私はあまり感じが得意ではない。こうして「感じ」と誤変換をしても平気で見過ごしてしまう程度には不得意である。漢字はせいぜい雰囲気で読みが出来るぐらいで、何となく変換はこれかな?って感じで選んでいる。よくライターをやっていられるよなと思いつつ、結局それも慣れというものだと実感している。
だが、漢字を勉強しておけばよかったなと思う事もあるし、もっと言えば本や新聞ももっと読んでおけばよかったなと思う。日本語はどの言語よりも言葉に意味を持たせているから。特に漢字に込められた意味は重要だ。文面上でも考えを示すことが出来る言語だから。
何故このような事を書いているのかというと、最近「おじさん構文」だとか「おばさん構文」だとかいう言葉をよく目にするようになった。私の文章もきっと若い人からしたらおじさん構文なんだと思う。
絵文字とか顔文字の事に関して言えばまあ、おじさんだよなと思う事はあるものの、大人げなく苛立ってしまう部分もある。何故なら人にはおじさん構文とか言っておきながら、句読点でハラスメントを感じてしまう人が居る事に苛立ってしまう。国語で習う事にハラスメントを感じるような分際で「おじさん構文」とか言ってんじゃねえと。
しかし、それは我々を含めた大人たちのせいでもあるんだろうなと思う事がある。
漢字を勉強しておけば良かったと。そして本や新聞をもっと読んでおけば良かったと書いた理由が、それこそ漢字の勉強だけではなく、相手が何を伝えようとしているのか、どういう事を考えているのかを読み解く力をつけなきゃならなかったんじゃないかと思う事がこの年になって多く感じたからである。
実際、本当に良い文章を書いている人って、難しい漢字は使わないし、でもちゃんと意味を伝えたい所ではしっかり漢字を使っている。そういう印象だ。後はちゃんと目次をつけたり、見出しをつけたり、少なくともこのエッセイではやっていない事をしっかりやっている人が多いし、それが読みやすい文章というものなのだろう。
でもね、私としてはその難しい感じを使わないとか、わかりやすい文章だとかのせいで、結局読解力を失わせてしまっているんじゃないのかと思う。漢字には意味が込められている。何故その漢字を使っているのか?とかこれはどういう意味なのか?と考えるから読み解こうと読者は努力をするのではないだろうか?というより国語の問題ってそういうの無かったっけ?正直国語の成績は悪かったし、作者の言いたい事は?と聞かれても「しらねえよ」の一言で終わらせるような人だったので、もはや漢字以前の問題ではあるのだが….
だが、「誰」に「どんな事」を伝えようとしているかっていうのは漢字で変わってくるだろう。
そんな表現として大事な漢字が「読みやすい文章」だとかいう理由で、あまり難しい漢字を使わない事が美徳のような世界のようである、書籍の世界は。
前にとあるKindle作家が最近の書籍はあまり漢字を使わない。というか難しい漢字はダメだと言っていた事を思い出したと同時に「だから昨今の日本人は読解力もないし、人の気持ちを汲めない人だらけなんだ」と納得してしまった。
そりゃそうだ。相手の気持ちを考えるきっかけが無いんだもん。意味を伝える為の漢字を使っていないから、意味なんて考えないんだもん。だから文面上の意味を考えないから、そのままの意味でとらえてしまって、結果コンプラだなんだと言い出し、しまいには「。」で恐怖を感じるような愚か者が出てきてしまう。もはや末期だ。
私もこの歳からでも勉強する。学習の意味を失ってしまった本でもいいから、今からでも本を読みましょう。特に読解力も、理解力も、そして相手の気持ちを汲めない貴方も。