独り旅 一日目後半

さわやかから静岡駅に向かおうとしたら徒歩四十五分と出たので、バスで向かおうとする。年末だし、次が最終バスらしい。

三十分くらい待った。寒かった。途中で向かいのバス停なことに気づいて慌てて道路を渡る。このミスはよくやりがちなんだけど、今回は気づけてよかった、天才だな。 

バスを待つのってつらい。寒いし、どきどきする。時間があるので泊まる場所を検索する。泊まる場所は、いきあたりばったりにぴったりな健康ランド的なところと決めている。

どうやら静岡駅近くには健康ランド的な施設はないようだ。熱海方面に行くか、焼津方向に行かなきゃいけない。行くなら焼津かな。まあどちらにせよ静岡駅から電車に乗ろう。

時刻表の時刻を三分ほど過ぎて、大きな車の気配。ICカードを取り出して前を向くと、その車は、いなかった。

道路を見やると切ないバスの背中が遠くにあった。

……え?

わあ!通り過ぎていった!ああ無情!!!私の待つ態度が悪かったんかな!?あわわわ、ここまで待ってたのに!

三分ぐらいで困惑した気持ちがひいた。そうして、違う感情の波が押し寄せる。

めちゃくちゃ面白い。最高。困った事態なのに、いきあたりばったり感、アクシデントなのがやはり楽しい。こうでなくっちゃ。静岡駅行きの最終バスなので笑いながら走って四五分間走り抜けようかと思った。驚くほどバスが通り過ぎたことをすぐ受け入れてしまった!めっちゃ面白いなあ。

テンションが爆上がりしている。バスに置いてきぼりにされている自分が哀れでわらけてくる。置いてきぼりにされてよかったかもしれない。楽しくなってきてしまった。今のところ、一番テンションが上がってるイベントがバスに気づかれなかったことだな。笑いがこみ上げてくる。一人で笑ってしまう。こらえきれない。

ああそういえば高校生の頃、バスを待つ時間のことを詩にしてたっけな。来るか来ないかっていうのをちょっと不安になりながら待つのって大切な人との待ち合わせみたいだ、なんてのを思って書いたんだよな。バスを恋人に見立てて。今まで忘れていたや。ふふふ、思い出せてよかった!

 どうやら泊まりたい焼津のスーパー銭湯へ向かうバスならまだ一本だけあるらしい。それに乗って電車に乗り換えて向かえば寒い思いもせず、温泉へGO!だ。待とう。

寒い手を温めようとファミマでホットゆずを買って店内でしばし待つ。さわやかは閉店準備を進めている。

なかなか見れない光景なんじゃないか?よかったよかった。

それからバスの年末年始ダイヤに合わせてバス停に向かった。時間は十一時を過ぎている。一応、と思って最終電車を調べる。

すると、年末年始ダイヤで十五分いつもより遅れるバスは最終電車に間に合わないと判明!

わわわわわ!もう、そうしたら、なりふり構えない!待つとか言ってられないや!

グーグルマップが示す徒歩での静岡駅までの所要時間は五十分!静岡駅から焼津への最終電車が出るのはは三十分後!うわあ!!!!

 「しまった! もう世界は終わっていた」「わたしが神様だったら こんな世界は作らなかった」

なんてチャットモンチーの言葉が心にするりと入りこむ。世界を電車に置き換えたらそのまんま私の心情です。

走る走る走る……静岡の夜を駆ける、駆け抜ける。苦しい、寒い、喉が粘つく。

でも、やっぱり楽しかった。さっきまでホットゆずを買ってぬくぬくしようとしていた冷えた身体は生き生きと暖かくなり、体じゅうにエネルギーが行き渡っていく。初日の出の登山用にトレッキングシューズを履いていたのが幸いし、走りやすい。二つほど信号無視をした。無茶苦茶に走る。もちろん休み休み、歩きも交え、マップは確認していたけど、気持ちはもうめっちゃくちゃに、暴れ馬になったつもりだった。

グーグルマップの到着時刻と終電の競争だ。終電を逃したら、宿無しあて無しお金無しの私は途方にくれてどこかのベンチでも夜を明かさねばならんだろう。ホテルは高いし予約がよくわからないのだ。そして年末はたいてい埋まっている!私は温泉にも入れずに、静岡の夜を明かすのだろう!まったく、without温泉なんてやってられるかあ!

と思う一方、じわじわ到着時刻が終電に近づいていく中、ランナーズハイなのか、楽しさが湧き出てきた。こうやって走って疲れて温泉に着けば、とっても気持ちいいのではないかしら!寒いし汗をかいた体を温泉で洗えばみちがえてすっきりするんじゃないか!ああ!それは最高だ。最近お布団でぬくぬく、寒い外にはあんまり出ない生活をしていたから、こういうのも全然悪くないや!刺激的!こどもは風の子元気の子!!

