横浜フリューゲルスと私
さて今日は水曜日。リーグでの大敗からあっと言う間に天皇杯。
相手はJリーグファンが愛する水戸ホーリーホックさんです。
試合後に「水戸ちゃんは強かった!」と親しみを込めて呼べるのか、はたまた世界最強J2リーグの恐ろしさを見せ付けられ「水戸さんは強かった(号泣)」と呼ぶことになるのか。
体力もメンタルも厳しい連戦が続きますが、皆で前向いて一緒に戦いましょう。
とかなんとか書いて下書きを保存してる間に金曜日になってしまいました!
東アジアチャンピオンこと我らが横浜F・マリノスさん、天皇杯で2試合連続下位リーグのチーム相手に圧巻の延長PKサヨナラ勝ちです!!
……
でもね、私は強い横浜F・マリノスが好きなんじゃなくて、最後まで諦めない横浜F・マリノスが好きなんです。
だから、皆で頑張って追い付いて、
最後にちょっとだけ追い抜いて、
そうやって次に進めただけでよいのです。
閑話休題
「自己紹介とキッカケと」で少しだけ触れましたが、私が初めて好きになったチームは「横浜マリノス」ではなく「横浜フリューゲルス」でした。
生粋のエセ関西人の私が何故フリューゲルスを?
そして沢山のJリーグの試合に触れて今思う横浜フリューゲルスというチームについて、が今回のお話です。
誰にも求められてなくても自分の為に書くのです。
ちなみに前回の最後の方で「この1年色々あって次回はこの色々を書こうと思います〜(要約)」とかなんとか過去の自分は書いていましたが、
色々の前に書かなきゃいけない事が沢山あるのです。
過去は変えられないが未来は変えられるのです。泣
変えよう、未来 忘れるな、過去
・横浜フリューゲルスとの出会い
元々父が全日空ユーザーでして(新幹線嫌い)、出張や旅行で使う時にフリューゲルスのポスターなんかを見たりして気にはなっていたそうです。
Jリーグバブルも落ち着いてチケットも取れるし行ってみるかーー(たぶん1996年頃)というのが初観戦の理由と家族間で言われている(と言われている(諸説あり(誰も覚えていない)))
そんな曖昧な理由で私は横浜フリューゲルスと出会う事になるのでした。
・我が家のヒーロー!三浦淳宏選手
そんな全日空ユーザーから横浜フリューゲルスのファンになった父ですが、ある時国見高校の試合を見て
「なんかとんでもない高校生がいる!こいつはやべえぞ!」
となったそうです。
そんでもってフリューゲルス入団して小躍りしたそうな。
うおー!となった選手が好きなチームに来たら、そりゃ小躍りしますよね!わかるわかる!
そんな三浦淳宏選手は我が家では「あっちゃん」と呼ばれて親しまれておりました。
今思うとこの「あっちゃん」呼びがちびっ子だった私に功を奏したような気がします。
試合を見て知ってる人がいるというのは(そもそも選手とかチームとか理解できてない小学一年生くらいにとって)「がんばえー!」となるのに丁度良かったのかなって。
呼び名も「あっちゃん」で親戚のお兄ちゃんっぽいですし笑
きっと健気な可愛いちびっ子ファンだったんだろうなあ(遠い目)
ちなみにその三浦淳宏選手ですが、時はずーっと未来へ進み、とうとう引退する時がやってきました。
え、引退試合行きた〜〜〜と思ってたら父が航空券とチケットの段取りを終えていました。はや。
そんなわけで横浜FCでの引退試合に家族3人で駆け付けると、現地では様々な記念グッズが販売されておりまして。
中でも目玉商品は
「これを買ったら試合後にサイン会参加出来るよ!お値段?めちゃ高いよ!記念ユニフォーム!!!」
でした。
えーんサイン会行きたいよー!泣 でも貧乏学生の私には買えないよー!泣
となっていたところ、母上様が
「お金出したるから買っといで。あっちゃんと会えるのなんて最初で最後かもしれんやろ。」
神はいた!!!!
