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恋に落ちれば (短編集)

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キリストと恋に落ちれば、というテーマの短編集。
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#キリスト

『恋に落ちれば』 のこと

『恋に落ちれば』 のこと



 須賀敦子さんの評伝を読んでいたら、「キリストに夢中になる」という言葉がでてきた。あ、それだったか、と思った。わたしも、同じような思いを日本語に表そうとしていたのだった。

 あるとき、Desperately in love with Christ といったようなことばを日本語にしたくて、いろいろ探していた。「無我夢中でキリストに恋してる」とか? そのときわたしが作ろうとしていたのは短歌であっ

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この存在のすべて (短編)

この存在のすべて (短編)

*この小説は作り話であり、実際の団体や人物とは何の関係もありません*

 あの日の記憶を、始めから終わりまで筋立てて話すことは出来ない。ふたりで常念岳に登った日の記憶は、もう薄れかかっている。映像のように、あの日撮った一連の写真のように、静止画のようにしか思い出すことは出来ない。

 黙々と暗闇を歩いてきた田口と真木は、ようやく朝日の射してきた頃、沢のほとりで休んでいた。朝の森はオレンジ色に輝いて

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黄金の翼に乗って (短編)

黄金の翼に乗って (短編)


*この小説は作り話であり、実際の団体や人物とはなんら関係はありません*

 「ばぁ ぺんしぇーろ、
 すらーり どらああて」

 そう歌が口をつきそうになって、鷲尾夫人は自分を嗤った。六十幾つになるくせに、黄金の翼に乗って、故郷に飛んでいきたいだなんて。彼女の乗った特急は、いま故郷の信州に向かっている。これだって黄金の翼と言えるかもしれない。

 年を取ったからかしら、夜ごとに故郷の夢を見る。あ

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逃げたいという願望 (短編)

逃げたいという願望 (短編)

*この小説は作り話であって、実際の団体や人物とはなんの関係もありません*

 《A desire to get away》

 
 ある思いに取り憑かれていた。それは逃げたいという願望だった。突然だった夫の死の後、まだ心の整わないうちから、相続だの事業継承だのの手続きに追われて、いつしか八枝はすべてを捨てて逃げてしまいたい、と思うようになっていた。

 昨日と今日とに境はなかった。あるのは手続きの

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水晶の夜 (短編)

水晶の夜 (短編)

 

*この小説は作り話であって、実際の団体や人物とはなんら関わりはありません*

 
 
 《the night of broken glass》

 
 あの夜に漂っていたのはなあに。なにかがはじける前の、ガラスみたいな緊張感。遠くにいても感じていた。なにかが起こるに違いない、って。

 淡い闇が街を覆いはじめた。ひとだかりのする方角から、夏祭りのうたが聴こえてくる。ぼんぼん、ぼんぼんぼん、と

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