数字に取り憑かれた男

Twitter(現X)に投稿した絵、やはりいいね数を気にしてしまう

昨日、現在連載している漫画とSNS用の漫画を投稿したのだが、あんまり伸びていない。それを多少気にしている。どんなことをやればウケるのか?どんな漫画を書けばたくさんの人に読んでもらえるのか?どんな事を主張すれば深く刺さるのか?そういうのを考えてしまっている。

申し遅れました。
私は漫画家をやっております。福岡太朗という者です。
現在、カドコミとニコニコにて漫画を連載しております。
よろしければチェックされてください
(昨日3話目が更新されました)


人の目と評価を気にする。漫画を人に見せるとはそういうことかもしれない。

今まで「自分の漫画が受けない!」ということで、かなり病んできた。ネットに投稿してみるが伸びなかったり、連載をやって単行本が売れなかったり、色々な場面で「俺の漫画は!面白くない!」という風に病んできた。逆に数字が多く取れた時は「天才」と自惚れて調子に乗ってきていたわけだが。

そういう風に病んだりするのが嫌なので、「数字を気にするのではなく、昨日の自分よりも良いものを描こう!それしかない!!」という思考に切り替えようとしている。その気持ちがあるせいか、以前よりも数字は気にはしなくなったが、伸びない時の一抹の残念さというか寂しさというか無力感が胸にたまる。

考えを切り替えようとしただけで、完全に変わるわけではない。そんなこと、人生で何度も体験した。

しかし、体験する度に「やっぱ人間ってかわんねぇなぁ!!!」と思ってしまう。

人に見せたり、ネットに載せたりするのはあ、評価と切って離せないなぁと思った。めっっっっちゃ気にするので。本当は気にしないでおきたいが。

数字は確認に使おう

ただ、気にするなら気にするで使えば良いんじゃないかな?と思った。

なんというか、どのくらいストライクゾーンに入ったか?みたいなことが確認できる。コントロールがどれくらい出来てるか?自分の表現したいことが表現出来てるか?自分の言いたいことが伝わってるか?などを確認できるのだ。

漫画はコミュニケーションなので、自分の言いたい事がどれくらい表現できてるか?表現したいことは面白いか?どれくらい伝わってるか?はかなり大事だ。
そういう事を伝えられているか?の確認になる。

確認してみる

昨晩投稿した漫画はこれだ。

この漫画の一番伝えたい所は「可愛い羨ましい夫婦日記漫画を読んでいたら嘘だった」という点だ(嘘をつくと私が気持ち良いのでついてます)。

可愛い妻を描けば描くほど最後のコマが強調されるので、可愛い妻描けば良い。

ちょっとこの漫画の妻の可愛いポイントは言いたいことがとっ散らかってる感じがする。コマも多いし、状況がよくわからない。旦那の好きなキャラがメスガキだからメスガキの真似をしてそれが上手くいかないって何!?前提の「旦那の好きなキャラを真似してからかう」というのもよくわからない気がする。いや、分かるか。みんなも可愛い女の子からそういう風に揶揄われたいよなぁ!!?なぁ!?!?!??

「からかってくる可愛い女」「それに失敗する女」の二つを混ぜたから、とっ散らかったのかもしれない。1P漫画なので、要素はできるだけ一つにした方が良いのかも。


こういう風に確認することができるので、数字も悪いもんじゃないのかも。気にしすぎるとダメだが。

そういうわけで、数字は味方にして上手になっていこうと思います。

今日は終わりです。

いいなと思ったら応援しよう!