精華大学でのシンポジウム「京都音楽シーンの変遷ーこの街で何が起こったのか?どんな音が鳴ったのか?」で使用したレジュメ


先日の精華大学でのシンポジウム「京都音楽シーンの変遷ーこの街で何が起こったのか?どんな音が鳴ったのか?」で使用したレジュメを公開します。
レジュメというより進行表みたいなものですが。

何をどう話すか、最初なかなか絞り込めず何回か要点をまとめながら、なんの形にもならない粘土をこねてるうちに徐々になんらかの形を勝手に作っていくような感触があって、それがなかなか快感でした。(その「形」作ったと思ったものが本番では不十分であったのですが )
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京都(関西)におけるエクスペリメンタル・ミュージックの流れ

●78年のデレク・ベイリー初来日が与えた影響

●西部講堂、吉田寮と同じく自治空間京都→学生の街 街と大学の境界が曖昧 若者の文化と街が密接に関係 開かれた大学、開かれた文化 

●Punk/new wave の影響(技術よりもアイデア、アイデアをすぐ行動に移す)であらゆる音楽を自由に取り入れる風潮ができた。

●新しい音楽を紹介するメディアの存在 ロックマガジン(76〜88年 休刊時期あり)

●場を自分で作る (どらっぐすとぅあ BIDEガレージコンサート)

●noise musicの誕生 (どらっぐすとぅあから発生)ノイズバンドのライヴハウスシーンでの活動

●ジョン・ゾーン日本居住(85年頃)の影響 慣習の破壊 ジャンルの横断 日本のフリー・ジャズに与えた影響 (大友良英等)

●F.B.I. 96~07年(フェスティバル・ビヨンド・イノセンス)が与えた影響

●クラブ・シーンの影響 サンプリング文化の発達でアヴァンギャルドな音楽もカジュアルに視聴、使用できるように変化 それがダンスフロアで起こったことの重要性

クラブ・メトロ(90年open)の果たした役割 古くは80~82年のクラブ・モダーンの影響(これについてはバン、小田両氏から説明?)

● 電子機材の発達により音そのもの、音のテクスチャーに注目する音楽が増えた 90年代の音響派の登場 アート系との関係

●00年代以降のカフェライヴの増加。PA機材の軽量、縮小化、小音量の音楽の登場

●レイハラカミ、タンツムジーク等のエレクトロニクスシーンの誕生(90年代後半半)ハラカミの造形大学の恩師は大野松雄氏(鉄腕アトムの足音を作成、小杉武久との関係)

● 現在の関西の音楽家が公的資金を得ながらも公共ホールとライヴハウスとを意識的に使い分ける活動 中川裕貴 日野浩志郎(YPY GOAT)



最後に

数年続けたsmash westでの連載を終了したため、ちゃんとした文章(相手にどう伝えるか、どうしたらわかりやすいか、対象の分析をどこまで深められるか、そういった部分ではSNSの文章とは段違い)を書くこともなくなり、自分なりに熟考して「形」を作り出す作業というのを忘れてたようでした。
SNSでの思いつきのような文章ではなく、いろんなものを削りながら何かの芯を見つける作業は楽しいんだな、と改めて思った準備期間でした。





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