こころの余裕 『東ティモール』
東ティモール。21世紀最初にできた国です。インドネシアと国境を接し、アジアに属すものの、立地からオセアニアに近い雰囲気もムンムンと感じました。毎日の定期便はインドネシアのバリのみ、その他週1でオーストラリアのダーウィンとシンガポールとかなりアクセスはしにくい国ですが、十分に訪れる価値はあります。温かすぎるほどの人の良さ、植民地時代に築かれた建築から漂うコロニアルな雰囲気。ポルトガルの影響は大きく、どこかフィリピンにも似たラテンの雰囲気も感じました。世界的には問題だらけと見られることが多いこの国ですが、皆こころに余裕を持ち、自分にとっては良い意味でとても印象深い国となりました。買ったばかりのフィルムカメラで露出感覚がまだ分かっていない当時、あまりの日光の強さからほぼF11で撮ってしまった滲んだフィルム写真と合わせてお楽しみいただければ幸いです。
東ティモール行きを決めたのは母と2人でのバリ旅行の日程を決定した後でした。本当は10日間全て母と一緒にバリで過ごす予定だったのですが、どうやら東ティモールは現実的にバリからしかアクセスが難しく、この機会を逃せば5年は行けないだろうなぁと、母をバリに置いて3日間の日程で一人、東ティモールへ。ここだけ話せば「母親を置いていくなんて‼︎」とブーイングがきそうですが、母は英語が話せるたくましい人間なので、その間一人でバスを乗り継ぎ、タクシーを拾い、動物園だの美術館だのショッピングモールだのを巡り自由に楽しんでいたそうです。
謎の航空会社スリウィジャヤ航空に乗って到着したのは東ティモールの首都ディリ。空港にてビザという名の入国料30USDを支払います。ネットには1日50USDを目安に滞在日数分の充分な現金があることを証明(見せる)しなければならないとの情報もありましたが、自分には一切ありませんでした。ちなみにディリは自分がこれまで訪れてきた国々の首都の中で最も小規模だったと思います。ローカル感強し。
たまたま飛行機内に居合わせた日本人の方が予約していたダイバーショップの送迎車に乗せていただけ市内へ。東アジア系の顔立ちが珍しいのか、最初は視線がきつく感じたのですが、恐る恐るカメラを出すとみんな気さくに話しかけてきてくれ、もれなく「オレを撮れ祭り in ディリ」が開催されます。皆撮った写真を送ってくれとWhatsAppの交換をせがまれるままに連絡先をもらい続けた結果、未だ自分のiPhoneの連絡先の8分の1程度が東ティモール人という状況になっています。
タマゴを売り歩いていた少年。笑顔で話しかけてきてくれ、写真を撮るだけでキャッキャと喜んでくれてとても嬉しかったです。
全裸で海に飛び込んでいた少年たち。これらが奇跡的にこの場に載せられる2枚です。古き良い時代がここにはあります。
ディリの最大の観光スポットはクリストレイと呼ばれる丘の上にそびえ立つキリスト像です。これが世界で2番目に大きいとか大きくないとか。「オレを撮れ祭り in ディリ」参加者の女の子2人組がクリストレイに遊びに行くところだったようで、一緒に乗合バスに乗せてもらいました。2人とも英語はほとんど話せず、なんちゃってポルトガル語やジェスチャーを駆使してお話ししてみると、同い年であることが判明しました。若干のピントずれが申し訳ないですアブイさん(左)。ちなみに東ティモールの公用語はテトゥン語とポルトガル語。あくまで自分の体感ですが、英語はほとんど通じませんし、ポルトガル語は英語に毛が生えた程度で、自分の力不足もありほとんど使い物にはなりませんでした。皆テトゥン語で会話をします。
ここで感動したのがクリストレイ以上に、丘の下に見える海。綺麗すぎます。クリストレイを一回りしたら砂浜に降りてみます。
伝わりますでしょうかこの橋本環奈ちゃんのような水の透明感。リゾート開発など一切されることなく、現地の方々だけがのんびり過ごしているティモール人たちの楽園のようなビーチでした。ここでしばし「現地人に混じり一人、白い砂浜の上で楽しそうに遊ぶ子どもたちを温かい目で見守っているオレ」に酔います。
翌日は地方に足を運んでみました。公共の交通手段が発達していないこともあり、宿のオーナーから英語の話せるドライバーを紹介され、思い切って車をチャーター。ひたすら海沿いを走り着いたのはリキサという街。本当は離島に行きたかったのですが、宿のオーナーに負けました。
ポルトガル領時代の要塞や邸宅、教会などが点在し、所々からコロニアルな雰囲気が漂います。
ディリと変わらず皆とっても気さくです。砂浜で体育の授業中だった学生さんたちが集まってきてくれました。先生も寛容で「さあ撮ってもらってきなさい!」の姿勢でした。
道中、ドライバーから謎の強い酒を飲まされるのも旅の醍醐味です。
道中、ドライバーから謎の塩を食わさせられるのも旅の醍醐味です。
ディリに戻ると、仲良くなったドライバーが「まだ明るいしお金はいいから」とご好意で滝に連れて行ってくれました。彼は当時25歳。道中「祖父が目の前で殺された話」、「幼いころ頃、ここは東ティモールではなくインドネシアだった話」など戦争の話をたくさんしてくれました。東ティモールは1970年代から続いた長い紛争を経た後、2002年に念願の独立を果たした21世紀最初の独立国です。戦争の実体験を語るのが同世代なのかと衝撃を受けたのを今でも覚えています。
最終日は昼過ぎのフライトまで博物館へ行ったり、公園に寄ったり、市場や海沿いを歩いたり、ゆっくり市内を散策します。写真には撮っていないのですが、特にレジスタンス博物館は周りの建物と一線を画すほどモダンで綺麗な建物です。クーラーも効いています。政府も開館に特に力を入れたようで、東ティモールという国の成り立ちや上で書いた独立戦争についてよく分かる空間ですので、東ティモールへ行く予定のある方は是非訪れてみてください。
「東ティモール」と検索すると、インフラ整備や長期に渡る戦争後が故の貧困率や失業率の高さ、衛生問題など国際協力的話題が大半を占めます。もちろんたった3日間の滞在でもこれらを実感する機会は非常に多かったし、深刻かつ早急な対応が求められていることは間違いありません。だからこそ様々な国家、団体が支援に乗り出しているのだと思います。しかし不思議と、街ゆく人も一見困難を強いられるような仕事・生活をしている人も、皆明るく楽しく陽気に接してくれ、困難が困難に見えないのです。長期に渡る戦争の末、自分には困難に見えてしまう状況でも、強く明るく陽気に生きる人々がその国にはいるのです。
東ティモールは国民の平均年齢は18歳代、なんと国民の7割が30歳以下だそう。そのせいか街中には活気があふれていました。国が抱える問題や自身にも関わる困難を語りながらも、2日目のドライバーや宿のスタッフ皆が口を揃えて「この国はこれからきっといい国になる」と何度も言っていたのが印象的でした。もちろんそれなり困難を抱えていることには間違いないでしょう。しかし、まだ建国されてたったの18年、そんなことを考えてか考えずか、この国の人は皆、困難を困難に見せることなく、困難すら抱擁してしまうほどこころに余裕があるように感じました。
Camera: SONYα7Ⅲ, Voigtländer Vito B
Lens: Voigtländer Nokton 40mm F1.2 Aspherical, Viltrox 20mm F1.8
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