これはですねー、今思うと結構なターニングポイントでして。
実はこのサイン会で三浦淳宏選手とお話することが無かったら、
就職してJリーグを観にいけなくなった時に、そのまま自分の世界からJリーグがフェードアウトしてたかもしれないくらいなんですね。
なので母上様には本当に本当に感謝しています。
という話を最近したところ、
「あんたいつも出世払いっていうけどいつ出世するの?あの世にお金は持ってこれないんやから生きてるうちに返してや。」
と言われました。
うん……わたしがんばるね……
で!その時に三浦淳宏選手とお話した内容がこちら!
ふ「長い間お疲れ様でしたあのえっと三浦淳宏選手がフリューゲルスに入ってフリューゲルスを好きになってサッカーを好きになって、Jリーグが大好きになりました!だから本当にありがとうございました!!!(超早口)」
あっちゃん「ありがとう!嬉しいなぁ〜!また何処かのスタジアムで会おうね!!」
です!!!!
はわわ〜あっちゃん〜🥺🥺🥺
また!何処かのスタジアムで!会おうね!!(会おうね(会おうね(会おうね)))
なんて素敵な言葉なんだ〜🥺🥺🥺🥺🥺
会えたらいいね!でもなく、会おうね!
社交辞令なのは分かってましたが、この「会おうね!」という主体性のある言葉が本当に本当に嬉しくて、小雨の降る三ツ沢でユニフォームを抱きしめてスキップをしたものでした。
そして舞い上がった私は買ったばかりのカメラを忘れて帰るんですけどね……🥲
そしてこの「会おうね!」という言葉が、この先に訪れる沢山のサポーターとの出会いと別れを彩ってくれる言葉になるとは、今はまだ知る由もないのでした。
そんなこんなでやっとこの項が終わります。
ここまで三浦淳宏選手の事を想い出も含めて書き殴ったけど、わたしめっちゃ好きやん!!ってなりました。
オールスターの訳わからんフリーキックとか神戸時代の入れ替え戦とか監督時代しかパッと出て来ないのにめっちゃ好きやん!
まぁ人間だいたいの好きに理由なんてないですし、あってもぼんやりしたものじゃないですか。
ハンバーグ好きな理由?美味しいから……?🤔みたいな。
あとはたぶんいつまでも親戚のお兄ちゃんみたいな存在なのかもしれませんね……。
勝手に親戚になってごめんなさいね……。
そしてまだまだ続くのでした。
・天皇杯優勝、そして伝説へ……
三浦淳宏選手の部分が長くなりすぎてしまったので、かの有名な横浜フリューゲルス合併報道〜天皇杯優勝・消滅までは、さらっといきましょう!
というのも、あんまり記憶にないんです。もちろん試合の記憶はありますし、決勝は祖母の家のリビングのテレビで見て(こういう変なところは覚えてるんですよね……)父と応援してましたから。
この時って小学三年生とかの筈で、両親から「フリューゲルス無くなるかもしれないよ」と言われても(ほえー)って感じだったと思われます。
天皇杯の神戸ユニバーの試合に行ったのはぼんやり覚えてます。ゴール裏真ん中ちょっと右よりでした。
その中で、相手のシュートを見切った楢崎正剛選手に対して母上様が「楢崎くん諦めたのかと思ったぁ〜。」と言ったのだけは何故か鮮明に覚えています。ホントに変なところばっかり覚えてるから不思議です。
父は決勝に行きたかったけれど、まだ私と二人でサッカーを観に行ったことが無かったので躊躇したようで、
決勝後母上様に「ほら〜優勝するって言ったやんか〜。◯◯さんに言ってチケット取ってもらったらよかったのに。」と言われて「うん……😢」としょんぼりしていたのはハッキリ覚えています。
いや!連れてけよ!と思ったのもね!笑笑
でもね、今思うのは、この時観に行ってしまっていたら。
現地で横浜フリューゲルスの最期を見届けてしまっていたら。
横浜F・マリノスを大好きになる事は無かったんじゃないのかなって思ってます。
・何故今さら横浜フリューゲルスなのか
先日発売された、田崎健太さんの
横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか
を最近ようやく読み終えました。
私の知らない、横浜フリューゲルスの全てが書かれた本でした。
むかーし自分の好きだったチームの成り立ちや、当時の人間臭いエピソードが楽しくて、
中盤までは(初期の負の歴史も含めて)とても楽しく読み進めました。
そう、中盤までは。
