昔した旅の話〜出発準備編〜
今年4月から、歩いて日本を縦断する旅に出発して、色々あってたった1ヶ月で金が尽きてリゾバをしている最中の本まぐろといいます
旅日記として毎日のように書くつもりでノート始めたけど、継続はとても苦手分野なのであります
規則正しく、が苦手なので突然取り留めもなく、眠れないからふと初めて一人旅をした時の事を書いてみたくなりました
高校生の時、少し荒れた学生生活を送っていたせいで学校の出席日数が足りず、留年の文字にに片脚突っ込んでいた2年生の冬、出席日数なんて知るもんか、と学校を勝手に休んで初めての海外旅行に1人で出掛けました
この口調、なんか疲れるからここからは崩した口調でご勘弁
・・・その頃小室ファミリーが栄華の極みにあって、オーストラリアから帰国したほんの数日後にdeparturesという曲がリリースされて、それが成田とシドニーの空港で見た看板とダブって強烈な印象になっているけど、僕は小室ファミリーではなく小沢健二が好きだった
当時(って言うと大昔に感じるけど、僕にとっては全然思い出せる位割と最近)、まだiPodみたいなものは無かったから、音楽を聞くためにDiscmanってCDプレーヤーを持って行って、CDも何枚かケースごと持って行ってたけど、そのCDは小沢健二とフリッパーズ・ギターだった
でもその割に旅行の事を思い出すのはdeparturesなんだよな
生まれてはじめての海外の前に体験した生まれてはじめての成田空港は、初海外と同じくらいのインパクトとして僕の記憶に刻まれていて、今でも海外旅行に行く度に成田空港に行ける喜びの割合が大きい
少し言い過ぎだけど、成田空港に行く為に海外に行くって感覚さえあるくらい成田空港が好きだ
さて、まだ話は日本から飛び立たずに空港でウロチョロしているが、ここからさらに時間を巻き戻して旅行の準備の話
まだネットが全くと行っていいほど一般に普及していない、パソコンといえばWindows95が出たばかりの頃だから、旅の手配などの準備は何から何まで全部自分の足で集めるアナログ方式だ
1ヶ月以上前から地球の歩き方を穴が空くほど読み込んで、その案内を頼りにまずはビザ申請をする為にオーストラリア大使館へ
こんな豪華で大きくてめちゃめちゃ荘厳な雰囲気が漂う場所に高校生が1人で入っていいの?って感じでカチコチに緊張しながら苦労してビザをゲットして、さあ飛行機のチケットを買うぞ!と本屋でABロードを立ち読みしまくったり、今はなき新宿駅と新宿三丁目駅の間の地下通路にひしめいていた格安航空券のブースをハシゴして、とうとうチケットが買えた時の感動、、、
それが安かったのか、高かったのか、敢えて検証しようと思わず今に至るが、自分で窓口に赴いて自分で交渉し、高校生の分際でバイトで貯めたお金で買った15万円のチケットの価値は、ネットで最安値を検索して数分でポチる作業では得る事の出来ない美しい輝きがあった
旅に持っていく細かな備品は、何が必要かさっぱりわからないから地球の歩き方に丸々従ったけど、どれも近所の商店街では売ってないものばかり
自転車で30分かけて隣町のホームセンターまで行って、これまた貯めたバイト代の中から限界まで安いものを見繕った中でも、旅の間ずっと巻き付けていた腹巻き状のパスポート入れは特に思い出深い
防犯の為に、お金は分散して持つように!と地球の歩き方に買いてあったから、財布と別に腹巻きの中と靴の中、そして正露丸を入れた袋にも隠したお金はびっくりするほど正露丸の香りになっていたが、何しろ初めてだからとにかく用心には用心を重ねていた
トラベラーズチェックを買いに行くのと、事前にオーストラリアドルに両替をするのも一苦労だった
その頃の僕にとって、銀行は地元にある三井銀行が銀行の全てだが、三井銀行ではどうやら両替もトラベラーズチェックも手に入らないらしい
ちなみに三井銀行は当時太陽神戸銀行に替わり、さらにさくら銀行に名前が変更した頃だ
ちょっと時代を感じるね
そんな訳でどうやらワールドカレンシーショップなる場所に行かねばならぬ、って事で電車を乗り継ぎ、地図で調べてたどり着いたその某ショップでは、自分で貯めた金が見知らぬ紙幣と謎の小切手に変身する不可思議さと、その感動
アマゾンとトラベルコとネット銀行であっという間に片付く準備も、今にして思えばこんなふうにしてとんでもない時間を掛けてする事は、旅の気分を盛り上げる重要な儀式だったように思う
ここまで買いて朝になってしまいました
また気が向いたら続きを買いて日本から出発させたいと思います
長い文章お付き合いありがとうございました