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留学生と楽しむ天神祭

日本タイクラブの20年アーカイブより(国内活動)
留学生と楽しむ天神祭    木本 壽美惠

2011年7月25日、日本タイクラブのメイン行事になった「留学生と楽しむ天神祭」は開催9回目を迎えた。この9年間、常に留学生にとって人気の活動であり、多いときには男女合わせて50名近くの留学生が、ところせましと事務所に参集した。

日本三大祭、日本を代表する伝統行事におけるタイ人の存在感をアピールできる企画として、何度か新聞やラジオ、テレビにも取り上げていただいた。

この活動を企画した当時を思い出すと夢のようである。発案当初は実現不可能な活動として役員会でなかなか承認してもらえなかったことを、今でも忘れない。
その頃、私は成り立ての副代表で、年齢もまだ40歳過ぎ、やる気に燃えていた。また相棒として初期の交流活動のすべてを共に考え、支えてくれた廣島さんも若かった。老松通りに場所を変え、金子事務局長を迎え、再スタートした日本タイクラブに、華やかな活動行事がほしかった。


日本文化といえば祭、大阪の祭といえば天神祭である。

幸運なことはやってくるもので、赤木代表は天満宮の宮司と知り合い、新しい事務所をかまえた石之ビルのオーナーは神鉾講のお世話係と条件は揃っていた。


2003年5月31日(土)に事務所で3つのイベントを行った。

まず14時から天満宮の岸本さんと天神祭参加の打合せを行った。続いて15時からは「歌で学ぶタイ語」の授業、16時からはタイ人留学生歓迎会。2003年は新生タイクラブとしてたくさんのイベントを精力的にこなした年であった。これらの努力がその後の活動に大きく関係し、前向きな方向に活動が動いていく。この日の夕方、JICAシニア海外ボランティアとしてパナマに行く北角さんを囲む会も行った。

6月17日、私と廣島さんは大阪観光コンベンションセンターへ向かった。センターの網干さんとは電話で打ち合わせをしていたのだが、陸渡御、船渡御とも留学生用の特別観覧チケットをたくさんいただけた。

先のパーティで顔見知りになった関西留学生の代表に連絡を取り付け、学生たちを集めてもらった。初年度の浴衣の購入は赤木先生の奥様がお世話してくださった。また、アイデアマンの事務局長、金子さんが「見学するだけでなく、町内会の接待所でお茶の接待を手伝うかたちで参加した方が楽しい」と発案、石之さんはじめ町内会の方々との交渉を引き受けてくださった。

この金子さんの発案が、天神祭活動に能動的な命を吹き込んだ最も素晴らしい発案だったと思う。

当日25日、着付け場所は、河崎さんの友人、大蔵氏の事務所をお借りすることができた。 日本和装学園の先生たちに着付け・髪結いをしていただき、髪飾りをつけて美しくなった女子学生たちは大はしゃぎだった。タイ人持ち前のサービス精神を発揮しての微笑み接待に、祭行列の方々はもとより、タイクラブ会員、町内会の皆様、留学生の全員が200%満足できた。

クンテープの川北さんからトロピカルジュースを寄付していただき、個性ある飲物を提供できたのもよかった。

男子留学生4人は神鉾講に参加した。石之さんの仲間とともに神輿を担ぎ、船渡御の船にも乗せていただいた。大阪観光コンベンションセンターからいただいた観覧席のチケットも有効に活用でき、ご尽力いただいた和装学園の先生方にも座って陸渡御を観覧していただけた。


2004年もほぼ同様であったが、前年の活動が口コミで広がり、人気が出たようで女の子たちは30人以上集まってきた。この年廣島さんがインターネットで安い浴衣セットを見つけてきた。たまたま本町にお店があったご縁で、河崎さんに連絡を取ってもらい「富士商事」へ私と小西さんと3人で浴衣の買い出しに出かけた。この年からずっと富士商事さんとのご縁は続き、近年は安価で上質なセットを毎年用意してくださっている。

日本和装学園の全国大会の日程と重なったため、着付けは私と小西さんの先生にお願いした。市田ひろみ先生の着付け教室から、北川先生と阿部さんが留学生の着付けにあたってくださった。行列に石之さんの雄志を見てから、私と小西さんは翌週に開催される鶴橋タイフェスの準備にとりかかった。チットアリーの物品に値札をつけて、搬入のお世話をしてくださるクンテープまで運んだ。