Jリーグが開幕し、知っている選手の名前が頻繁に出るようになると、
漠然とした不安が襲い掛かってきて心拍数が上がります。
それは消滅という終わりを知っているから。
そして当時(ほえー)と思っていた私が真実を知る時が来てしまうからです。
嫌で嫌で、でも読まなきゃいけない気がして。
本を読むのに頑張る事が必要だなんて、それこそ小学生の宿題で好きでもない本の読書感想文を書かなきゃいけない時以来かもしれません。
何が楽しくてこの本を読んでるんだろう。と、何度も読むのを辞めようとしました。
でもやっぱり読まなきゃいけない気がしたんですよね。
話は変わるんですが、幼馴染のおばちゃん(関西人は親しみをこめておばちゃんと呼ぶのです)が何年か前に癌で亡くなりました。
当時コロナ禍真っ只中で、親友だった母だけは癌の話を本人からされていて、家族葬にも参列したそうです。(当時自分は県外だったので参列出来ず。)
先日幼馴染とバッタリ会って、「そろそろチーンしに行きたいんだけど」「チーンしに来てよお母さんも喜ぶから」という話をしたので、
母に「今日バッタリ会ってさ。そろそろチーンしに行こうよ。」と誘ったのですが、
という返事が返ってきたのでした。
それでね、話が戻るんですが、
自分の(読みたくない!)という気持ちは、母上様の気持ちと一緒なのかな、と考えたのです。
当時幼くて理由も分からないまま横浜フリューゲルスを観れなくなった自分が、読み終える事で初めて本当の意味でその死を受け止める事になるのだと。
今度こそ本当に消え去ってしまうんじゃないかと。
で、結局泣きながら読み終えたわけです。笑
読み終えて一息ついて、1つだけ、私が心の底から思った事がありました。
それは「私は横浜フリューゲルスが確かに大好きだったし、それは今も変わらないんだな」ということです。
ファンとかサポーターとかいう認識すらなかったけれど、あっちゃんがんばえーだったけれど、
何も分からないまま居なくなってしまった横浜フリューゲルスの皆が、あの楽しい応援をしていたお兄さんお姉さんが、白と水色と青の爽やかでカッコいいユニフォームが。わたしはだいすきです。
・終わりに
今回もただ勢いで、出たとこ勝負で、思い付く限りポチポチとしました。
思っていたよりずっと長くなってしまったし、
思っていたよりずっとずっと纏まりがないのですが、
今回も最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。
その昔、横浜フリューゲルスという素晴らしいチームがあったんだ!!若い子たちにも知ってもらいたいんだ!!と、そういう様な事を書いてあるのかな?と思って読まれた方がおりましたらすみません。ただの自分語りです。
横浜フリューゲルスが合併・消滅後数年間、私は少しの間サッカー観戦から離れる事になります。
すんなり横浜F・マリノスに移行はしませんでした。
父は三浦淳宏選手の移籍もあり、横浜F・マリノスの試合を見ていたようですが、
当時の記憶は私にはあまりありません。
もしかしたら、心の何処かでささやかな抵抗をしていたのかもしれませんし、単に他のことに興味が移る年齢だったのかもしれません。
次に私が横浜F・マリノスと出会うのは数年後、2003年シーズンとなります。
その2003年シーズンに、かの有名な最終節での大逆転優勝が起き、そこから私はトリコロールの虜となるのでした。
最後の最後に
今の私は横浜F・マリノスが大好きです。
大好きな横浜F・マリノスのチャントに
「魅せつけろ 横浜を この胸の 誇りを」
というものがあります。
皆さんそれぞれ、自分のチームや応援スタイルに誇りを持って、チームと共に闘ってることだと思います。
私のね、ささやかな誇りは
「マリノスサポーターですか?」
と聞かれた時に
「はい!F・マリノスサポーターです!」
と返事をする事です。
それが、私の胸の中にあるちっぽけな誇りです。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
次もまた、勇猛果敢に自分語りをしていきますよー!💪
ふ
※文中の三浦淳宏氏ですが、現在は三浦淳「寛」に改名されています。ですが、これはあくまで私の自分語りでありますので、「あっちゃん」こと三浦淳宏選手として最後まで貫き通す事にしました。私のささやかな誇りと意地なのです。あっちゃん許して下さいね!