#企画メシ 第6回「魔法使いに大切なこと」
こんにちは、ふみです。
先日、「企画メシ2022」6回目の講義を終えました。
いつもは講義後すぐにnoteをアップしていたのですが、今回はちょっと遅め。
というのも、講義後に企画生(同期たち)とリアルで会って飲んできたんです…!
第5回チームの企画の1つで、20名以上のメンバーが集まりました。
気づいたらカラオケでオールしてました。
今年に入って5回くらいカラオケオールしてる31歳。とっても青春してます。
(幹事チームの皆様、素敵な機会を本当にありがとうございます!会ってくれた、話してくれた皆様にも大感謝!)
▼企画メシ2022マガジン
講義のようすや企画生の感じたこと、想いが詰まったnoteが読めます
第6回のテーマは「文化の企画」。
ヘラルボニーの松田崇弥さんを講師に迎え、提示された課題は
皆さんならこの課題に、どんな企画を出しますか?
そもそも、この課題を受けて何を感じましたか?
思いを巡らせながら、続きを読んでいただけたら幸いです。
言葉を変える必要性
課題が出てすぐに考えたのは「本当に言葉を変える必要があるのか?」ということでした。
言葉自体には持って生まれた意味だけがあり、言葉に本来ない意味を付加し、隔たりを生んでいるのは、使う人の偏見や社会の空気。
でも、この課題を、他でもないヘラルボニーの松田さんが出すということ、それ自体が一つの答えであるとも思いました。
松田さんは明確に「変えたほうが良い」と思っているからこの課題を出したはず。
その背景を知りたくて、まずは松田崇弥さんの著書『異彩を、放て。』を読みはじめました。
松田さんご自身が「障害者」という言葉についてどう考えているのか?
2020年にヘラルボニーが出した「#障害者という言葉」の意見広告への想い、意図。
そういう部分に耳を澄ませながらも、ヘラルボニーの活動のあざやかさや真摯さ、情熱。
双子の兄弟であり共同創業者である文登さんや、お兄さんである翔太さんらご家族、ヘラルボニーに賛同する施設や企業の方との関係性、これまでの歩みなど、気づけばすいすい読み進めていました。
同じ企画者として、そのまっすぐさ、丁寧さに憧れました。
松田さんの想いは、なんとなく掴めてきた。
ではそれを取り巻く環境はどうだろう。
平成22年の障がい者制度改革推進本部よる「障害」の表記に関する検討のレポートを読んで、ため息。
福祉の領域に携わる方々だって、この問題についてずっとずっと考えてきてる。
「障害者」という言葉が確かにはらんでいる、偏見、空気、分断。
それでも変わっていない「障害者」という言葉。
平行線で終わった議論。
変えることでまた差別や分断が生まれるかもしれないリスクや、当事者の中でも分かれる主張、行政としての必要な手続き、そんな「いろいろ」が絡まりに絡まって、停滞している。
やっぱり変えなくていいんじゃないか。
気を抜くと、立ち止まりそうになりました。
人間の私と、企画者の私
考え続ける中で、高校時代の同級生と会うタイミングがありました。
彼女は、障害者。
「こんな課題が出てるんだけど、どう思う?」と聞いた私に、彼女はこう言いました。
彼女ならそう言う気がしたので、納得しつつも、なんて悲しい言葉なんだろう、とも思いました。
きっと最初からそう思っていたわけではないんだろう。
言い聞かせてきたのかもしれない。
そんなことを想像しました。
「障害者」という言葉を変えることで、今の彼女は不快に思うのかもしれない。
一人の人間として、彼女の友人として、「そうやって不快に思う人がいるのなら、やっぱり変えなくてもいいんじゃないか」という葛藤に苛まれました。
でも、だけど。
だからこそ。
ああ、企画者として頑張ろう、と思ったのです。
一人の人間として友人の想いを大切にしながら、それでも企画をする人間として、できることをしよう。
諦めずに考えて、企画して、提案しようと思いました。
ある島が教えてくれたこと
何度も止まりそうになる思考の中で、先月訪れた瀬戸芸での体験が背中を押してくれました。
瀬戸芸の会場の一つである大島は、ハンセン病回復者の国立療養施設があります。
そこで、アートを通して見た、病に対する差別と隔離の歴史。
ハンセン病は元々「らい病」と呼ばれており、罹患した人は「らい」と呼ばれ、差別されていました。
そして今は「ハンセン病」に統一されています。
受けた傷は癒えずとも、差別のイメージが染みついた言葉が使われなくなったことで、さらに傷が重なることは、多少なりとも防げたのかもしれない。
ハンセン病のように、言葉を変えることで防げる傷がある。
同じようにやるとしたら、どうだろう?
カテゴライズの言葉ではなく、ただ行政の手続きなど、事務的な用途に特化させることはできないか?
そして、日常では個人としてその人の名前を呼べばいいのではないか?
ハンセン病の話をする時に「ハンセン病」という様に、「障害者」を主語にするのではなく、「障害」そのものを取り扱うのはどうだろう。
そんなことを考えて、企画を出しました。
考え方はよかったのかな、思うけど、やはり「障害」という言葉の持つ強さは自分でも気になっていて、松田さんも講義でその点に触れていました。
松田さんが企画生の課題の中から選んだ1案は、たぶん、途中まで私も同じ思考の道を辿れていた。
でも、やっぱり最後の最後のアウトプット、肝心の呼称そのものが、圧倒的にフラットで、強さがなかった。
あと一歩。
でも、そのアウトプット、実際届くものこそ、考え抜いて、磨いていく必要がある。
今回も手を抜いたわけではないけど、やっぱり「どういう見栄えになるか」というのは、すごく大事なことだなと思いました。
魔法使いに大切なこと
講義の最後に、松田さんが言いました。
そうだった。
なんだか長いこと忘れていたような気がするけれど、私は魔法が使えたんだった。
仕事で企画をしているうちに、鮮やかな夢を描いているつもりで、やっぱり現実に妥協している部分もたくさんあって。
魔法というと派手でキラキラしたイメージを思い浮かべたりもするけれど、今回松田さんが選んだ企画はものすごく地に足のついた案で、そういう、華やかさはなくとも世界を変えていける予感に満ちた企画というのも、すごく良いなあ、と思えた。
自分がどんな魔法使いになりたいのか?
今一度考えてみたい。
そしてきっと、大切なのは、
「自分は魔法が使える」と知っていて、信じられていること。
視界がぱっと開けたような気がしました。
次が、企画メシ2022の最終講義。
課題は「自分の企画」
問いは「あなたはどんな企画をする人になりますか?」
まさに、どんな魔法使いになるか?
12/10、横浜で自信を持って宣言するために、まずは課題、がんばります!
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