実利vs……

ある朝、私は予定の目的地に遅れそうになって焦っていた。

某駅で下車し階段を駆け下りる。
改札を出て目と鼻の先の小さな横断歩道を渡らねばならない。
信号は赤。でも私は急いでいる。車も見渡す限りこちらに来ていない。

普段の私なら迷いなく渡っていただろう。
ところがこの朝は違った。

そこには既に母親に連れられて無邪気に会話をする小さな子供が居た。もちろん赤信号で止まっている。

そのすぐ横をスーツ姿の男が数人、横断歩道を走る。子供は言った。『どうしてみんな行ってるの?』と。

その時私は躊躇していた気持ちが固まった。
この子の前で信号無視は出来ない……と。

時に実利を取らず、理想や正義を優先するのが人の人たらしめる所なのかと思う。

そんな正義や理想と実利や現実に人は苦悩もする。


先日、Fateシリーズの原典にしてラストである作品、『Fate/stay night [Heaven's feel] Ⅲ.spring song』を観た。

TYPE-MOON作品を舐めるように見てきた……訳ではないし、「Fate」シリーズもアニメの「stay night」シリーズと『ロード・エルメロイII世の事件簿』ぐらいしか完走したことはなく、「プリズマ ☆イリヤ」は途中だけ、『Fate/Zero』もまだ視聴途中であり、『空の境界』とか無縁である。
ということを前提で話させてもらう。

衛宮士郎の生き様が3つのルートによって描かれた本作。[HF]では言わば現実と愛を選択した作品かと思う。

彼の選択は何を救い、何を切り落とすのか。

これは前作UBWのヒーローであることを貫いた姿勢とは180度ぐらい異なる。内容もFateらしくかなり異常な世界観ではあるが、私は最も現実的なルートのようにさえ感じた。

この感情はどこから来たのだろうと思っているので、時間が許せば無印(セイバールート)を振り返りたいと思う。

私の中ではセイバールートでさえ桜ルートよりも非現実的だと思っている。理由は自分でさえわからないが、おそらく良い意味で「出来すぎている」ルートなのだ。THE BOY MEETS GIRLを地で行くラノベ然としたストーリー展開がよりそう思わせるのだろう。

凛ルートはヒーロー物を地で行くスタイル。最後は自分の未来と運命的な出会いを果たした上で、なおその理想を追及する覚悟をもつ。いわばヒーロー生誕の物語なのだ。

桜ルートは、人間の醜態を晒しながらも、それでも成すべきことをやるという最も人間らしい展開。おそらく私の中で一番好きなルートだろう。とはいってもホンネではアーチャーには最後までいて欲しかったが(笑)

でもライダーの活躍見れたしいっか!ライダーも好きだし!!☺️

でもキャスターも好きだったんだけどなぁ😭

桜の、士郎の、凛の、言峰の抱える矛盾がどこか他人事ではないような、そこが人間らしいともいえる。

(あとづけ)
実はFateの感想は書きたいと思いながらもなかなか上げられてなかったのだが(笑)

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