趣味はなんですか?に困る
新しい環境に身をおき、初めての人々と知り合う機会が多いと、「趣味は何ですか?」という質問をたくさんされます。
わたしはそういう時、いつもいつも、すんなりと応えることができません。
相手は“先輩”として、“新人”であるわたしに話題を提供してくれているにすぎないことはわかっているので、それなりの当たり障りのない回答をします。
例えば「だいたいネトフリみてますかね〜」「友達と遊びにでかけたりとか」などなど。
でも、本当はNetflixをみることは稀だし、友達もたいして多くありません。
だからそういう話題の時「わたしって特段趣味も無いし、なんて空虚な人間なんだろう」とすこし考え、落ち込みすらします。
そしてなにかの話題を掘り下げられるほどの知識も持ち合わせていません。
本当のところ、わたしの好きなことって何なんだろう。
本を読むのも、映画をみるのも、お芝居をみるのも、テレビをみるのも、音楽を聴くのも、ご飯を食べるのも、人と会うのも、一人でいるのも、でかけるのも、家にいるのも、YouTubeダラダラ見るのも、買い物するのも、
全部好きだし、全部嫌いです。その程度です。
すべてはその時の気分だし、環境に左右されてしまいます。
寒ければ引きこもりのように布団にくるまっていたいし、季節が変わればオシャレな人のようにお洋服が欲しくなるし、おなかが空いていれば美食家のように食べログ片っ端から漁ります。
オタクという言葉があります。
ここでは、「専門家」のような意味合いで使いますが、わたしにとっては、どの芸術も、エンターテインメントも、どのカテゴリでもオタクには敵わないと思ってしまうのです。
「わたし、映画をみるのが趣味で」
と伝えた相手が、映画「スターウォーズ」シリーズのオタクだった時、「スターウォーズ」を一つもみたことがないわたしには、関連する気持ちが「ディズニーランドのスターツアーズ結構好きです」しか無いわけです。
映画好きの人からしたら、「いやいや、その程度で映画好きって・・・」と思われても仕方がありません。
「藤井風」というアーティストが好きで、良く曲を聴くのですが、それを表明した時に、相手がもしもわたしよりも“藤井風オタク”だったら、
「え! 俺も好き! あのライブいった?!」と言われてその熱量に応えられる自信がありません。
すべてのジャンルにおいて、そうなのです。
別に、好き具合で戦うわけでもないのですから、そんなことは気にしなくて良いのでしょう。
けれどもなんだか気が引けて、何かを「大好きです!」と伝えることが億劫になります。
現代は、だれでも容易に情報を手に入れることができます。
我々にはインターネットというツールが物心ついたころから存在していました。
情報を得ることが容易で、だれにでもできるという世界では、「情報・知識を持っていないことは、サボり」のように思えてしまうのです。
あくまでわたしにとって、ですが。
だからこそ、物凄い勢いで溢れ流れる膨大な情報を前にして「好き」という気持ちに迷いが生まれたり、「こんなに詳しいひともいるのだ」と自分の愛の深さを疑ったりしてしまいます。
きっと、愛や好きという気持ちに大小はないのです。それぞれが、比べられないくらいすごく変な形の器を持っていて
その変な器にそっと、知識や情報を集めて、大事に保管するのだと思います。
だから、その器から出して並べて内容量を比べたりする必要はなくて、
自分の保管庫にきちんとしまって置ければよいのでしょう。
だからわたしは、大事にしまって置くために結局、
「いやーあんまたいした趣味? とかなくてー」
「結局休みの日ダラダラしちゃうんですよねー」
「大体寝てるかなー(笑)」
などと答えます。
自己満足の棚にわたしの変な器をしまいます。