でスピーカーから流して、お務めをして、というタイでの生活を思い出しました。  

【道傳】音を通していろいろな情景を思い出すというのがありますが、その他にも「臭い」や「味」を通した記憶というのもあると思います。原稿が書けない時に、職場の近くにあった屋台でタクシーの運転手といっしょに食べていたこともあって、いろいろなことを話してくれて、心が和むということもありました。私は一度もお腹をこわしたことがなくて、「鋼鉄の胃袋」などとも言われていましたけれども(笑)。五感を総動員させないとタイはわからないではないでしょうか。「臭い」や「味」はテレビでは伝えられませんが、なるべくそれらに近いものもお伝えできるようにしたいと思います。  

【川嶋】タイの音を仮に味に例えると、ドリアンのような魅力と、ナンプリックのようなピリリと辛さとが混じったもののように思えます。  





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