また、歩いている時にこうも思った。

こじつけ力が高まっているんだ!私はなんでも都合のいいように解釈できる力が備わり出したから、楽しい時間が増えたんだ!と。

ネガポ辞典という、ネガティブな評価の言葉をポジティブに変換する本が昔話題になっていたのだけど、そういう感じなのかもしれない。読んでないけど。元々は落ち込みやすいたちだったから、へこみすぎたら「人間誰しも失敗はある」って言いなだめてたのが進化してったのかな!物事の色々な面があるのを意識的に見ようとするというか……アドラー的でもあるのかな、捉え方を変えるっていうのは。

まあとにかく、そんなことにも気づけたから、このバスを逃した事件をめちゃくちゃよかったことにしようとしている。これこそが、都合のいい解釈なんだけど。でもやっぱりこの解釈の方がいいや。楽しいし。

待つということをするな!ということなのかもしれないな、と思う。待つより追いかける、というのの大切さを教えているのかもしれない。

なんとか電車に乗れた。静岡駅から先はPASMOが使えないため、切符を買わなきゃならないのでも焦った。とにかくとにかく、走りに走ったから、間に合えた。嬉しい。ぜーぜーするけど、満足感が強い。あ、でも太ももが少し痛むかな。まあこれも温泉で一発治癒じゃ!

ああ、こうしてアクシデントが笑えるのも、一人旅ならではなのかも。誰かと一緒だったら、どんな風に捉えてるかわからないし、私の不手際でごきげんななんめにさせちゃったら、しゅんとした時間になっちゃうものね。実際は相手によるのかもしれないけど。

念願の焼津の温泉に着いた。もう日付が変わって、大晦日を迎えていた。

三つの湯に浸かった後、ラジウムサウナを一時間ほどやった。ここまで長時間サウナをやったのはないかもしれない。

サウナは、誰もいなかった。ちょっと足を伸ばして寝転がる。そこまで熱いとも思わず、呼吸がきついわけでもなく、長時間いれるサウナだった。

でも、テレビがついていたのが、ひとつ残念だった。年末特番のあまり好みでない芸人さんの出る番組。ジャンクフードみたいな刺激だから、面白いのだけど、やさしさを思う今は特に食べたくなかった。目を閉じてもタオルで顔を覆っても聞こえてくるテレビの音。これがなけりゃ、瞑想?とにかく深い考えごとができそうだった。無になれそうだった。

まあ、面白いからちらちら見て笑ってたけどね。面白かったから一時間もいれたんだとは思う。ありがとう。

 サウナと交互に入る水風呂、最初はふくらはぎまでしか入れなかった。けど、サウナに入る回数を重ねるごとに、だんだんと深くまで浸かれるようになった。

お腹を水風呂に入れるのは段階として何か壁があるようだった。体が必死に内臓を冷やさぬよう守ろうとしているのかな。

五回目くらいでやっと肩まで浸かった。寒い。冷たい。けれど心頭滅却(?)なんてことを思いながら、耐える。体育座りをして、お腹を守ったつもりでいるけれど、容赦なく隙間に冷たい水が入り込む。最後、冷たいのが少しだけ気持ちよくなったぐらいで、あがった。あがった方が震えたし寒かった。急いで湯船に浸かり直す。

 冷たい水にいると、自然と清められる気がする。さて、人との関係にいろいろあるのを自覚した今年のこの体は、完全に浄化されるかな。私宛の心配などがこびりついている気もするし、私も誰かにくっつけてしまった気もする。浄化するために滝行に興味があったんだけど、水風呂でも満足できたな。

水風呂に入りながら、孤独のことを考えた。水風呂の冷たさは、消極的な孤独の痛みに近いのではないかと思う。心の痛みを体感するのならこういう感じ?と思う。

年末に旅に出たかったのは、私が孤独をひしひしと感じるため、人との関わりを見つめなおすためだった。だから孤独について考えようとするのだけど、独り言?が増えるだけでやっぱり一人で十分楽しいしあんまり寂しいとか思わないな。まあそれは今の時間がとても楽しいからさみしがらないのだと思うけど。家で夜に一人でいる方がまだ寂しいかな。あ、夜の静岡の街は人気もなくて、風景に寂しさがあってよかった。

 冷たい水に入れば、より温泉のぬくもりが強調されるのもあるから、孤独を感じたい。人はみんな孤独であるのに、私はたいてい忘れて生きている。それがあんまり好きじゃないんだよな。別に消極的な孤独じゃなくってね。孤独って書くと、悲しい響きに聞こえるかもしれないんだけど、私は、孤独が人生の土台として魅力的なんだ。まあ、孤独という言葉の持つマイナスイメージもわからなくはないんだけどね。

孤独だーって悲しくなりたいわけじゃない。でもきっともう少し孤独への意識があれば、変わることもあると思うんだ。

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