#企画メシ 第3回「おそれとは未知である」
こんにちは、ふみです。
今日は「企画メシ2022」3回目の講義でした。
なんと、もう折り返し目前です。焦る。
▼企画メシ2022マガジン
講義のようすや企画生の感じたこと、想いが詰まったnoteが読めます!
全力で呼びかけてみる
課題が出た時、次の講義が楽しみだなあと思った。
「なんとかしたい」という7文字から伝わる想い。
視点も、内容も、規模も人それぞれだけど、きっとわくわくする企画で溢れているだろう!と思った。企画生のことをもっと知れるだろう、という予感にドキドキした。
実際、想いがじんわりと、ビシビシと伝わってくる企画ばかりで、感動メモ※ が過去最長になった。
さて、自分の課題について。
前回も書きましたが、毎回課題に取り組むにあたってテーマを設けています。
今回は「全力で呼びかけてみる、はしごをかける」。
この課題文に、阿部さんの言葉に、「仲間を見つけてきたらいいよ!」と背中を押してもらったような気がして。
そこまでお膳立てしてもらってるんだから、やるっきゃない。
それに、エントリーシートにも書いた。「仲間が欲しい」って。
今回の企画は、実際に仲間が集まったらやるぞ!と思えるもの。
かつ、先輩企画生も見てくれるから、企画生ならではの、企画生とやる意味があるものにしたい。
つまり企画書は、歴代企画生から仲間を探すための募集要項だと解釈した。
仲間を募るにあたって、ああこれは、生半可な企画を立てられないなと思った。
そもそも、「なんとかなったらいいな~」じゃなくて「なんとかしたい」の企画。建前や人任せじゃなく、自分が手ずから変えたいとか、やりたいと思えること。かつ、共感してくれた仲間ができたのなら、誠実でいられること。そんなことを想いながら、企画を考え始めた。
自分が求めていることを理解する
最初はラフになんとかしたいのタネを集めてみた。
この中から、私は「学校つまらない」を選んだ。
提出した企画はこちら。
企画自体は、気に入ってる。
(色々反省点や直せるところはあるんだけど…)
引っかかっていたのは「学校教育」という、個人的にネガティブなイメージのある場所にあえて入っていこうとする、自分自身の心。
苦しい原体験や違和感、義憤から事業を立ち上げるというのはよくある話だけれど、私の素直な心は、それをちょっと嫌がっていた。
なんとかしたい。だけど触れたくない。
そんなせめぎあいがあった。
でも、企画として正しいと思うから、講義当日までその気持ちを無視した。
講義当日、冒頭で阿部さんから今回の課題意図についてお話があった。
理屈は、すんなり頭に入った。うんうん、そうですよね。
でも、後から心がついてきて
「えー!私って、これを求めてたの!?」と自分でびっくりした。
話がそれるけれど、私は子どもを産まないと決めていて。自分がやらないからこそ、子どもを産んでいる人・産む人はすごいと心から尊敬しているし、私がやらない分、社会で色々優遇されてほしいなと思ったりする。
なんとなく「育てる」とか「若い世代」とかは縁遠いと思ってたけどそんなことはなくて。産まないなりの関わり方もまた、あるんだろうなあ。
それに、会社では社内向けに企画の講座をやっているし、個人でも企画を教えるサービスの準備をしている。
私って、もしや教えたがり???
この疑問は、ちょっと時間をかけて向き合っていきたい。
(何せ昔「教師には向いてない」と言われたことがある)
一人だってできるかもしれないのに
今回の課題は、楽しかった。
自分の課題を作るのも楽しかったし、他の企画生の課題を見るのも、講義中も楽しかった。
でも、終わってからずっと、心に不安が貼り付いてる。
誰かを巻き込んで、失望されるのが怖い。
それが、私の持つおそれの正体だ。
最初に「なんとかしたい」のタネを探した時、あんまり出てこないなあと思った。だって、一人でできてしまうし、一人でやった方が楽なことばかり。
第一印象で明るい・エネルギッシュと思ってもらうことが多くて、それもまた事実なのだけど、正直他人と一緒に何かをするのが苦手です。
マイペースだし、ドライだし、気を遣いたくない。
だから基本はなんでも一人でやった方が楽。
だけど、一人きりじゃ見えない世界があることも、よく知っている。
知っていても、自分が旗振り役になって呼びかけるっていうのはすごく、すごく勇気のいることで。
自分なりに「これならば」と旗を立ててみたけれど、正直今すごく怖い。
一人ならいつ投げ出したっていいのにな、、とか思う。
楽な方に逃げずに立ち向かいたい程のなにか。
もしくは、むしろ一緒にやった方が楽!と思えるような仲間。
そういうものを求めているのかな。見つかるだろうか。
未知が道に変わっていく
今回の企画メシに掲げられた想いは、『自分の道を言葉でつくる』。
不安や恐れの正体は「未知」だ。
人は分からないことに対して、想像し、恐怖する。(らしい。最近本で読んだ。)
そして、人間の持つ「コンフォートゾーン」。
文字通り心地の良い場所で、ストレスが無い。ただし、成長もない。
コンフォートゾーンから抜けて、未知へ飛び込む。
未知は怖いから、わからないから、ストレスを感じる。
だけど、少しずつ輪郭が見えて、手触りが分かって、解釈して、定義して。
そうすることできっと、この未知が、おそれが、今度は自分の道になる。
そう思うと、今この胸の中にあるおそれも、蓋をせず、しばらく居座ってもらうのもいいかもしれない。
余談。伝えるコンプレックスになりそうな話。
超余談というか十中八九考えすぎなんですけど。
企画書を褒めてもらったり、「伝える力がある」と言っていただけて、嬉しいのに「もしかしたらなんかダメだったかも…!」と思う自分がいて。笑
自分で書いておいて謎理論すぎてもはや面白い。人間の心って、ふしぎ!笑
たぶん、技術があるがゆえの小手先になってないか不安なんだと思う。それっぽくして終わっちゃってないか。
でも、講義で伝える・伝わる・共感の関係性の図を見た時に、
そもそも「伝える」の円が大きくないと「伝わる」にならないんだよな、とも思った。
伝える力はあるに越したことはないけど、それをどう「伝わる」に持っていくか?結局温度調節なんだろうなあ…。
今回講義で「悲鳴だけでは共鳴されない。マグマを温泉のようにぽかぽかに」という言葉を聞いてドキッとした、2022年下半期の目標「心の温度調節」な私でした。
(マグマなのか氷なのか。笑)
なぜ温度調節なのか。水のように変化したいと願った話は、ライフログスクールの振り返りとともに近日中に書きたい所存。
今回も、いっぱい揺らいで、味わって、大満足!
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