映画「ルックバック」が見れない
漫画家漫画を読むと喰らう
なぜなら主人公が真っ向から漫画を描き続ける話だから。
漫画家漫画は漫画を描くという目標の元、一生懸命漫画を描き続ける。
なぜなら漫画家の漫画だから。
なのでバクマン。や、アオイホノオなどが読めない。
読んで「漫画のキャラはこんなに努力をしてひたむきなのに、俺は何もやってないおじさんだ!」となってしまうので。
申し遅れました。私、漫画家をやっております、福岡太朗と申します。
過去に2作ほど連載をしており、現在は連載を目指してやっている最中です。
そう。
連載を持っていない名ばかりの漫画家である自分にとっては、漫画家漫画は劇薬なのだ。(ちなみに、吼えろペンや燃えよペンは読めるし大好き。ギャグ色とファンタジー色が強いし、まだダメージを喰らうようになる前に読んだので読める。大好き。それを言うならアオイホノオは読めるかもしれない)
でもルックバックは読んだ
でもルックバックは読んだ。
漫画版は読んだ。あと、島本和彦先生の描いたトリプルックバック」という、ルックバックの主人公2人にアオイホノオの主人公を追加したルックバックという内容の同人誌も読んだ。そんなことして良いの!?!?!
覚えているのは「主人公が自分よりも絵が上手い奴がいるのは許せない」となるシーン。「ファンだった」と言われて喜ぶシーン。時間を重ねていく間にどんどん絵と漫画を描いていくシーン。
漫画を通した青春というか、真っ向から漫画に立ち向かって日々描いている、熱いシーンが印象的だった。
もっとゲームとかしてて欲しいし、ファミレスで駄弁ったり、なんかこう……そういう風に遊んでてほしい。
本当に本当に、遊んでて欲しい。
天才的なカリスマ性のある藤本タツキという作家が描いた、ひたむきに漫画と向かい合い続ける漫画。
これを読むと「自分はずっとゲームとかしてたし、今もずっとゲームしてるし、なんなら死んだ目でYoutubeショートを1時間くらい眺めている」という物凄い敗北感を味わう。藤本タツキ先生にではない、自分に負ける弱い自分だったり、その癖ネームが描けずに悩んでいたりする自分だったり、努力を怠る自分だったり、そういうところに敗北感を感じる。
漫画なのでゲームしているところとか遊んでいるところとかは、ノイズになるので描くわけにはいかないのだが、そういう漫画を読むとかなり喰らう。
漫画と現実は違う。なので、真に受けてショックを覚えるのは間違っている。
だが、漫画が現実に与える影響はバカにならない。なので、真に受けて自分も頑張ろうと奮起すべきだ。
いや、奮起とかはしなくて良い。漫画は読んだ後に「面白かった!」で良いので。でも、面白い漫画はしちゃうでしょ。奮起。
映画ルックバック
こんな感じだから見れない。
見れると思いますか?
見ないなら別に「見ない」で良いんですけど、アマプラに来た上に見た人全員が「良い」と言うからには気になる。いや、そりゃ良いでしょ。映像になって分かりやすくなってるだろうし。これが「さよなら絵梨」だったら映画館に行ってた。あれは映画館で見るべき。許せねぇ。爆発したい。全てを。創作を押し付けやがって。
藤本タツキがもっと有名になって、有名な監督が「さよなら絵梨」を実写映画化してほしい。そして、ワクワクした目で映画館に行った人たちに一発かまして欲しい。
ルックバックは「面白いけど、キャラクターの眩しさ、作者のカリスマ性が自分の醜悪さを照らしてしまう」みたい作品なので、他の人が「良い」と言うと、思うわけである。漫画家漫画が読めない気持ちや敗北感を味わう気持ちを克服すべきでは?
見てしまえば楽になるわけだし。
でも……見れないのだ。緊張してしまうし、怖い。
そんなわけで、私は漫画家漫画や漫画家映画が見れない。
フィクションのキャラと作者と自分を重ね合わせてダメージを喰らってしまうからだ。
多分、私が漫画家として安定して気持ちも余裕が出てきたら見れるんじゃないかと思う。なので、早く安定したいです。出来るかどうかは分かりませんが。
今回は終わりです。
でも考えてみれば、ルックバックよりも、さよなら絵梨の方が好きだな。意味が分からない漫画だし、POVっぽい映画っぽい絵作りもイカしてるし、何よりも「創作とは映画作りとはこういうものだ」と主人公に映画を撮らせ続けていた周りは醜悪だと思うし、そいつらを爆発した主人公は最高だった。
爆発オチなので好きってだけなのかもしれない。
本当に終わりです。