2005年は私たち女性役員も接待に出るため浴衣を着た。この年、松尾カニターさんから「天神祭における接待の意義が分かりにくい。単なるサービス活動でないことを説明するべき」というご指摘をいただいた。 神聖な行列に飲物を振る舞うことで、祭の行列をねぎらいの心でお迎えすること、それが天神祭に参加していることなのだと説明し、留学生の理解を得た。

日本和装学園の藤玉さんから「クラブで女性主導の行事ができるのは素晴らしい」というお褒めの言葉をいただいたのが印象的であった。老松通三丁目会長さんから「タイ人の参加がありがたい」と感謝の言葉をいただいた。一丁目から「羨ましい。学生たちを少しよこしてくれないか」といった依頼もあったらしい。この年3年目、活動が地域に定着し、認められていった。


2006年はトルコからの参加、私が不在でも天神祭参加は滞りなく進み、嬉しかった。2007年はトルコにいて、参加することができなかった。2008年はトルコからの帰国疲れがとれず参加できなかったが、もちろんいい活動が繰り広げられただろう。

2009年、私にとっては久々の参加だった。当日の朝、スコールのような雨がふって開催を危ぶんだのだが、祭は神事、お天気は関係なく決行されると知って驚いた。伝統の力を知った年であった。

日本和装学園から6人の先生方が着付けに駆けつけてくださった。髪結いは福田さんが受け持ってくれた。 着付けは事務所の横の空き部屋をお借りした。またこの部屋を借りて、陸渡御終了後、軽食パーティを開催した。食べ物は、西岡さん、金子さんが中心となって、調達した。赤木先生から天神祭の来歴などのご挨拶があった。


2010年から、浅川さんを中心としたプロの美容師さんが髪のセットを担当してくださり、女子学生たちは更に美しさを増した。浅川さんは日本タイクラブの会員であったご縁で、町井さんから連絡し、参加をお願いした。稼ぎ時の日曜日にも関わらず、ご友人3人とボランティア美容師になってくださった結果、素晴らしく贅沢な着付け、髪結いのコラボレーションが実現した。
日本和装学園の先生方による着付けに&プロの美容師によるセットなんて、本当は値段にしたらいくらかかるものだろうか。ボランティア精神を発揮し、毎年参加してくださる着付けの先生方、美容師の先生方には感謝してもしきれない。 船渡御や花火を見に行く留学生にも配慮して、パーティを短めに設定し、19時頃には終了した。

2011年は男性美容師を入れて、5人の美容師の先生、4人の着付けの先生にお越しいただいた。この年、タイ政府観光庁のトップが天神祭を見にいらっしゃるということで、数名の学生、役員が赤木先生とともに、大阪天満宮に行き、昇殿がかなった。政府観光庁のトップに、日本タイクラブと留学生の活動をアピールできた。

2010年ごろから、留学生の接待や祭参加の仕方などについて、町内会から苦情が出始めた。2012年には参加10年目を迎える活動であるが、見直しや軌道修正をする時期が近付いているのかもしれない。 天神祭は元々、日本タイクラブの赤木代表とも因縁の深い祭で、赤木代表は何度かクルンテープで天神祭を催行しようと企画した。残念ながら現在のところ、天神祭をタイへ持っていくのは難しいようである。

しかし、しかし、夢はみないと叶わない。2003年を思い起こすと、今は恒例行事として当たり前に催行されている「留学生と楽しむ天神祭」の実現が夢のようである。 私たちもまた、いつかチャオプラヤー川を天神祭船渡御の美しい船隊が、列をなして滑るように進む姿を夢見たいものである。

※2012年10回目の活動も例年通り無事成功裏に終了した。ここ数年は接待所の裏方仕事を、役員の男性陣が、町内会の役員と一緒になって取り仕切ってくださっている。素敵なおじさま揃いの役員諸氏を前に、町内会のお姉様方も協力的である。また留学生たちは、さすがにタイのエリート集団でもあり、接遇中は写真を撮らないなどルールを守った接待を行っているため、町内会との関係も良い方向に改善しつつある。





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