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わたしのものではない戦争 (短編小説)
このお話しは以前も
投稿したことがありますが
「恋に落ちれば」という本に収録する際に、
はじめから終わりまで書き換えたので、
そのあたらしい書籍収録版を
こちらにも投稿してみます。
三年目の日を覚えて。
戦争のことばかり、考えている。
まるで骨のなかの熾火みたいに疼いて、去ってくれない。時に燃え上がって、わたしを焼き尽くし、いつまでも燻っている。怒りと、悲しみと、嘆きとが、わたしの身体を蝕むまでに。
そう口にする権利が、わたしにあるのだろうか。さきの革命のあと、ウクライナを去って、ずっと日本に住んでいるのに。戦場となった国の、日々の苦しみを、分かち合っているわけではない。それでもこれは、戦争以外の何物でもない。
ふるさとを蹂躙する敵の戦車を、スマホの硝子越しに、なすすべもなく眺めていたあの冬に、わたしはオレグを見つけた。教会に送られてきた、包囲されたマリウポリの町で録画された、ビデオメッセージ。
撮影していたのは、オレグの伯父さん。二階の窓から、外の景色を映している。灰色のトタンの家が連なるむこうに、ひとすじの砲煙が立ち上る。いまは、砲撃のあいまだと、伯父さんが言ったそばから、どおおおん、と聞き慣れぬ低い音がする。
ご近所さんは破壊された、と言って、ひらべったい瓦礫の混沌が映される。おとなりでは、ふたりが犠牲になった。遺体はまだあそこにある、と伯父さんは淡々と語る。ちいさな画面からは、遺体も瓦礫も判別が付かない。
『次の瞬間に、まだ生きているかも分からない。だから、一瞬々々を、キリストのうちに生きています』
ほら、あそこにいるのがぼくの家族たち、と言って伯父さんは、カメラを下に向けた。生け垣に囲われたがらんとうな庭で、焚き火する二三人のひとびと。
そのなかに、オレグがいた。あい変わらずハンサムなひと。黒いニット帽を被って、すこしやつれている。名まえを呼ばれると、ちいさく微笑んで、こちらに手を振った。八年の歳月は、煙のように消え去った。
いかなる手段を使ってでも、包囲されたマリウポリから、彼らを連れ出してあげたかった。けれどその動画以降、彼らの安否は杳として知れなかった。
オレグ、わたしのオレグ。またいつか、十年後にでも、と言って別れた日以来、はじめて彼の姿を見た。お互いが、まだ独身であることは知っていた。けれど人生が、わたしたちを離ればなれにさせていた。くりかえし、繰り返し、動画を見返した。声が嗄れるまで、神さまに祈った。
そのうちマリウポリは、敵の手に落ちた。食べ物が喉を通らなくなって、夜な夜な、戦争を始めたクレムリンの老人を憎んだ。いつまで、神さま、いつまでわたしたちは苦しめられているのですか。底なしの不安と、かすかな希望とのあいだを行き来するのに、わたしは疲れてしまった。
「アンナちゃん」
教会さえ休みがちになって、久しぶりに訪れた日曜日、隅っこの席でちいさくなっていたわたしに、シスターユキコが声を掛けた。お医者さんの奥さんで、この教会に通いはじめてから、ずっと親切にしてくださる、お母さんみたいなひと。
「戦い続けなくては、いけないわ。どれほど辛かろうと。イエスさまが来るまで、この戦争は続くのですもの」
戦場の現実から逃げているくせに、もう諦めそうになっているわたしを、見透かすように。
「わたしの国の、戦争が?」
「いいえ、その戦争も、アンナちゃんの苦しみも、すべてを含めた戦争のことよ。あなたの頭のなかで起きている、史上最大の戦いのこと」
「でもアンナちゃんが、じぶんで戦う必要なんてないのだわ。これは、イエスさまの戦争だもの。穏やかに神さまを信頼していることさえ出来たら、それ以上の戦い方はないのよ」
まあ、わたし自身に語っているようなものですけれどね、とシスターユキコは微笑んだ。ふわり、と彼女に抱きしめられたときに、わたしの心に聖霊が触れた感覚がした。
ある日、神さまは奇跡を起こしてくださった。オレグは生きていた。わたしは、外務省の勧告を無視して、すぐさまウクライナに飛ぶと、病院のベッドに寝ているオレグと、結婚式を挙げた。
マリウポリで家族を失い、それから軍隊に入って、その左腕を失ったオレグを、わたしは引き摺るように、日本に連れてきた。戦争は、彼の心を壊してしまった。毎晩、オレグは悪夢にうなされる。そして戦場を知らないわたしを、光のない目で、執拗に責める。
生きているのは、地獄のようで、わたしをただひとつの逃れ場に、キリストのもとへと駆り立てる。停戦したとしても、地獄に変わりはない。おお、神さま、いつまで、いつまでわたしたちを苦しめられるのですか。
わたしは信じている。キリストが、わたしたちをお見捨てにならないと。わたしは信じている。身体を癒すことのできる神はまた、心を癒すこともお出来になると。キリストにおいては、すべてが可能だと、わたしは信じている。この地獄で、わたしは信じている。
イエスさま、これはわたしの戦争ではなかったと、認めます。わたしには戦う勇気も、勝つ力もありません。わたしはいまにも、人生に負けてしまいそう。
けれど、たしかにこれはあなたの戦争なのです。わたしの人生も、オレグの人生もすべて。わたしは足掻くことを止めて、すべてをあなたに委ねます。イエスさま、どうぞ、早くいらして。そしてあなたの戦争に、勝利をおさめてください。